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教団時報
2024年01月20日
神の秘命
* 神秘は、神のみこころである。 神秘は、神定めに時くるまで神の扉に閉ざされた秘命であった。 時いたりて、神秘の扉は開けられた。 神秘開明である。
* 時いたりて、救世主が降臨され、大光明主と顕現されたことは、神秘開明である。 神扉を開けることは、神の福音であり、救世の大神業といわねばならない。

* 神の秘命であった神の福音は、言魂と洗霊の神業によって宣べ伝えられるのである。 言魂を伝え、洗霊を賜るときとなったのは、神の秘命である。
* 洗霊こそ神の審きの真相であり、時の秘命である。 神が秘めたみこころは、日月地の神世に、祖霊と共に救いあげることである。 神の秘命を視る時となったのである。

2024年01月04日
~ 救世主の降臨 ~ 救世主降臨をいただいて
* 救世主様の御聖誕
救世主様は、” 救世主は救世の力であって、主神御自ら現世に天降らせた。これを救世主降臨という ” と仰せられて、時の御経綸を開かされました。 救世主降臨は、救世主様の御聖誕でありました。 救世主様は、神幽現三界の仕組みを開かされ、限界の働きをしめされます。 形に化わり型をもって片がつけられていく、お赦しの世界が限界であることを明かされ、スクイを立てられました。 スクイは、” 主杭 ” であり、” 救い ” です。 光明と希望と歓びの日月地の神に、 ” 掬い ” あげていただくのです。 救世主様は、真実の想念によって発揮される元視力を顕現され、神の愛と力による神赦しと神救いの正邪の審きをなさいます。 真実を視る光明の道は、救世主様の神愛と神力をいただく他にはないのです。

* 新しき生命をいただく
救世主様は、” 本教は、大主神が時の御経綸を進められる器として誕生した。 その神業は、神界の真相、幽界の実相が現改に真実相となり、ことごとく想念に移されて霊主体従に統一する実践である ” と仰せられました。 真と実とに、自分を統一する神仰に、力が生まれて賜命に生きる新しき生命をいただくことができるのです。 救世主様は、 ” 神の言魂を求め神の洗霊をいただき、想念を拡げて人間性を改める実践を怠ってはならない。 参拝することで、自分なりに安心していてはいけない。 主神の御経綸に生きた見本となることである。 これを、新しき生命をいただく ” と仰せられました。 真実を求め真実をしめして、深く強い感謝とゆるぎない素直に到達することができれば、救世主様は絶対の守護をくださるのです。

* 形を型で赦されていく
救世主様は、” 時は昼の御経綸となった。” (夜の世界における) 今日までの誤りは、いかに人智をもってしても隠すこと、偽ること、そのままで済ますことhができない。 ことごとく形にかわって、型をもってみせられていく” と仰せられました。 そして、” 夜の世界の因縁が、形をもって移されてくる。 体主の想念に累積してきた因縁が移されたときには、その形は子どもにあらわれるか家内にでるか、また自分にくるか、それはわからない。 形が現世にに移写されたとき、神の言魂と神の洗霊をいただいて、型をもって済まされる神業を実生していくことである ” と仰せられました。 体主の因縁の解消(清算)と霊主の因縁の創造(清産)が赦されるのが、言魂と洗霊による救世主様の御神業です。

* 真の幸せを築く
救世主様は、” 自分が救われた神のき絆をもって、まず一人から救っていくこと ” と仰せられました。 わたしたちに人一人を救う力があれば、神は次々と救いの手をさし伸べてくださるのです。 神仰に導き入れただけでは、ほんとうの救いにはなりません。 新しき力が事実に、そして結果に生まれてこそ、霊体の救いとなるのです。 救世主様への神仰は、想念を深く耕すシンコウ(深耕)です。 感謝と素直と真実の想念を実生して、シンコウ(真幸)を実現していくことです。 救世主様を仰ぐ神仰は、御守護だけを求めることなく、祖霊と自分の正味の姿を視って、新しく生まれかわることではありませんか。

2024年01月04日
救世主の降臨
* 救世主とは、救世の力であって、主神が御自ら現世に天降られた御経綸である。 これを救世主降臨という。 救世主降臨は、日月地の神世創造をめざす人類共通の念願である。
* 霊界にあるすべての事象は、現改に移写される。 天国も移されるし、地獄も写されてくる。 霊界にある夜の世界の因縁は、人と事とにみせられてくる。 時いたるとは、このことである。

* 救世主の御神業は絶対にして最大の力であり、いかなるものも、この力の前には正邪をもって審かれる。 元視力は、それをあらわす力であり、真実の想念に発揮される。 真実の道は、神の言魂と洗霊の神業による他にはないのである。
* 救世主による神の福音は、理屈ではなく神の力であり、霊智を化育する救いである。 救世主を仰ぐ神仰は、祖霊の本体を視り、自分の本体を識って、水晶の御魂として、救世賜命に新しく生まれかわることである。

