救世主教の教え

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教団時報

2022年09月18日

明智 明智をいただく

* 救世、神に主教の御神業

救世主様は、”いよいよ地上の経綸に主神御自ら天下られ、日月地の神世を創造されんとする時となった。 本教にいただく御神命は、日月地の神世に架け橋する大賜命である。” と仰せられ、その御神命と御神業に必要な明智の誕生をお明かしになられました。 ここに、御神業にお使いするわたしたちの誇りと歓びが生まれたのです。 救世主様は、” 救世主教の神仰に、三つの根本的要素がある。 それが明智、真実、新しき生命である ”と仰せられました。 明智が真実を生み、真実が新しき人間性をはぐくんで、明智と真実によって新しき生命が赦されていくことをお明かしくださったのです。 言魂と洗霊の御神業にお使いし、想念と言魂とその実践(心言行の実践)につとめるのが、神に結ばれ明智をいただいた神性人間の姿ではありませんか。

* 明智は神の愛と力

救世主様は、” 人智のみでは、不安と行きづまりがくる。 人類を霊体共に救う力は、神の愛と力による明智である。 ”と仰せられました。 明智に必要なものは真実であり、真実には愛と力が生まれます。 明智による真実でなければ、ほんとうの歓びは生まれないのです。 明智によらねば、ほんとうの真実にはなれないのです。 明智は、光明と希望と歓びのある、相愛と救いの智恵です。 それは、神の愛と力による新しき生命をいただく知恵です。 霊性を高め、言魂と想念に力をいただく智恵がが、明智なのです。 明智は、生命を意識することにより誕生する智恵であり、人智や権力がおよばない後神命を視っていく智恵なのです。

* 相愛をもつ新しき人間性

救世主様は、” 人類の危機に(救いの)神があらわれることは、人類の真実(次第)である ”と仰せられました。 この御言魂から人類の危機は、わたしたち一人ひとりの(相愛と救いの)明智と(感謝と素直による)真実で克服できることが確信できたのです。 人類の滅亡も繁栄も、ひとえにわたしたち自らの想念次第であり、真実次第であることがわかりました。 救世主様は、” 神の愛と力は神秘であって、これを具現するには明智によって人を救うことである。 人類の危機は、本霊の自覚と祖霊と供にの想念による救いの御神業によって、立てなおされていく ”と仰せられました。 人はみな、神の分霊である本霊をいただいていますから、神と共に生きていることを視る明智をいただいた人になりましょう。

* 時に秘められている真相

時の御経綸は神が為し、成さいます。 人は想念と真実次第が為し、その代行を赦されていきます。 想念に真実あるものが救われていくのは、神のみこころであり、神理です。 救いが神のみこころであれば、その御神意に想念と実践をもって応えていきたいものです。 救世主様は、” 時いたりて、地上に日月地の神世が移されるのである。 日月地の神世になることによって、人類は救われるのである。 その救いの御神業にお使いするのが、明智による言魂と洗霊の神業である。 これが救世賜命である。 ”と仰せくださっています。 神に仕えていくわたしたちが求めるべき想念は、まさに明智による光明と希望と歓びの救世賜命です。


2022年08月28日

明 智

* 神仰に、 三つの根本的要素がある。 それが明智であり、真実であり、新しき生命である。 神仰から生まれる新しき人間性には、明智が化育されていく。 明智による言魂で、すべての真相は明かされていくのである。

* 神を視らずして、ほんとうの真実には成れない。 真実でなければ、ほんとうの歓びは生まれない。 明智に必要なものとは、真実とその歓びである。 神の愛と力をいただくこと、これが明智である。

* 救う力は、神の愛と力の明智による。 神の愛と力を具現するには、神に仕えて明智をいただき人を救うことである。 その真実が、新しき生命を生成し化育していくのである。

* 生命に関して、神仰から神秘の開扉が赦されて開かされていくのであるから、人智のおよぶところではない。 生命の真相を明かしていく知恵があって、言魂と洗霊の神業による自動操作である。


