2023年02月23日
こころの鬼の存在を視った私たちは、 「 神は内 」の神言で、その「 こころの鬼 」を退治(転換)していきましょう。
「 節分 」の「 花豆撒き 」と「 神は内、福は人 」の唱和は、私たちの想念の切り替えとなる。
救世主様の愛と力をいただく大切な神事です。
2023年02月23日
こころの鬼の存在を視った私たちは、 「 神は内 」の神言で、その「 こころの鬼 」を退治(転換)していきましょう。
「 節分 」の「 花豆撒き 」と「 神は内、福は人 」の唱和は、私たちの想念の切り替えとなる。
救世主様の愛と力をいただく大切な神事です。
2023年02月13日
* 神事・天の岩戸ひらき
救世主様は、神の扉を開ける神事を ” 天の岩戸ひらき ”と仰せられました。天の岩戸ひらきは、夜の世界終わり昼の世界が訪れ、体主から霊主に変わる時の大転換なのです。 想念に光明と希望と歓びをもたらす、昼の世界をつかさどる救世の神が御降臨された、大神業をいいます。 天の岩戸ひらきは、神の扉を開けて、本命の誕生をいただくことです。 言魂と洗霊の御神業によって神の扉をひらいて、新しき生命をいただくことです。 時くるまで秘められてきた真相と実相を開けて、明かしていく神秘開明のことであったのです。 それは、言魂の力によってひらかれる大神言の神業です。
* 神の扉をひらいていただく新しき生命
天の岩戸ひらきに重要なことは、想念です。 御賜命と御守護をいただいて、日々を生かされている感謝の想念をもつことです。 言魂と洗霊によって体主の因縁は清算され、霊主の因縁が新たに清産されていくことへの歓びの損念をもつことです。 想念は、みこころが移り写ってくる鏡ですから、相愛による救いの想念をもつことです。 天の岩戸をひらくことによっていただく新しき生命は、革たな生命・ほんとうの生命・永遠の生命をいいます。 神仰に結ばれた生命こそ、神の扉である天の岩戸がひらかれて、そしていただく新たな生命ではありませんか。
* 天の岩戸ひらきは生命創造の型
物の生命は、科学によりわりましたが、霊的生命は、神仰による霊智でなければわからないのです。 救世主様は、” 御神業によっていただく生命が、新しき生命力である。 神の洗霊によって生命に力が与えられ、日に新たな生活力を賜ることは、生命の革命である。 革命とは、命を革たにすることであり、平凡な日常生活の中にこそ実現していくものである ”と仰せられました。 生命の革命(新しき生命)に必要なのは、次の想念です。 生と命は、神から賜わっていること。 生命には、救いの賜命があること。 生命には、神の絶対的恩恵(御守護)があること。
* 神の言魂と洗霊による因縁の清産
新しき生命は、言魂と洗霊によっていただけます。 その生命力は、日に新たな生活力をはぐくむことになるのです。 これが、天の岩戸ひらきの姿です。 救世主様は、” 祖霊に身替わって賜命を果たすことが、人生の因縁である。 身替わりとは、祖霊の罪や過ちの報いを受けることではなく、子孫の生命に祖霊の念願が移され、型となって片づけられ赦されていく神の救いである ”と仰せられています。 救世主様は、言魂と洗霊によって新しき生命をいただくことを、” 天の岩戸開き ”と仰せられました。 新しき生命をひらく天の岩戸ひらきの実践は、神の扉を開けて新しき生命力をいただく御神業なのです。
2023年02月04日
* 日月地の神世となったことを明らかにする大神業が、天の岩戸ひらきであり、神の言魂で大神言の神業がおこなわれるのである。 これは、時の大転換がおこなわれる経綸にみせられた神事である。
* 人間の生命とその由来を視ることも、生命の岩戸ひらきである。 夜の世界において知ることのできなかった祖霊の念願をみせられ、生命の実相を視るのである。 祖霊と共に因縁の岩戸をひらいて、因縁の神赦しを賜るのである。
* 霊界は想念の世界であり、現界と表裏一体である。 霊と体は、合わせ鏡となって、向かいあっているのである。 生命の天の岩戸をひらくことによって、生命の神秘が明らかになるのである。
* 今や、昼の世界になっていることを霊智することである。 霊界の実相は、現界の事実となるのであるから、因縁の岩戸をひらくことが肝心でである。 生命と因縁の天の岩戸ひらきは、神扉開明でなくて何であろう。
2022年12月31日
* 時の力となる本命誕生
昼の世界をつかさどる神のご出現が、神誕生(下生)です。 下生された神は、真相と実相を開けて、因縁を、この限界で形にあらわして片をつける神です。 人の本霊と本命のに下られ、愛と力の審判によって、立て替えと立て直しをされる救世の神です。 神は、人に生と命を移して、本命の誕生とその働きを期待されるのです。 本命の誕生とは、神からいただいた生命を、ほんものにする実践をいいます。 本霊をいただいても、救世賜命に仕えなければ本命誕生にはならないのです。 救世主様は、” 自己本位に生きる生命から、救世賜命に与えられる本命に生きなさい ”と仰せられています。
