救世主教の教え

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教団時報

2023年04月03日

4月のみこころです。

広報係の担当者が毎月製作しておりますのでご案内いたします。

             

             


2023年03月04日

九十九(くとく)の密意をいただく

* 九十九の密意は時のみこころ

救世主様が仰せられた時の言魂に、” 九十九の密意 ”があります。 この言魂は、時いたるまで明かされなかった、御神意であったのです。 救世主様が明かされた ” 九十九の密意 ” とは、神扉開明であり、天の岩戸ひらきであり、言魂と洗霊によって視らしめられる救いのみこころでした。 ” 九十九の密意 ” が明かされることにより、祖霊と共に霊界の因縁と霊的正邪の浄化が赦されたのです。 ” 九十九の密意 ” を霊智することによって、正邪善悪の真相を視る分別の眼が与えられるのです。 ” 九十九の密意 ” をいただけば、九の力を分け合う救いの本命が誕生して、神の絶対愛と絶対力による救世賜命にお使いいただけるのです。        まさに、 ” 九十九の密意 ”は、時のみこころではありませんか。

* 九徳と九解の想念

人のよかれを思う想念に赦される言魂と、その力をもってしめす真実の救いを、救世主様は  「 誠の真実 」と仰せになりました。 ” 九十九の密意 ”には、 「 九徳 」や 「 九解 」のみこころが、言霊の働きをとおして蔵(かく)されています。 「 九徳 」は、やわらかな寛い想念、うやまい恭む想念、毅然としたなかにも思いやりのあるあたたかい想念、いさぎよい想念、みんなのために真心をつくす剛い想念を意味していることが、お言魂をいただくとわかってきます。 「 九解 」は、苦を解くに通じて、苦から解き放たれるだけでなく、苦をのりこえ、苦を力にかえていくことができるのです。

* 九十九は浄化と創造の力

霊主の生き方をすると霊智が生まれ、苦の力が移され、九の力を育てます。 九十九(苦と九)の力は、体主の想念に起因する我・執着・慢心による病貧争の因縁にふりまわされることなく、善い因縁をつくっていくのです。 これを救世主様は、” 惟神に一重に神に結んでいけば、九の力が移されて御守護となる。病貧争の因縁に苦しむことなく、祖霊と共に(健富和の)三六九の神世に御賜命をいただくことになる ” と仰せられたのです。 神は大愛によって、苦の形をとおして九の力をくださいます。 苦を(良くなるための)浄化といただけば、力となるのです。 苦の力は、因縁の浄化清算の、対応の力です。 九の力は、霊体・縦横を結ぶ創造の力です。 神仰実践をすることで、苦と九に秘められた神理を視ることになるのです。

* 苦と九の力を実生していく言魂

救世主様は、九の力となる苦について、                         苦に対する感謝ができて始めて力が誕生して、真の感謝を味わう。              苦労に歓びがなくて人生に感謝がなければ、真の力は生まれない。              苦に対して無力なのは、自分自身の生命力をも無力にしてします。              生命は苦によって九の力をいただき、成長をしていく真相を視れ。              苦を分け合う相愛の九十九は功徳の意に通じ、感謝の想念となる。              苦を逃れる想念では九徳も濁って九毒となり、想念の誤濁となる。  と仰せくださっています。九十九の密意にいただく九と苦の御神意は、深く味わって実践に移し実生していくお言魂です。 まさに九十九の言魂には、みこころが込められているのです。


2023年03月04日

九十九(くとく)の密意

* 人間世界には、霊的正邪の浄化作用がある。 その真実が、わからないだけでのことである。 この神秘を明らかにして、正邪善悪の分別を与えられる九十九の密意が神の福音である。

* 救いの真実に、霊智が授けられる。 霊智によって成長する生命こそ、神のみこころに結ばれた新しき生命である。 その新しき生命が誕生するのは、九十九の密意によるのである。

* 自己を本位とした私心私情に、因習的な人間性が育成される。 かくして、人の目口に心が引かれる目先と口実の人智が発達して、真実がわからねくなり、不幸の因縁を累積していったのである。生命を無視する精神には、九毒の邪念が生まれるのである。

* 正邪の審判と分別を与えられる神の大愛によって、祖霊と共に霊界の因縁を赦される九十九の密意を、言魂と洗霊によって視らしめられるのである。 九十九は、永遠の力を意味する時の言魂である。


2023年02月23日

節分 (こころの鬼)

こころの鬼の存在を視った私たちは、 「 神は内 」の神言で、その「 こころの鬼 」を退治(転換)していきましょう。

    

「 節分 」の「 花豆撒き 」と「 神は内、福は人 」の唱和は、私たちの想念の切り替えとなる。

    

救世主様の愛と力をいただく大切な神事です。

    


2023年02月13日

新しき生命の神の扉をひらく

* 神事・天の岩戸ひらき

救世主様は、神の扉を開ける神事を ” 天の岩戸ひらき ”と仰せられました。天の岩戸ひらきは、夜の世界終わり昼の世界が訪れ、体主から霊主に変わる時の大転換なのです。 想念に光明と希望と歓びをもたらす、昼の世界をつかさどる救世の神が御降臨された、大神業をいいます。 天の岩戸ひらきは、神の扉を開けて、本命の誕生をいただくことです。 言魂と洗霊の御神業によって神の扉をひらいて、新しき生命をいただくことです。 時くるまで秘められてきた真相と実相を開けて、明かしていく神秘開明のことであったのです。 それは、言魂の力によってひらかれる大神言の神業です。

 

