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言霊は神なり  言霊は神なりを想念にいただく

2023年09月24日

言霊は神なり  言霊は神なりを想念にいただく

* 言霊をいただいて働く想念と言魂

救世主様は、”言霊によって、神秘な神の扉は開けられていく。 この神事が、惟神に時定まって、救世主教は誕生した。 救世主教とは、救世の力を教える意味である。 救世の力とは、救いの御神業のことをいうのである。 救世の神は、言魂によって、いつどこにでもたたれて、救いの神力をみせられるのは、想念と言魂の神秘である”と仰せられました。 言魂による想念と言魂で、神の御経綸は進められていくのです。 言魂をいただく器が想念であり、その想念から発する言葉が言魂となります。 御神前に額ずいて柏手をうち、願言を称えて、音と言とで神に結ばれる姿は、言魂による想念と言魂の神秘に他なりません。 日月地祝詞の奏上や御讃歌の奉唱は、言霊である神に結ぶ型であり形です。

* 言霊に結ばれていただく生命と賜命

人は、想念を器に言霊を受けて、神の代行を赦されますから、言霊が止まる”霊止”なのです。 霊止である人の賜命は、生命の賜命を果たすことです。 賜命は、命を賜ることであり、生命をいただいた賜命とは、救いのことです。 賜命と生命と救いは、言霊と想念と言魂にいただく神のみこころです。 賜命をいただくことを、「力の誕生」といいます。 神の力を、人生で、事実にみせていくことをわすれてはならないのです。 言霊に結ばれた生命の賜命を、想念と言魂と洗霊の御神業によって霊智していきましょう。 霊智によって、事実を形にみせられて型ですまされるところに、救世主様の御神業の本命があるのです。

* 言霊の働きは時の御経綸

みこころは、げんれいによって想念に移されて、言魂となります。 御神業は、言魂でみこころが想念に移写されて、言魂の力となる神業ですから、言魂が救いの力となることを、みずからが事実で味合うことです。 言霊は、時の御経綸に働きます。 このこからも言霊と想念と言魂と、そして運命は切っても切り離されない関係にあることがわかります。 言霊に結んで言魂にだすと、本霊の眼が開いて感謝と歓びが生まれ4,想念に明るさと楽しさがみなぎってきます。 これが、神の審判をいただいた姿なのです。 神の審判をいただくことにより、想念に感謝と歓びと、明るさと楽しさが赦され、邪心が消されていきます。

* 言霊に結んで実生する神業

”言霊は神なり”をいただいて、想念と言魂の御神業にお使いし、光明と希望と歓びの救いをめざすことが神仰の実践です。 神がなさる救いを、人間界で赦していただくのですから、救いの使徒として生きがいと歓びをもつことです。 救世主様は、”人を助けることをせずにして、自分が助かりたいと思うことは邪心である”と、戒めの御言魂をくださっています。 救うものは救われていくのが神理ですから、救いにお使いしていけば、神はかならずや大愛のみこころをくださいます。 運命を開いて体主の因縁を解消していくには、救いの想念をもつことです。 邪念を取りはらって正しい想念をもつには、神の言魂をいただくことです。 霊体の健と康をたもち生命力をつけるには、神の洗霊をいただくことです。