救世主教の教え

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教団時報

2022年07月18日

神 恩

* 自分を正すことは、感謝と素直の本姓によみがえることである。 この二つの本姓が、神性人間の真実なる。 神の大愛をいただく歓びが、真実となって想念にいただける。 これが、神恩である。

* 想念に感謝と素直が誕生してはじめて、人生の味愛が感謝の言魂となって、歓びの結果が生まれてくるのである。 感謝と素直な人間性によって、家庭天国が生まれるのである。 これが、神恩である。

* 神が授けられたものと人智によって得たものとは、本質的に相異している。 神恩を無視して、物の力に片寄った世界をいただくあに推進しても、結果は目的に反してくれるのである。

* 生命力をつけること、それが第一である。 その力は、神の愛と力に守護されて、化育されていくのである。 人間の生命は神によって誕生し、大自然の恩恵のなかでせいちょうする、この神恩を忘れてはならないのである。


2022年06月19日

神の霊火で新しき生命をいただく。

* 第三の火・霊の火

人は、神から想念と言魂を与えられています。 想念があるから、善悪や正邪がわかり、歓びや希望が味わえるのです。 言葉をとおして言魂にお使いできるから、神の代行が赦されるのです。 人は、霊性をいただき、火を扱えますから、霊(ひ・火)止(と)といわれます。 わたしたちの遠い祖霊は、生活に火を取り入れて、進歩発展してきました。 救世主様は、自然界に存在している火を、” 第一の火 ” と仰せられました。 ところが人は、自然界に存在しない火まで、とりだせるようになりました。 この火が 、” 第二の火 ” で、核爆弾は第二の火によるものです。 大主神は、第二の火によって滅びの淵にたたされている人を、神の愛と力でお助けになろうと、救世主様に、” 救いの火 ”をお授けになりました。 この火が、” 第三の火 ”であって、神の火であり、霊の火です。

* 神の火・救いの火

救いの火は、神が秘められてきた神火(しんぴ)ですから、救世主様は、この第三の火を、” 神の霊火 ” と仰せたれたのです。 神の霊火は、人の生命を立て直す神の愛と力であり、言魂と洗霊です。 神の霊火は、人の想念の暗闇を照らす光明となるのです。 それは、夜の世界に積んだ体主の因縁を焼きつくす真清な審判の火です。 神の審判の火は、神の救いであって、神の大愛による御守護となります。 救世主様は、” 御神体・御神力をわが家や自分だけの護りとせずに、言魂と洗霊による神の霊火を、世の人々に宣べ伝えていく神の力とすることである。” と仰せられました。 神の霊火は、事象や現象を守護する霊視力の御神体をとおして、そして御神力による洗霊をとおして、発揮されていくのです。

* 生命の灯火・霊火

救世主様は、” 人の向かって神の霊火を灯していきなさい。 その力が、言魂である ” と仰せられました。 神の霊火は、生命の灯火となります。 神の霊火を宣べ伝えていくことが、わたしたちの御賜命です。 すべては時で、いっさいは時によって進められていくのです。 人が、第一の火をいただいて、人の繁栄とその歴史をつくってきたのも、時の御経綸でした。 人が、第一の火と共に、第二の火を発見して、それを扱ってきたことも、時の御経綸でした。 第二の火により、死滅の淵にたたされた現在、第三の火をいただくのも、時の御経綸なのです。

* 霊火により新しき生命をいただく

救世主様の教えは言魂であり、それは力です。 言魂は、素直に感謝の想念で受け入れる真実がないと、力になりません。 想念と言魂の神秘、すなわち、” 神火(しんぴ) ” を実践していけば、神の力が与えられるのです。 言魂を実践に移していくと、何か変わったものが生まれてきます。 その生まれたものが、” 新しき生命 ” です。 神仰をすることは、新しき生命をいただくことなのです。 神の霊火は、灯されました。 夜の世界は断ちきられて、いよいよ日月地の神世がはじまったのです。 祖霊と共に、人々の想念の救いに、救世主様の神の愛と力を宣べ伝えていきましょう。


