救世主教の教え

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体験談

2024年05月06日

生きていることの有り難さ  その3

少しずつ少しずつ足をずらしながら前へ進み、手にしていた「 救世 」を何とかして手渡した時、言いようのない歓びで身体が熱くなって、帰るときには普通に歩いていたのには、私自身驚きました。 布教がいかに大切であるか、救いの尊さと意義のあることを、身をもって視ることができました。 それからは、家の近くから少しずつ足を馴らし布教に出かけるようになりました。 私の体も徐々に元気を取り戻し、二年間の寝たり起きたりの生活にも終止符を打つことができました。 浄化から十二年が経ちました。 今日こうして賜命にお使いできますのも、救世主様の大愛によるものと感謝の思いでいっぱいです。 


2024年04月21日

生きていることの有り難さ  その2

すぐに病院に運ばれ、診察の結果は狭心症ということで心筋梗塞の一歩手前でした。 やはり、母のこともあり、これも因縁なのだろうと思わずにはいられませんでした。 教会長さんより「 朝7時の朝拝実践でしっかり力をいただいていたからこのくらいで済んだのよ 」と言われましたが、本当にこの神仰との出会いが許されていなっかたら、今の私は存在しなかったかもしれません。 それ以来、寝たり起きたりの状態になって、仕事も辞め、何もできなくなってしまいました。それでも家まで班員さんが車で迎えにきてくださり、毎日、朝参会を続けることができておりました。 5ヶ月を過ぎたころ、 「 もう布教しかない。一軒でも良いから救いに歩きなさい。」と教会へいくたびに教会長さんが言魂をくださるので、内心この体でできるだろうかと思いながらも、勇気を出して隣の家まで行くことにしました。

           次回に


2024年03月31日

生きていることの有り難さ  その1

私は今、こうして生かされ生きていることの仕合せをひしひしと感じております。 私がこの信仰にご縁をいただき朝参会の実践をするようになったのは、二十年ほど前になります。 母が心臓肥大という浄化で入院していましたときに、母と親しかった教会長さんがお見舞いにきてくださり、御洗霊にお使いしてくださっているのを見ていました。 母が苦しむたび、一日に何回も教会長さんご夫婦が交代で足を運んでくださっていましたので、何も分からない私でしたが、神の洗霊の尊さや有難さを感じていました。 母の帰幽後、五年ほど経って私は教会へ行くようになりました。

私は、子どものころからひ弱な体質でしたし、それに加え極端に内向的な性格で、他人に合うのが嫌、話すのも嫌、まして人の集まるところなど絶対に嫌と思っていました。 他の人から見れば、ずいぶん無表情で冷たい人のように思われていたと思います。 そんな私が、意を決して教会で参拝するようになり、後には営業で働くようになったのですから、自分でも考えられないほどの変わりようです。

朝、七時の朝拝で力をいただき、九時には会社へ行っておりましたが、十二年ほど経ったある日、営業に出かけるためイスから立ち上がったとたん、心臓が急に痛み出して、そのままうずくまってしまいました。


2024年02月29日

感謝の想念で日々を送れる幸せ   その2

入信の日から参拝がゆるされ、朝参会、布教へとゆるされました。すぐに御守護いただけることで、いつしか御守護だけを求める自分がいました。そんな時、本部長さんより「 あなたは誰を一番救いたいの 」と聞かれて、私は子どもと答えました。 でもよく考えると親であったことに気づき、母の入信をお願いさせていただきました。 母の入信から次々と悩みが解決し、御守護をいただくことができました。

風邪をひいたときなどは、今までは寝込みことが多かった私でしたが、仕事を休むことなく勤めることができました。 これも救世主様のお陰であり、みなさんが毎日、御洗霊を与えてくださったお陰です。 本当に感謝しています。


2024年02月23日

感謝の想念で日々を送れる仕合せ  その1

この素晴らしい神仰へ入信をゆるされたきっかけは、本部長さんとの出会いでした。初めは患者さんと介護師だったのです。 ある日、患者さんに自分の悩みを話させていただいたところ、「 あなたは、感謝が足りない 」と言われ、「 二十一世紀には、日月地の神世、地上天国が誕生すると言われているから、がんばりなさい 」とただそれだけを教えてくださいました。

私は、前に少しばかり他の神仰をさせていただいていましたので、素直に言われることを実践させ    ていただき、感謝させていただきました。すると、自分の悩みだったお金のことが、少しずつ片付いていくことができ、有難く思いました。そこで、本部長さんが退院された翌日、お宅を訪ね入信をおゆるしいただきました。 本当に救世主様に出会えて有難く、感謝の気持ちいっぱいです。


2024年02月08日

救世主様の神護りがあればこそ  最終

” 人生には何一つ無駄な」ことはない ”といただいておりますが、まさにその通りだと思います。 いろいろな体験や経験は自分自身を創り上げていく貴重なものであること、またそのような経験を与えられたことに心から嬉しく思います。 救世主様に結ばれてなかったら、今の自分はなかったと思いまう。 この大都会で生活するには、神様を離れて一日たりとも安心して過ごすことはできないと思うと、生かされて生きていることの素晴らしさを感じます。 世の中に起きている諸々の出来事や、さまざまな自然界の異変は、風水火の大浄化であることをいただいてます。 そして人間に移写されれば、精神の病や人身事故として現れますが、それを他人事としてみることはできません。 それほど大浄化の嵐を身近に感じずにはいられません。