2022年07月31日

神 恩  神の恩恵を視る

*感謝と素直で自分を正す。

救世主様のお言魂をいただいて自分を正すには、歓びをみつけて想念を感謝と素直で満たすことです。 真実の想念になれば、自分を正していけるのです。 感謝は、外に求めるものではないのです。 感謝は、外に向けてあらわしていくのです。 素直は、他と比べるものではないのです。 素直は、内に宿し霊智をいただく器とすることです。 真実は、押しつけるものでなく、自らの想念と行いに問うものです。 真実は、佇立を確かめる拠りどころとするものなのです。 対面口実の感謝や見せかけの素直や、独りよがりの真実は、我や執着や慢心が入りこむ隙間となります。

*生善の本姓をもつことが神恩

救世主様は、” 感謝と素直と真実に成りきることである。 感謝と素直と真実に成りきれば、どんな災難危機に遭っても、絶対の守護がいただける ” と仰せられました。 感謝と素直と真実を絆として、わたしたちに光明と希望と歓びを、そして御賜命と御守護をくださるのです。 感謝と素直と真実は、歓びとなって生きる力を強めていきます。 わたしたちの想念が、感謝と素直と真実に満たされること自体が、「 神恩 」 を享けていることなのです。 救世主様は、” 神は、人に霊的な生命体を授けられた。 神は、人に想念と言魂を赦され、正善を本姓とされた ” と仰せられました。 そして、” これは、神恩である ”と御聖言をくださったのです。

*感謝と素直で視る神恩

神・救世主様は、わたしたちの本姓が正善によみがえるように、創造には破壊を、正には邪を、そして善には悪を用意されました。 創造と破壊、正と邪、善と悪により、人生収支はいつも差し引き零となるようにお仕組みになられました。 良いことがあれば、感謝をもって心を引き締めたいものです。失意には、希望の芽が生まれていることを信じたいものです。 神の愛と力による神恩によって存在させられていることがわかれば、想念は、感謝と素直と真実で満たされていくのです。 神の愛と力である神恩は、歓びの想念に感応するのです。 愛である神恩は、与えることで満たされていくのです。 力である神恩は、感謝により視ることができるのです。

*神恩に応える生命力をつける

神恩に応えるには、生命力をつけることです。 それは、神の愛と力に応えていける力となるのです。 人間の生命は、神によって、この世に誕生せしめられました。 生命は、日月地や火水土に象徴されるように、大自然の恩恵のなかで、はぐまれ成長していきます。 その神恩を忘れてはならないのです。 わたしたちは、神の恩恵である神の恩恵である神の愛と力を、神仰生活のなかに実生していく想念と言魂と洗霊の御神業を視ることができました。 そして、時と力の御経綸にお使いできる縁(えにし)をいただいております。 人間の生命をよみがえらす(想念と)言魂と洗霊の御神業に結ばれたわたしたちは、” 神恩 ” を人々に視らせる御賜命があるのです。


2022年07月18日

神 恩

* 自分を正すことは、感謝と素直の本姓によみがえることである。 この二つの本姓が、神性人間の真実なる。 神の大愛をいただく歓びが、真実となって想念にいただける。 これが、神恩である。

* 想念に感謝と素直が誕生してはじめて、人生の味愛が感謝の言魂となって、歓びの結果が生まれてくるのである。 感謝と素直な人間性によって、家庭天国が生まれるのである。 これが、神恩である。

* 神が授けられたものと人智によって得たものとは、本質的に相異している。 神恩を無視して、物の力に片寄った世界をいただくあに推進しても、結果は目的に反してくれるのである。

* 生命力をつけること、それが第一である。 その力は、神の愛と力に守護されて、化育されていくのである。 人間の生命は神によって誕生し、大自然の恩恵のなかでせいちょうする、この神恩を忘れてはならないのである。