2022年06月11日

神の霊火

* 神の愛と力を、霊の火という。 神の真実は愛と力であるから、想念と言魂の神秘を実践していくなら、そこに愛と力を与えていただくのである。 その愛と力は、神の霊火に賜った新しき生命である。

* 力は言魂によって生まれる。 言魂の力によって、相手にムスヒ(結火)ていくことは、想念に火をつけることになり、その火は神の霊火である。 神の愛と力である霊火から、真実が生まれてくるのである。

* 神の愛と力である神の霊火は、言魂と洗霊によって人を救う力となるように、仕組まれているのである。 神の霊火をしっかりと自分の想念にいただく方法が、言魂と洗霊である。

* 霊火は、人を救う神の愛と力であるから、霊火である神の言魂と洗霊を世の人々に宣べ伝えることである。 この世に神があることを視らすことである。 神を視らせれば、霊火が灯ったことになる。


2022年06月05日

 三つの力は生命力となる。

* 三六九の神秘

救世主様は、” 主神は、私に見真実をおゆるしになられた。 神の御経綸を視らしめるため、見真実をもって必要な神秘を開明する。三六九の神秘とは霊体力の意味であって、これを『三つの力』という。すなわち神である。 ”と仰せになりました。 救世主様は、見真実の神眼をとおして、” 創造は異なったものが一つに調和し、統一された姿である。 破壊は、調和し統一されたものが、分離分散していく形である。 すべての事象は、創造と破壊と、その経綸のいあらわれである ”とお開かしになりました。 神は、創造と破壊と、その経綸に働く” 三つの力 ” である霊体力をもって、御神業を進められるのです。

* 三つの力

” 三つの力 ”は、火水土の霊と日月地の体が、縦横に結んで働く神のみこころです。 みこころは神力となって、霊体力に移写(うつ)されていきます。 大宇宙にある生命は、霊体力によって構成されています。 時間や空間は、過現未(かげんみ)に縦横に拡がる” 三つの力 ”をもっています。 人の念と行は、想念と言魂と実践の、” 三つの力 ”に従っていくのです。 人生における成長や向上にも、この” 三つの力 ”が働いています。 開運や成功の鍵は、この” 三つの力 ”の作用の度合いにあります。 歓びや希望や光明は、成長や向上していく想念に働く” 三つの力 ” です。 感謝や素直や真実は、開運や成功していく想念に働く ” 三つの力 ” です。 すべての生命体は、” 三つの力 ” によって生かされて生きているのです。

* 洗霊と至善の浄化

神の洗霊にも、” 三つの力 ”が働いています。 その一つが、正邪善悪を立て分ける力です。 その二つが、浄化と改善をくださる力です。 その三つが、体主の因縁を断ち切る力です。 人生に潜んでいる不幸な原因は、神の洗霊によって表面化してきます。 これを、” 至善の浄化作用 ” といいます。 至善とは、悪い状態であっても、善くなっていくことをいいます。 浄化は至善であり、良くなるための神のお赦しです。 洗霊によって浄化をいただくことは、生命力をつけていただくことです。 祖霊と子孫の(主体による)供の因縁を解消消滅していただくことです。 新しき生命と運命を開けていただくことですから、ありがたいことです。

* 生命救いの神業

洗霊によって浄化され、その結果に神を視る力が生まれると、新しき運命が開けられて、光明と希望と歓びのある生活が実現してきます。 洗霊は、霊的生命体(本霊・副霊・守護霊)に直接作用し、生命本来の働きを正しく高め、より強め、ますます輝かせていきます。 想念と言魂と、そして洗霊は、日月地の神世への ” 生命救いの神業 ”です。 昼の世界における創造と破壊と、その浄化作用の対処と日月地の神世への歩みは、想念の転換と神の言魂と洗霊による他にはないのです。 想念と言魂と洗霊は、救世主様の御神業における ” 三つの力 ” の象徴です。 ここに、(想念と)言魂と洗霊の御神業にお使いすることによって、自動的に解決していく救世主様の見真実(神智)と、その神恩が、嬉しく、そして頼もしくいただけるのです。