* 本命と新しき生命
神定めの賜命と、みこころに経綸される時の御神業は、救世主教にいただく御神命であり、それが本命です。 わたしたちの本命は、救世の賜命によって、新しき生命をいただくことにあります。 それは想念の転換をして、昼の世界の住人となることにあります。 そして、霊性の向上をはかって因縁をとき解(ほど)くことにあるのです。 救世主様の神業によって、霊界に積まれてきた夜の時代の因縁は、神の審判である神の救いを受けて、祖霊と共に赦されていくのです。 因縁は形となって、片をつけていただける時がきたのです。 救世主様の御神業は、浄化による立て替え・審判による立て分け・賜命による立て直しの神業(かむわざ)なのです。
* 本命に生きて創る日月地の神世
霊性が高まり、救いの想念がはぐくまれてくると、救世賜命にお仕えすることができます。 救世賜命にお使いすることにより本命が誕生すれば、夜の時代に積みあげられてきた因縁は片づけられていきます。 本命の誕生が赦される」日月地の神世では、因縁は報いの対象ではなくなり、御賜命を果たすよりどころとなります。 新しき生命をいただき、新性人間となって体主の因縁を解消し、霊主の善因を積んでいくことこそ、これからのわたしたちの本命です。 この本命に努力すれば、浄化のうえに歓びと希望が湧きでて、生きる力がいただけます。 本命に生きて創るのが、光明かがやく日月地の神世です。
* 永遠の生命こそ神仰の本命
本命に生きることは、神の審判をいただいた新しき生命の姿です。 神の審判をいただいて本命にお使いしていけば、祖霊と自己と子孫の運命は弥栄(いやさか)にひらかれていくことになります。 救世主様は、” 目に写る事象のみに終始して、生命の本質を知ろうとせず、物質に依存し執着すれば、生命を軽んずる人間性が成長する。 それは、人間の本命がわからなくなったことに原因する ”と仰せられました。 本命によみがえって、その賜命を果すことは、体主の因縁の清算と霊主の因縁の清産となります。 因縁の清算と清産、それは新しき生命の誕生であり、ほんとうの生命である永遠の生命をいただくことになります。 それが、神仰の本命です。
2022年12月31日
* 神と人間の関係にもっとも重大な律法は、霊主体従の法則である。 これを具現するのが、人間の本命である。 本命が誕生すれば、因縁は祖霊の身代わりでなく、浄化していただkぃ、共にゆるされる対象となるのである。
* 救世賜命によって誕生する本命は、祖霊から累積された正邪善悪の清算である。 自己を本位として生きる仮の世の生命は終わりを告げ、ほんとうの生命を救世賜命によって与えられる本命の時となるのである。
* 本命は、神のみこころに仕えて、真実になる魂の命(みこと)となるのである。 本霊をいただいていても、救世の賜命に仕えなければ、本命にはならないのである。 神は、人間に生を与え、命を移して、本命を授けられるのである。
* この世の生命は、自己の想念次第である。 想念に生まれるいっさいの始めは、霊的に無から生まれ、言魂によって力がつき、行いによって結果となるのである。 人生の終始は、想念にあると視るべきである。
2022年12月07日
* 御神業の節分け・神世の紀元
救世主様は、”救世主教のい誕生とその御神業は、神世の紀元となる大節分けである”とおあかしになられました。 神世の紀元とは、日月地の神世の誕生であり、それは日月地の神世創造の節分けを意味しています。 救世主様は、神世の紀元となる節分の御神事を、”日月地の神世を打ち立てられるときとなって、主神は私に本命の誕生を赦された。 私は、神が自由に使われる器として、ここに御神意のままに奉仕をする新しき生命を賜った”と仰せられて、節分けの神事によって救世主の本命が誕生されたことを、おあかしになりました。 御神業における節分けは、夜の世界からの転換であり、霊主の想念に切りかわることであり、昼の世界をつかさどる神の誕生であったのです。
* 節分の神事と神言
時が到来したのです。 時いたり、霊界でおこなわれてきた正邪善悪の審判が、昼の世界への節分けのい時をもって、いよいよ現界に移されてくるのです。 これが、言魂と洗霊の御神業です。 救世主様は、”日月地大御神様は大元霊にして、神三言をもちて世界を創られた。 一言の言霊から神三魂が誕生し、火と水と、その力が生り成りた。 二言の元霊から高天原が生まれ、日と月が顕現し天地が造られた。 三言の元霊から言魂神が誕生し、霊と体の世界に立て分けられた。 この神言を節分けという”と節分の神事を御聖言(神言)としてくだされたのです。
* 花豆と神は内!福は人!