2024年01月04日
1月 掲示板
一月の掲示板です。神徒さんが毎月作成しておりますのでお紹介します。
全体 
研鑽テーマ
ごあいさつ 
御讃歌です。


2023年10月07日
10月の掲示板 鹿児島教会
10月の掲示板です。今回は、神徒さんのお孫さんが人命救助をしたこと。私は、ニュ-スでみて記憶には残ってましたが、その時は、何も思わなく神徒さんのお孫さんだとは思いもしませんでした。後から神徒さんの話を聞いて びっくり でも、大変いいことしましたねーと話をしました。夏でしたので、海で泳いでる人を助けた、おぼれかけていた人を助けたとの事。すごい事です。

また、子どもが10月末に鹿児島で開催される障害者スポーツ大会に出場することを載せました。きっと、いい成績となる事を期待したいと思います。自分の為に がんばれ 。写真で紹介します。

10月は、聖地参拝、皆で神徒さんを結集して参拝を致しましょう。
2023年09月24日
言霊は神なり 言霊は神なりを想念にいただく
* 言霊をいただいて働く想念と言魂
救世主様は、”言霊によって、神秘な神の扉は開けられていく。 この神事が、惟神に時定まって、救世主教は誕生した。 救世主教とは、救世の力を教える意味である。 救世の力とは、救いの御神業のことをいうのである。 救世の神は、言魂によって、いつどこにでもたたれて、救いの神力をみせられるのは、想念と言魂の神秘である”と仰せられました。 言魂による想念と言魂で、神の御経綸は進められていくのです。 言魂をいただく器が想念であり、その想念から発する言葉が言魂となります。 御神前に額ずいて柏手をうち、願言を称えて、音と言とで神に結ばれる姿は、言魂による想念と言魂の神秘に他なりません。 日月地祝詞の奏上や御讃歌の奉唱は、言霊である神に結ぶ型であり形です。

* 言霊に結ばれていただく生命と賜命
人は、想念を器に言霊を受けて、神の代行を赦されますから、言霊が止まる”霊止”なのです。 霊止である人の賜命は、生命の賜命を果たすことです。 賜命は、命を賜ることであり、生命をいただいた賜命とは、救いのことです。 賜命と生命と救いは、言霊と想念と言魂にいただく神のみこころです。 賜命をいただくことを、「力の誕生」といいます。 神の力を、人生で、事実にみせていくことをわすれてはならないのです。 言霊に結ばれた生命の賜命を、想念と言魂と洗霊の御神業によって霊智していきましょう。 霊智によって、事実を形にみせられて型ですまされるところに、救世主様の御神業の本命があるのです。

* 言霊の働きは時の御経綸
みこころは、げんれいによって想念に移されて、言魂となります。 御神業は、言魂でみこころが想念に移写されて、言魂の力となる神業ですから、言魂が救いの力となることを、みずからが事実で味合うことです。 言霊は、時の御経綸に働きます。 このこからも言霊と想念と言魂と、そして運命は切っても切り離されない関係にあることがわかります。 言霊に結んで言魂にだすと、本霊の眼が開いて感謝と歓びが生まれ4,想念に明るさと楽しさがみなぎってきます。 これが、神の審判をいただいた姿なのです。 神の審判をいただくことにより、想念に感謝と歓びと、明るさと楽しさが赦され、邪心が消されていきます。

* 言霊に結んで実生する神業
”言霊は神なり”をいただいて、想念と言魂の御神業にお使いし、光明と希望と歓びの救いをめざすことが神仰の実践です。 神がなさる救いを、人間界で赦していただくのですから、救いの使徒として生きがいと歓びをもつことです。 救世主様は、”人を助けることをせずにして、自分が助かりたいと思うことは邪心である”と、戒めの御言魂をくださっています。 救うものは救われていくのが神理ですから、救いにお使いしていけば、神はかならずや大愛のみこころをくださいます。 運命を開いて体主の因縁を解消していくには、救いの想念をもつことです。 邪念を取りはらって正しい想念をもつには、神の言魂をいただくことです。 霊体の健と康をたもち生命力をつけるには、神の洗霊をいただくことです。

2023年09月24日
言霊は神なり
* 言霊は、神なり。
言霊によって、神扉は開けられていく。 この言魂が惟神に時が定まって、救世主教は誕生したのである。 救世主教とは、言霊によって救世の力を教える意味である。