2022年05月26日

三つの力

* 三六九の神秘は霊体力であって、これを三つの力という。 すなわち、神である。 みこころははムスヒであり、三つの言霊によって三魂が顕現(あらわ)された。 火と水と土であり、みこころのままに神力となったのである。

* 霊体力が、大宇宙を構成している。 火は日と生って、水は月と成り、土は地を造って生成化育される。 三六九の神秘は、日月地の顕現される。 このみこころが、人間生命に霊体力を授けるのである。

* 人間の生命は、霊体力が火水土の血と化して誕生する。 これが、救いの神業の具現する霊的神秘の実相である。 救いの御神業にしめされる生命の神秘を視れば、本性にに立ちかえって、神性人間となるのである。

* 人間生命は、神を視ることによって力が生まれる。 神を視らない三力(みりょく)のない人間には、真の力は生まれない。 神の愛と力が生命力となる、神性人間に生まれかわることである。 新しき生命ををいただくことである。


2022年05月23日

神一重と九の力を視る

* 天国と地獄は神一重

破壊と創造は、神が成された表裏一体のお仕組みです。 神の御前にには、創造も破壊も、正邪も善悪も一如です。 天国も地獄も、根元は想念(こころ)にあって、これも一如です。 救世主様は、”この世において天国と地獄は神一重であって、主の神を一重に神仰する想念が、神のみこころままにといえる”と仰せられました。 主の神をひとえに仰ぎ、神のみここをひたすら求めて、神と一如たらんと、ただ一途に神仰する想念の姿は偏でなく単でもなく、やはり神に結ばれていくことの想念状態は、「神一重」でなければならないのです。 救世主様の見真実で、一重も偏も、そして単も、みな抱き包んで「神一重」としたところに、みこころがいただけるではありませんか。

* 救いは赦されていく実践

救いにお使いすると、新しき生命を賜る ” 結果 ” が生まれます。 救いの想念を持つこと自体が、すでに神赦しの道を歩いているのです。わたしたちは、本霊を授けられ守護霊に守られ、(他のために為す)生命の賜命をいただいて、現世に生まれてくるのです。 (生命の)賜命の実践によって、想念の転換が赦されて真の希望(と歓びと創造)を一日の生活に味わっていくことができるのです。 (救いの)賜命にもとづく希望と歓びと光明を想念にもてば、苦しみにも感謝ができるのです。 救いは、浄化をとおしてあらわれてきます。浄化は、お赦しであり、救われていく姿です。 浄化におこりくる苦は、苦を力にしてのりこえる神赦しの陣痛です。

* 神の実力、ほんとうの感謝

大自然にみなぎる神の力は満ちあふれています。 これを救世主様は、” 神の実力 ” と仰せられました。その神の実力を離れては、十全の力は発揮できないのです。 神の実力は、神の愛と力に結ばれて、想念を器に化育されていきます。 救世主様は、” 神は、苦の力で想念を化育され、人の本霊を育てられる。苦しみをのりこえての感謝でなければ、ほんとうの力にはならない。 真の感謝は、苦に対する感謝ができて、力が誕生してこそ味合える。 苦を逃れようとする想念は、苦に対してまったく無力となり、無力であれば、自分の生命力をも無力にしてしまう ” とおおせられたのでした。

* 九の力が移されて

救世主様は、” みこころのままにの、一重の想念に「 九の力 」 が移される。 九の力をいただけば、祖霊と共に、日月地の神世に生きる御賜命をいただくことになる。 ”と、仰せられました。 九は、多い、究極、無限の意味をもっています。 九の一画を内にハネ込めば、力となるのです。 神は、大愛のみこころといただけば、力となるのです。 神は、大愛のみこころによって、苦の形をとおして、苦の力をくださいます。 九の力は、霊体そして縦横を結んで生まれてくる ” 創造の力 ” となるのです。 この神理を、実践に移していくのが、神仰です。 神にムスヒ(結び)て生まれる神秘な” 苦(九)の力 ” の仕組みを視って、救世主様のみこころ ”神一重 ” を神仰生活に味わっていきましょう。