節分に見る赤鬼・青鬼の姿は、火と水と力をあらわしています。 赤は霊であり想念を、青は大であり物質を、そして金棒は審判の力をあらわしているのです。 魂から言を抜くと、鬼になります。 鬼とは、正神の働きである言魂であったのです。 救世主様は、”神を無視してきた根本の理由を視らねば、物事の正邪善悪はわからない。 節分に秘められた正邪の審判が、救世の大神業である”と仰せられました。 救世主様が成った節分けの神事により、夜の因縁は消滅していくと共に、炒り豆に、奇蹟の花が咲く神世が生まれたのです。 神の愛と力の味愛のある花豆を「 神は内!福は人!」と撒くのです。
* 本命の誕生
昼到来の神事が、節分けの御神業です。 節分けは、本命の誕生を迎えた時をいいます。 本命は、神のみこころに仕えて真実になる魂の命(みこと)ですから、本霊をいただいても救世の御賜命にお使いしなければ、本命にはならないのです。 人の救いに役にたつことができれば、それが本命の誕生です。 時の御経綸によって、霊界の実相が現界に移されてくるのですから、本命をいただかなければ、新つの生命体には成らないのです。 本命の誕生が赦されると、それにともない、祖霊のもつ体主の因縁も、共に消滅していくのです。 これが節分を境として、現界で行われる「 神の審判 」という御神業であったのです。
2022年11月03日
* 今や時いたりて、常立神がいよいよ限界において正邪善悪を審判される節分けとなった。 これも神世の紀元を定められた時の御経綸であって、いっさいは限界に移されて、その実相をみせられる神秘な御神業である。
* 霊界の審判が現世に移されて神の密意が開かされ、善は栄え悪は滅する。 左進右退のリズムに経綸される昼の世界となるのである。 節分けを期して、夜の世界に累積されていた実相は消滅していく。 節分けに秘められた正邪の審判が、救世の大神業となるのである。
* 節分けの言挙げは、神は内・福は人であり、神力が内に宿れば人に幸福を与えていける。 救う者は救われるとは、その御神意である。 この真相が理解できて、生き徃く真の楽しみを視ることができる。
* 夜の体主の因縁を、現世に移して片をつけるのである。 いっさいの原因は霊界に累積されて、その実相が限界に移されるのであるから、節分けで霊界のことを明かしていくのである。 新しき神世の創造は、人類の危機を救う節分けの神事である。
2022年09月18日
* 救世、神に主教の御神業
救世主様は、”いよいよ地上の経綸に主神御自ら天下られ、日月地の神世を創造されんとする時となった。 本教にいただく御神命は、日月地の神世に架け橋する大賜命である。” と仰せられ、その御神命と御神業に必要な明智の誕生をお明かしになられました。 ここに、御神業にお使いするわたしたちの誇りと歓びが生まれたのです。 救世主様は、” 救世主教の神仰に、三つの根本的要素がある。 それが明智、真実、新しき生命である ”と仰せられました。 明智が真実を生み、真実が新しき人間性をはぐくんで、明智と真実によって新しき生命が赦されていくことをお明かしくださったのです。 言魂と洗霊の御神業にお使いし、想念と言魂とその実践(心言行の実践)につとめるのが、神に結ばれ明智をいただいた神性人間の姿ではありませんか。
* 明智は神の愛と力
救世主様は、” 人智のみでは、不安と行きづまりがくる。 人類を霊体共に救う力は、神の愛と力による明智である。 ”と仰せられました。 明智に必要なものは真実であり、真実には愛と力が生まれます。 明智による真実でなければ、ほんとうの歓びは生まれないのです。 明智によらねば、ほんとうの真実にはなれないのです。 明智は、光明と希望と歓びのある、相愛と救いの智恵です。 それは、神の愛と力による新しき生命をいただく知恵です。 霊性を高め、言魂と想念に力をいただく智恵がが、明智なのです。 明智は、生命を意識することにより誕生する智恵であり、人智や権力がおよばない後神命を視っていく智恵なのです。
* 相愛をもつ新しき人間性
救世主様は、” 人類の危機に(救いの)神があらわれることは、人類の真実(次第)である ”と仰せられました。 この御言魂から人類の危機は、わたしたち一人ひとりの(相愛と救いの)明智と(感謝と素直による)真実で克服できることが確信できたのです。 人類の滅亡も繁栄も、ひとえにわたしたち自らの想念次第であり、真実次第であることがわかりました。 救世主様は、” 神の愛と力は神秘であって、これを具現するには明智によって人を救うことである。 人類の危機は、本霊の自覚と祖霊と供にの想念による救いの御神業によって、立てなおされていく ”と仰せられました。 人はみな、神の分霊である本霊をいただいていますから、神と共に生きていることを視る明智をいただいた人になりましょう。