2022年06月19日

神の霊火で新しき生命をいただく。

* 第三の火・霊の火

人は、神から想念と言魂を与えられています。 想念があるから、善悪や正邪がわかり、歓びや希望が味わえるのです。 言葉をとおして言魂にお使いできるから、神の代行が赦されるのです。 人は、霊性をいただき、火を扱えますから、霊(ひ・火)止(と)といわれます。 わたしたちの遠い祖霊は、生活に火を取り入れて、進歩発展してきました。 救世主様は、自然界に存在している火を、” 第一の火 ” と仰せられました。 ところが人は、自然界に存在しない火まで、とりだせるようになりました。 この火が 、” 第二の火 ” で、核爆弾は第二の火によるものです。 大主神は、第二の火によって滅びの淵にたたされている人を、神の愛と力でお助けになろうと、救世主様に、” 救いの火 ”をお授けになりました。 この火が、” 第三の火 ”であって、神の火であり、霊の火です。

* 神の火・救いの火

救いの火は、神が秘められてきた神火(しんぴ)ですから、救世主様は、この第三の火を、” 神の霊火 ” と仰せたれたのです。 神の霊火は、人の生命を立て直す神の愛と力であり、言魂と洗霊です。 神の霊火は、人の想念の暗闇を照らす光明となるのです。 それは、夜の世界に積んだ体主の因縁を焼きつくす真清な審判の火です。 神の審判の火は、神の救いであって、神の大愛による御守護となります。 救世主様は、” 御神体・御神力をわが家や自分だけの護りとせずに、言魂と洗霊による神の霊火を、世の人々に宣べ伝えていく神の力とすることである。” と仰せられました。 神の霊火は、事象や現象を守護する霊視力の御神体をとおして、そして御神力による洗霊をとおして、発揮されていくのです。

* 生命の灯火・霊火

救世主様は、” 人の向かって神の霊火を灯していきなさい。 その力が、言魂である ” と仰せられました。 神の霊火は、生命の灯火となります。 神の霊火を宣べ伝えていくことが、わたしたちの御賜命です。 すべては時で、いっさいは時によって進められていくのです。 人が、第一の火をいただいて、人の繁栄とその歴史をつくってきたのも、時の御経綸でした。 人が、第一の火と共に、第二の火を発見して、それを扱ってきたことも、時の御経綸でした。 第二の火により、死滅の淵にたたされた現在、第三の火をいただくのも、時の御経綸なのです。

* 霊火により新しき生命をいただく

救世主様の教えは言魂であり、それは力です。 言魂は、素直に感謝の想念で受け入れる真実がないと、力になりません。 想念と言魂の神秘、すなわち、” 神火(しんぴ) ” を実践していけば、神の力が与えられるのです。 言魂を実践に移していくと、何か変わったものが生まれてきます。 その生まれたものが、” 新しき生命 ” です。 神仰をすることは、新しき生命をいただくことなのです。 神の霊火は、灯されました。 夜の世界は断ちきられて、いよいよ日月地の神世がはじまったのです。 祖霊と共に、人々の想念の救いに、救世主様の神の愛と力を宣べ伝えていきましょう。


2022年06月11日

神の霊火

* 神の愛と力を、霊の火という。 神の真実は愛と力であるから、想念と言魂の神秘を実践していくなら、そこに愛と力を与えていただくのである。 その愛と力は、神の霊火に賜った新しき生命である。

* 力は言魂によって生まれる。 言魂の力によって、相手にムスヒ(結火)ていくことは、想念に火をつけることになり、その火は神の霊火である。 神の愛と力である霊火から、真実が生まれてくるのである。

* 神の愛と力である神の霊火は、言魂と洗霊によって人を救う力となるように、仕組まれているのである。 神の霊火をしっかりと自分の想念にいただく方法が、言魂と洗霊である。

* 霊火は、人を救う神の愛と力であるから、霊火である神の言魂と洗霊を世の人々に宣べ伝えることである。 この世に神があることを視らすことである。 神を視らせれば、霊火が灯ったことになる。