2022年05月19日

神一重

*自然の仕組みは、破壊の裏に創造があって、表裏は一体である。 これを霊的に解けば、正邪善悪は一如である。 天国と地獄は別のようで、実はその根元が想念であり一如である。 この神理を視ることが、神仰の女妙諦といえる。

*苦楽を一日の生活のなかに味合っていくと、苦しみにも愉しみにも感謝ができる。 苦しみのない感謝などは、ほんとうの力にはならない。 真の感謝は、苦に対する感謝ができてこそはじめて味合える。

*苦を逃れようとする想念は、苦に対して無力となるのである。 苦に対して無力は、自分の生命力を無力にしてしまうことになる。 苦労することに喜びがなく人生にも感謝もできなければ、真の力は想念に生まれてこないのである。

*神は、苦の力を与えられて、本霊を育てられる。 苦(九)の力が、神にムスヒて生まれる神秘な仕組みである。 神の実力を離れて、人智をもっていかにしても、九分九厘であることが、わかっていないのである。


2022年05月15日

祖霊と共に 祖霊と共に新しき運命をいただく

* 新しき運命に生まれかわる

救世主様は、”救世主教は、日月地の神世創造の御賜命をいただいて、ここに誕生したのである。 日の働きと月の働きを結んで、地の賜命(土の力)をいただく神仰である”と、仰せられました。地の賜命とは、救世主教の本命である、現界で片がつけられていく土の御神業の事をいいます。 これを救世主様は、”時の御神業(神仰)によって古い運命を断ち切って、(祖霊と共に)新しき運命に生まれかわることである”と仰せられたのです。 新しき運命は、利他の想念による霊主の生き方をいいます。 新しき運命の扉を開けると、想念と言魂に神力うをいただいて、神が秘められた真相を視ることができます。

*神のみこころは光りとして視せられる

神のみこころは、愛と力の言魂をとおして移され、感謝と素直の想念を器にして写されて、光として視せられます。 救世殿にお鎮まりになる大光明主神の御神文字は、このことを表徴しています。神のみこころは、想念と言魂をとおして、その神秘を視らされます。 日月地祝詞や善言讃詞、それに御讃歌に秘められているみこころは、言魂で奉唱することによって霊智をいただけるのです。 救世主様は、”霊智をいただいて祖霊と共に救いにお使いし、祖霊と共に浄化を赦されていきなさい”と仰せられました。 想念と言魂と洗霊による救いは、霊界に積まれてきた体主の因縁を浄化して、そして解消していく、もっとも善い実践です。

*浄化は救われていく姿

言魂と洗霊の神業にお使いして救うものは、浄化によって霊体の因縁が救われていくのです。 霊界にあるものが限界に移され、体に写ってくる形が浄化です。 その形の ”片をつける” のが、想念と言魂と洗霊の御神業です。 浄化は片がつけられていく形であり、救われていく姿なのです。 救世主様は、”浄化は、感謝と歓びでいただくもの” と仰せられました。 祖霊は、わたしたちがみこころに添って生きていくことを願っています。 子孫の救いと浄化は、善き心言行となって、祖霊のもっとも歓びとするところとなります。 みこころに添って感謝と歓びで生きることは、浄化によって祖霊と共に救われていく、霊主体従の神性人間の姿ではありませんか。

*祖霊と共に

朝に夕に唱える日月地祝詞は、祖霊には救世主様のもとに赦されていく道しるべの光となり、結ばれていく絆となります。 善言讃詞は、祖霊にはあたたかい衣となり、おいしい食べものとなります。 祖霊は、わたしたち子孫の想念のなかに生きて、いつも良かれかしを念願しています。そして子孫の運命にみずからの念を託し、子孫の体をとおしてその実現を願っているのです。 神のみこころに応えられる想念と、その実践ができる心と言と行の一致の姿を、”神のみこころが成った姿”といえます。 神のみこころに成れば、祖霊と共に永遠の生命が自覚できるのです。