* 救世の神は、言霊をもって、みこころを想念に移された。 救世の神は、言魂によって神の自動操作を開始されたのである。 想念と言魂による御経綸である。 これが、日月地の神世創造のはじまりである。
* 言霊を無視すると、神が人間に与えられた想念と言魂の霊能力は消失してしまうのである。 神を離れた人間性に感謝と素直の本性は消えて、生の執着と慢心の邪念で、不幸な原因を累積していくのである。

* 言霊に結ばれた感謝の想念には勇気が生まれ、素直な言魂には忍耐の力が与えられるのである。 想念に祖霊を迎え、神の言魂をいただいて、救いの神業にお仕えすれば、祖霊と共に特別の神赦しがいただけるのである。
2023年08月15日
~時の御経綸~ 時の御経綸を視る
* 秘められた時の真相
救世主様は、”日月地の神世の創造は、時の御経綸である。 救世主降臨の神事は、時の御経綸である。”と仰せられました。 この御言魂により、救世主降臨の神事は、夜の世界から昼の世界へと切りかえられていく、時の御経綸であったことがわかったのです。 夜の世界では、人は時の力を左右しようと、人智の力で物や地位、名誉や権力を手に入れることをめざしてきました。 ここに強い弱いの争いや勝ち負けの戦いがおこなわれ、力の強いものが正義となりました。 その結果に、弱敗者の怨恨が夜の因縁となって、蓄積されていったのです。 昼の世界となった今、強い弱いや勝ち負けは賜命をとおして裁かれていき、地位や名誉や物は、賜命を果たすための、守護の役へと化わっていくのです。

* 霊智と言魂の時の力
救世主様は、”時の御経綸を視るには、霊智をいただくことである。 霊智が時の力となり、言魂の力となる”と仰せられました。 時を視る想念に霊智が生まれて、時の言魂に、神力が移されてくるのです。 言魂によって時の御経綸にお使いでき、結果を赦されていくのです。 言魂にお使いしていくには、救いの想念による真実になることです。 救いの想念から発せられた言葉には、労りや優しい言葉だけではありません。 間違いや時を気づかせる強く厳しい言葉もあります。 どんな言葉であっても、相手の想念や魂にひびき、染みわたる言葉が、救いの言魂ではありませんか。 救いである時の言魂は、時を解決することにあって、時の力がそれを進めていくのです。

* 悪を善に救い化える神の審判
時は力であり、神のみこころです。 時を無視しては、御賜命も御守護も新しき生命もいただけず、祖霊に身替わって化わることもできないのです。 救世主様は、”時の賜命である日月地の神世創造が、救世主様にあることを確信しなければ、想念の力とならない。 主神は、時の御経綸をこの地上に顕現され、正邪善悪を審判されるのである。 その賜命を本教に授けたのであるから、聖教神徒は時の重大さを霊智することである。”と仰せられました。 神の審判は、善と悪の立て分けです。 善悪の立て分けとは、悪を懲らしめて滅ぼすのではなく、善に育て化えて善に救いあげることがあったのです。

* 真実を現世に移写して片をつけるのが、救世主様の時の御経綸です。 型にみせられていくことが、神赦しの神の審判であり、神の大愛による救いです。 神の審判は、救いの賜命に、真実となったときにいただけるのです。 神の審判こそ、時の御経綸です。 真実によって、時の御経綸にお使いしていきましょう。 時の御経綸にみせられる真実は、善悪に関わりなく、そして正邪をも離れています。 神のみこころに応えて、時の御経綸に、祖霊と共に赦されていきましょう。 時の御経綸による救いは、事実と結果にみせられれば、なんらの理屈は要らないのです。

2023年07月17日
時の御経綸
* 時の御経綸の、霊的真相を明らかにしていく。 御経綸に対処するのに必要なことは、霊智である。 霊智をいただけたかどうかは、事実のうえに発揮されて初めていただいたといえる。
* 日月地の本命をいただいたといっても、それは人間の業ではない。 神業をいただいて、時の御神意のままに仕えてゆくのでなければ、なんらの力は生まれないのである。 時のみこころが写らない、わからないのは、その想念にある。

* 時は、神のみこころである。 時を無視しては、後神命も、御守護も、新しき生命もいただけないのである。 時の御経綸が、すべてを解決するのである。
* 時の御経綸に仕えて救いを実生し、祖霊と共に神赦しをいただいてこそ、祖霊の因縁を身替わることができるのである。 救いは、時の御神業によって事実にみせられれば、理屈は要らないのである。

2023年07月17日
別府教会との交流会
鹿児島教会と別府教会との初めての別府教会にて交流会(意見交換会)を行いました。 活発な意見があり有意義な時間でした。それぞれの悩み、神徒さんの育成・布教など立場は違いますが、いろいろと参考になる部分など大いに刺激となりました。ありがとうございました。

また、次の機会も考えていきたいと思います。教会ではなく、別の場所でもいいのかなあとも思いました。