2022年06月05日

 三つの力は生命力となる。

* 三六九の神秘

救世主様は、” 主神は、私に見真実をおゆるしになられた。 神の御経綸を視らしめるため、見真実をもって必要な神秘を開明する。三六九の神秘とは霊体力の意味であって、これを『三つの力』という。すなわち神である。 ”と仰せになりました。 救世主様は、見真実の神眼をとおして、” 創造は異なったものが一つに調和し、統一された姿である。 破壊は、調和し統一されたものが、分離分散していく形である。 すべての事象は、創造と破壊と、その経綸のいあらわれである ”とお開かしになりました。 神は、創造と破壊と、その経綸に働く” 三つの力 ” である霊体力をもって、御神業を進められるのです。

* 三つの力

” 三つの力 ”は、火水土の霊と日月地の体が、縦横に結んで働く神のみこころです。 みこころは神力となって、霊体力に移写(うつ)されていきます。 大宇宙にある生命は、霊体力によって構成されています。 時間や空間は、過現未(かげんみ)に縦横に拡がる” 三つの力 ”をもっています。 人の念と行は、想念と言魂と実践の、” 三つの力 ”に従っていくのです。 人生における成長や向上にも、この” 三つの力 ”が働いています。 開運や成功の鍵は、この” 三つの力 ”の作用の度合いにあります。 歓びや希望や光明は、成長や向上していく想念に働く” 三つの力 ” です。 感謝や素直や真実は、開運や成功していく想念に働く ” 三つの力 ” です。 すべての生命体は、” 三つの力 ” によって生かされて生きているのです。

* 洗霊と至善の浄化

神の洗霊にも、” 三つの力 ”が働いています。 その一つが、正邪善悪を立て分ける力です。 その二つが、浄化と改善をくださる力です。 その三つが、体主の因縁を断ち切る力です。 人生に潜んでいる不幸な原因は、神の洗霊によって表面化してきます。 これを、” 至善の浄化作用 ” といいます。 至善とは、悪い状態であっても、善くなっていくことをいいます。 浄化は至善であり、良くなるための神のお赦しです。 洗霊によって浄化をいただくことは、生命力をつけていただくことです。 祖霊と子孫の(主体による)供の因縁を解消消滅していただくことです。 新しき生命と運命を開けていただくことですから、ありがたいことです。

* 生命救いの神業

洗霊によって浄化され、その結果に神を視る力が生まれると、新しき運命が開けられて、光明と希望と歓びのある生活が実現してきます。 洗霊は、霊的生命体(本霊・副霊・守護霊)に直接作用し、生命本来の働きを正しく高め、より強め、ますます輝かせていきます。 想念と言魂と、そして洗霊は、日月地の神世への ” 生命救いの神業 ”です。 昼の世界における創造と破壊と、その浄化作用の対処と日月地の神世への歩みは、想念の転換と神の言魂と洗霊による他にはないのです。 想念と言魂と洗霊は、救世主様の御神業における ” 三つの力 ” の象徴です。 ここに、(想念と)言魂と洗霊の御神業にお使いすることによって、自動的に解決していく救世主様の見真実(神智)と、その神恩が、嬉しく、そして頼もしくいただけるのです。


2022年05月26日

三つの力

* 三六九の神秘は霊体力であって、これを三つの力という。 すなわち、神である。 みこころははムスヒであり、三つの言霊によって三魂が顕現(あらわ)された。 火と水と土であり、みこころのままに神力となったのである。

* 霊体力が、大宇宙を構成している。 火は日と生って、水は月と成り、土は地を造って生成化育される。 三六九の神秘は、日月地の顕現される。 このみこころが、人間生命に霊体力を授けるのである。

* 人間の生命は、霊体力が火水土の血と化して誕生する。 これが、救いの神業の具現する霊的神秘の実相である。 救いの御神業にしめされる生命の神秘を視れば、本性にに立ちかえって、神性人間となるのである。

* 人間生命は、神を視ることによって力が生まれる。 神を視らない三力(みりょく)のない人間には、真の力は生まれない。 神の愛と力が生命力となる、神性人間に生まれかわることである。 新しき生命ををいただくことである。