今こそ、救世主様と繋がる綱をしっかりと自分自身の想念に持ち、その綱を神視らぬ世の多くの人達に繋げていけるよう、先祖と共に救世賜命にお使いしなければと思っています。 救世主様は、いつどこにいようとお見捨てなく守護してくださいます。 その大愛に、お応えしていけるよう、がんばってまいります。


2024年02月01日

救世主様の神護りがあればこそ  その5

” 人生には何一つ無駄なことはない ” といただいていますが、まさにその通りだと思います。 いろいろな体験や自分自身を創り上げていく貴重なものであること、またそのような体験を与えられたことにこころから嬉しく思います。 救世主様に結ばれてなかったら、今の自分はなかったと思います。

この大都会で生活するには、神様を離れて一日たりとも安心して過ごすことはできないと思うと、生かされて生きていることの素晴らしさを感じます。 世の中に起きている諸々の出来事や、さまざまな自然界の異変は、風水化の大浄化であることをいただいています。 そして人間に移写されれば、精神の病や人身事故として現れますが、それを他人事として見ることはできません。 それほど大浄化の嵐を身近に感じずにはいられません。

今こそ、救世主様と繋がる綱をしっかりと自分自身の想念を持ち、その綱を神視らぬ世の多くの人達に繋げていけるよう、先祖と共に救世賜命にお使いしなければと思ってます。 救世主様は、いつどこにいようとお見捨てなく守護してくださいます。 その大愛に、お応えしていけるよう、がんばってまいります。

以上です。


2024年01月27日

救世主様の神護りがあればこそ  その4

深夜にもかかわらず、義父母は驚きながらも温かく迎えてくれ、食事を出してくれました。 義父母のやさしさに触れて、私も反省して、「 九州に帰って人救いということよりも、まず夫の先祖や義父母を救うことではないだろうか 」と思い、次の日自宅に戻りました。 それからは義父母に福音させていただき、夫に対しても素直に接するようにしました。 夫も少しずつ変わってくれ、義父母といっしょに御聖誕記念祝典に参拝ゆるされるようになりました。 今では毎年、御聖誕記念祝典には家族揃っての参拝がゆるされています。 また、八年前からは春季特別大祭や開教記念祝典、新年大祭にも夫婦交代で参拝させていただくようになりました。

五年前、二十年続けてきた店を閉めて、私は病院内の調理師として働き、夫はタクシーの運転手に転職しました。 朝拝、夕拝の時間が合わなくなりましたが、メールで御洗霊にお使いすることを知らせてでも「 御洗霊は欠かすまい 」と思い、日々お使いいただいています。 お陰様で、夫は営業所でトップクラスの実績を挙げ、御守護の元、自営業で培われたことが、お客様への心遣いや接し方に活かされています。 三年前には狭いながらもマンションを与えていただきました。


2024年01月23日

救世主様の神護りがあればこそ  その3

幽世大神様をお迎えしてからは、『 御聖言 』やそれまでの『 救世 』を真剣に読み、パンフレット配布にもお使いしました。 夫の実家を救い、店のお客様、子どもの学校の父母さんなど、お救いに励みました。 どんなに夜遅くても、必ず朝夕善言讃詞を唱え、お預かりしている神徒さんと共に一日の無事をお祈りし、交換洗霊の実践を欠かさないようにしました。すると店も繁盛し始め、全てが思うようになり、大きな御守護をいただきました。今では、夫の実家に幽世大神様の奉斎がゆるされ、毎月欠かさず先祖祭を続けています。

店を始めて半年が経ったころ、北部地区の大祭参拝を半年間続け、私たちにみこころと神力とう大きな力を賜わることができました。 このころ、東京にあった分教会を紹介され、朝参会を実践するようになりました。日々こうして救世主様にお育ていただき、神仰家庭をゆるされていますことを大変嬉しく思っています。 しかし、ここまで順調に来たわけではありません。 夫は気が短く、私も我が強くぶつかることも度々で、病・貧・争の浄化が絶えませんでした。 ある日、我慢できなくなって、九州に帰って神仰をする決心をして、二人の子どもを連れ、幽世大神様とお位牌を持って家を出ました。東京駅に向かいましたが、電車のトラブルがあり、他の電車で東京駅へ行くようにとアナウンスがありました。 ところが、乗った電車の行き先が千葉で、私はこの電車でどう東京駅へ行くか行き方が分からず、そのまま夫の実家がある千葉の木更津に行くことにしました。


2024年01月20日

救世主様の神護りがあればこそ   その2

その日から一月もたたないうちに、乳線炎にかかり、四十度以上の高熱が出ました。二人の子どもは病院内の乳児院に預かっていただき、私は入院することになりました。 そのことを聞いた母はすぐに救世主様に特別神救いをお願いしてくれたそうです。 母が救世主様に結んでくれた後、熱は下がり、一週間程炎症を起こした場所から大量の膿が出るという大きな御守護をいただきました。 このとき、私は事の重大性に気づかさせていただきました。 一年ほど経って帰省した時、私は御神力の戴き替えをお願いし、家族全員の御神力拝受がゆるされました。 また、幽世大神様の御奉斎をゆるされるようにお願いしました。 その後、飲食店を始めましたがなかなかうまく進まず悩んでいるとき、母から「 何事も自分の力だけではいけないから、神様にお願いするように 」と言われ、少しずつですが夫婦で神仰の話を聞くようになりました。