* 時に秘められている真相
時の御経綸は神が為し、成さいます。 人は想念と真実次第が為し、その代行を赦されていきます。 想念に真実あるものが救われていくのは、神のみこころであり、神理です。 救いが神のみこころであれば、その御神意に想念と実践をもって応えていきたいものです。 救世主様は、” 時いたりて、地上に日月地の神世が移されるのである。 日月地の神世になることによって、人類は救われるのである。 その救いの御神業にお使いするのが、明智による言魂と洗霊の神業である。 これが救世賜命である。 ”と仰せくださっています。 神に仕えていくわたしたちが求めるべき想念は、まさに明智による光明と希望と歓びの救世賜命です。
2022年08月28日
* 神仰に、 三つの根本的要素がある。 それが明智であり、真実であり、新しき生命である。 神仰から生まれる新しき人間性には、明智が化育されていく。 明智による言魂で、すべての真相は明かされていくのである。
* 神を視らずして、ほんとうの真実には成れない。 真実でなければ、ほんとうの歓びは生まれない。 明智に必要なものとは、真実とその歓びである。 神の愛と力をいただくこと、これが明智である。
* 救う力は、神の愛と力の明智による。 神の愛と力を具現するには、神に仕えて明智をいただき人を救うことである。 その真実が、新しき生命を生成し化育していくのである。
* 生命に関して、神仰から神秘の開扉が赦されて開かされていくのであるから、人智のおよぶところではない。 生命の真相を明かしていく知恵があって、言魂と洗霊の神業による自動操作である。
2022年07月31日
*感謝と素直で自分を正す。
救世主様のお言魂をいただいて自分を正すには、歓びをみつけて想念を感謝と素直で満たすことです。 真実の想念になれば、自分を正していけるのです。 感謝は、外に求めるものではないのです。 感謝は、外に向けてあらわしていくのです。 素直は、他と比べるものではないのです。 素直は、内に宿し霊智をいただく器とすることです。 真実は、押しつけるものでなく、自らの想念と行いに問うものです。 真実は、佇立を確かめる拠りどころとするものなのです。 対面口実の感謝や見せかけの素直や、独りよがりの真実は、我や執着や慢心が入りこむ隙間となります。
*生善の本姓をもつことが神恩
救世主様は、” 感謝と素直と真実に成りきることである。 感謝と素直と真実に成りきれば、どんな災難危機に遭っても、絶対の守護がいただける ” と仰せられました。 感謝と素直と真実を絆として、わたしたちに光明と希望と歓びを、そして御賜命と御守護をくださるのです。 感謝と素直と真実は、歓びとなって生きる力を強めていきます。 わたしたちの想念が、感謝と素直と真実に満たされること自体が、「 神恩 」 を享けていることなのです。 救世主様は、” 神は、人に霊的な生命体を授けられた。 神は、人に想念と言魂を赦され、正善を本姓とされた ” と仰せられました。 そして、” これは、神恩である ”と御聖言をくださったのです。
*感謝と素直で視る神恩
神・救世主様は、わたしたちの本姓が正善によみがえるように、創造には破壊を、正には邪を、そして善には悪を用意されました。 創造と破壊、正と邪、善と悪により、人生収支はいつも差し引き零となるようにお仕組みになられました。 良いことがあれば、感謝をもって心を引き締めたいものです。失意には、希望の芽が生まれていることを信じたいものです。 神の愛と力による神恩によって存在させられていることがわかれば、想念は、感謝と素直と真実で満たされていくのです。 神の愛と力である神恩は、歓びの想念に感応するのです。 愛である神恩は、与えることで満たされていくのです。 力である神恩は、感謝により視ることができるのです。
*神恩に応える生命力をつける
神恩に応えるには、生命力をつけることです。 それは、神の愛と力に応えていける力となるのです。 人間の生命は、神によって、この世に誕生せしめられました。 生命は、日月地や火水土に象徴されるように、大自然の恩恵のなかで、はぐまれ成長していきます。 その神恩を忘れてはならないのです。 わたしたちは、神の恩恵である神の恩恵である神の愛と力を、神仰生活のなかに実生していく想念と言魂と洗霊の御神業を視ることができました。 そして、時と力の御経綸にお使いできる縁(えにし)をいただいております。 人間の生命をよみがえらす(想念と)言魂と洗霊の御神業に結ばれたわたしたちは、” 神恩 ” を人々に視らせる御賜命があるのです。