2022年05月07日

祖霊と共に

*唯物的では、目にみえることの他には、何も知らない人生となるのであり、この人間性に神の光を与えるのが、神の神仰である。 祖霊と共に、想念に神力を賜れば、子孫の賜命が自覚されてくるのである。

*祖霊と共に参拝して、奉唱する日月地祝詞と御讃歌にみこころを賜り、これが霊智ととなる。 霊智によって霊界と現界を視り、祖霊と共に救世の賜命を赦されて、永遠の生命を視るのである。

*神の言魂によって想念に真実が育成され、人を救うことで、祖霊と共に因縁が赦されていくのである。 神の使徒として人を救う子孫の神業に、祖霊には特別の神赦しが与えられるのである。

*神は、救うものを救われるのである。 救いで祖霊と共にかわれるのであれば、他に何をか求めん。 救いの想念をもって、”祖霊の念願は、私の生涯に叶えます”と念ずれば、かならず祖霊に通じるのである。


2022年04月23日

土の力をいただいて真実になる。

* 土の力をいただく時

縦と横、霊と体を結ぶイズノメの神言によって、” 限界において進められる土の力” の御神業が誕生しました。 救世主教の降臨された神は、正邪善悪を立て分け、新しき生命をくださり、真実の世界を創らんとされる救世の力(救世主)です。 救世の神である救世主を、救世主様と申しあげます。 救世主様は、土の力によって神の審判をされ、正邪善悪を正されます。土の力で生成化育をつかさどられ、浄化を与えられるのです。 土の力をいただいて、想念の転換し拡げて、霊性を高めていくのです。 土の賜命にお使いして、因縁が片がつけられることを実生していくのです。 救いは、神の言魂と洗霊にお使いし、現界の主形である土の力によってみせられるから、理屈は要りません。

* 土の力と真実

すべての存在と生命を抱いているのが、大地です。 大地は、土でつくられています。 土は、すべてをはぐくむ母の働きをします。 真実になるには、土の力をいただくことです。 人智による真実は、見せかけのものが多いものです。 神がお求めになるほんとうの真実は、霊智によるものです。 真実は、神界の真相が幽界の実相と成って、現界にその真相と実相が土の力によって写されたものです。 真実による日月地の世界を創造していくことが、土の力の御神業と御賜命ですから、真実にかわることが救世の御用にお使いいただく道です。 土の力である真実は、人に求めたり、他に期待したりするものでなく、みずからの想念の大地にいただく霊智で確かめるものです。

* 真実になることは神仰の目標

救世主様は、

” 己に真実とは、心に疚しいところがなく正直であること ”

” 人に真実とは、人には真心と誠実をもって接すること ”

” 事に真実でなければ、ほんとうの歓びは生まれこない ”

” 神に真実であれば、運命は自ずと明けて開かれていく ”  と仰せられました。 真実がなければ、御賜命を果たすことができず、物事も成就しません。 真実がたりないと感謝ができず、よくない因縁が積まれていき、運命を開けてかえることはできません。 善い因縁を積んでいくには、真実の想念になることです。 人生において ” 生まれかわる ”とは、真実になることをいいます。

* 創造と結びと完成、 これが土の力

強い想いを、一般には信念といいます。 神仰では、このことを真実といいます。 信念や真実は生命に直結されるもので、それは想念となります。 想念、 これが生きる力となります。  救世主様は、 ” 七は土の力であり、完成を意味する言霊である。七すなわち土は、結びと創造の働きをする言魂である ”とお開かしくださっています。 土の力から、結びと創造と完成の力をいただく実践をしていきましょう。 救世主様は、感謝と素直による真実の想念に、みこころをくださいます。真実の想念で因難をのりこえたときに、ほんとうの歓びが与えられます。 強い信念で土の力、真実をいただくのが神仰の目標です。