2022年05月23日

神一重と九の力を視る

* 天国と地獄は神一重

破壊と創造は、神が成された表裏一体のお仕組みです。 神の御前にには、創造も破壊も、正邪も善悪も一如です。 天国も地獄も、根元は想念(こころ)にあって、これも一如です。 救世主様は、”この世において天国と地獄は神一重であって、主の神を一重に神仰する想念が、神のみこころままにといえる”と仰せられました。 主の神をひとえに仰ぎ、神のみここをひたすら求めて、神と一如たらんと、ただ一途に神仰する想念の姿は偏でなく単でもなく、やはり神に結ばれていくことの想念状態は、「神一重」でなければならないのです。 救世主様の見真実で、一重も偏も、そして単も、みな抱き包んで「神一重」としたところに、みこころがいただけるではありませんか。

* 救いは赦されていく実践

救いにお使いすると、新しき生命を賜る ” 結果 ” が生まれます。 救いの想念を持つこと自体が、すでに神赦しの道を歩いているのです。わたしたちは、本霊を授けられ守護霊に守られ、(他のために為す)生命の賜命をいただいて、現世に生まれてくるのです。 (生命の)賜命の実践によって、想念の転換が赦されて真の希望(と歓びと創造)を一日の生活に味わっていくことができるのです。 (救いの)賜命にもとづく希望と歓びと光明を想念にもてば、苦しみにも感謝ができるのです。 救いは、浄化をとおしてあらわれてきます。浄化は、お赦しであり、救われていく姿です。 浄化におこりくる苦は、苦を力にしてのりこえる神赦しの陣痛です。

* 神の実力、ほんとうの感謝

大自然にみなぎる神の力は満ちあふれています。 これを救世主様は、” 神の実力 ” と仰せられました。その神の実力を離れては、十全の力は発揮できないのです。 神の実力は、神の愛と力に結ばれて、想念を器に化育されていきます。 救世主様は、” 神は、苦の力で想念を化育され、人の本霊を育てられる。苦しみをのりこえての感謝でなければ、ほんとうの力にはならない。 真の感謝は、苦に対する感謝ができて、力が誕生してこそ味合える。 苦を逃れようとする想念は、苦に対してまったく無力となり、無力であれば、自分の生命力をも無力にしてしまう ” とおおせられたのでした。

* 九の力が移されて

救世主様は、” みこころのままにの、一重の想念に「 九の力 」 が移される。 九の力をいただけば、祖霊と共に、日月地の神世に生きる御賜命をいただくことになる。 ”と、仰せられました。 九は、多い、究極、無限の意味をもっています。 九の一画を内にハネ込めば、力となるのです。 神は、大愛のみこころといただけば、力となるのです。 神は、大愛のみこころによって、苦の形をとおして、苦の力をくださいます。 九の力は、霊体そして縦横を結んで生まれてくる ” 創造の力 ” となるのです。 この神理を、実践に移していくのが、神仰です。 神にムスヒ(結び)て生まれる神秘な” 苦(九)の力 ” の仕組みを視って、救世主様のみこころ ”神一重 ” を神仰生活に味わっていきましょう。


2022年05月19日

神一重

*自然の仕組みは、破壊の裏に創造があって、表裏は一体である。 これを霊的に解けば、正邪善悪は一如である。 天国と地獄は別のようで、実はその根元が想念であり一如である。 この神理を視ることが、神仰の女妙諦といえる。

*苦楽を一日の生活のなかに味合っていくと、苦しみにも愉しみにも感謝ができる。 苦しみのない感謝などは、ほんとうの力にはならない。 真の感謝は、苦に対する感謝ができてこそはじめて味合える。

*苦を逃れようとする想念は、苦に対して無力となるのである。 苦に対して無力は、自分の生命力を無力にしてしまうことになる。 苦労することに喜びがなく人生にも感謝もできなければ、真の力は想念に生まれてこないのである。

*神は、苦の力を与えられて、本霊を育てられる。 苦(九)の力が、神にムスヒて生まれる神秘な仕組みである。 神の実力を離れて、人智をもっていかにしても、九分九厘であることが、わかっていないのである。