* 神の扉をひらいていただく新しき生命

天の岩戸ひらきに重要なことは、想念です。 御賜命と御守護をいただいて、日々を生かされている感謝の想念をもつことです。 言魂と洗霊によって体主の因縁は清算され、霊主の因縁が新たに清産されていくことへの歓びの損念をもつことです。 想念は、みこころが移り写ってくる鏡ですから、相愛による救いの想念をもつことです。 天の岩戸をひらくことによっていただく新しき生命は、革たな生命・ほんとうの生命・永遠の生命をいいます。 神仰に結ばれた生命こそ、神の扉である天の岩戸がひらかれて、そしていただく新たな生命ではありませんか。

* 天の岩戸ひらきは生命創造の型

物の生命は、科学によりわりましたが、霊的生命は、神仰による霊智でなければわからないのです。 救世主様は、” 御神業によっていただく生命が、新しき生命力である。 神の洗霊によって生命に力が与えられ、日に新たな生活力を賜ることは、生命の革命である。 革命とは、命を革たにすることであり、平凡な日常生活の中にこそ実現していくものである ”と仰せられました。 生命の革命(新しき生命)に必要なのは、次の想念です。 生と命は、神から賜わっていること。 生命には、救いの賜命があること。 生命には、神の絶対的恩恵(御守護)があること。

* 神の言魂と洗霊による因縁の清産

新しき生命は、言魂と洗霊によっていただけます。 その生命力は、日に新たな生活力をはぐくむことになるのです。 これが、天の岩戸ひらきの姿です。 救世主様は、” 祖霊に身替わって賜命を果たすことが、人生の因縁である。 身替わりとは、祖霊の罪や過ちの報いを受けることではなく、子孫の生命に祖霊の念願が移され、型となって片づけられ赦されていく神の救いである ”と仰せられています。 救世主様は、言魂と洗霊によって新しき生命をいただくことを、” 天の岩戸開き ”と仰せられました。 新しき生命をひらく天の岩戸ひらきの実践は、神の扉を開けて新しき生命力をいただく御神業なのです。


2023年02月04日

神の扉をひらく

* 日月地の神世となったことを明らかにする大神業が、天の岩戸ひらきであり、神の言魂で大神言の神業がおこなわれるのである。 これは、時の大転換がおこなわれる経綸にみせられた神事である。

* 人間の生命とその由来を視ることも、生命の岩戸ひらきである。 夜の世界において知ることのできなかった祖霊の念願をみせられ、生命の実相を視るのである。 祖霊と共に因縁の岩戸をひらいて、因縁の神赦しを賜るのである。

* 霊界は想念の世界であり、現界と表裏一体である。 霊と体は、合わせ鏡となって、向かいあっているのである。 生命の天の岩戸をひらくことによって、生命の神秘が明らかになるのである。

* 今や、昼の世界になっていることを霊智することである。 霊界の実相は、現界の事実となるのであるから、因縁の岩戸をひらくことが肝心でである。 生命と因縁の天の岩戸ひらきは、神扉開明でなくて何であろう。


2022年12月31日

本命の誕生の時がきた

* 時の力となる本命誕生

昼の世界をつかさどる神のご出現が、神誕生(下生)です。 下生された神は、真相と実相を開けて、因縁を、この限界で形にあらわして片をつける神です。 人の本霊と本命のに下られ、愛と力の審判によって、立て替えと立て直しをされる救世の神です。 神は、人に生と命を移して、本命の誕生とその働きを期待されるのです。 本命の誕生とは、神からいただいた生命を、ほんものにする実践をいいます。 本霊をいただいても、救世賜命に仕えなければ本命誕生にはならないのです。 救世主様は、” 自己本位に生きる生命から、救世賜命に与えられる本命に生きなさい ”と仰せられています。

* 本命と新しき生命

神定めの賜命と、みこころに経綸される時の御神業は、救世主教にいただく御神命であり、それが本命です。 わたしたちの本命は、救世の賜命によって、新しき生命をいただくことにあります。 それは想念の転換をして、昼の世界の住人となることにあります。 そして、霊性の向上をはかって因縁をとき解(ほど)くことにあるのです。 救世主様の神業によって、霊界に積まれてきた夜の時代の因縁は、神の審判である神の救いを受けて、祖霊と共に赦されていくのです。 因縁は形となって、片をつけていただける時がきたのです。 救世主様の御神業は、浄化による立て替え・審判による立て分け・賜命による立て直しの神業(かむわざ)なのです。

* 本命に生きて創る日月地の神世

霊性が高まり、救いの想念がはぐくまれてくると、救世賜命にお仕えすることができます。 救世賜命にお使いすることにより本命が誕生すれば、夜の時代に積みあげられてきた因縁は片づけられていきます。 本命の誕生が赦される」日月地の神世では、因縁は報いの対象ではなくなり、御賜命を果たすよりどころとなります。 新しき生命をいただき、新性人間となって体主の因縁を解消し、霊主の善因を積んでいくことこそ、これからのわたしたちの本命です。 この本命に努力すれば、浄化のうえに歓びと希望が湧きでて、生きる力がいただけます。 本命に生きて創るのが、光明かがやく日月地の神世です。

* 永遠の生命こそ神仰の本命

本命に生きることは、神の審判をいただいた新しき生命の姿です。 神の審判をいただいて本命にお使いしていけば、祖霊と自己と子孫の運命は弥栄(いやさか)にひらかれていくことになります。 救世主様は、” 目に写る事象のみに終始して、生命の本質を知ろうとせず、物質に依存し執着すれば、生命を軽んずる人間性が成長する。 それは、人間の本命がわからなくなったことに原因する ”と仰せられました。 本命によみがえって、その賜命を果すことは、体主の因縁の清算と霊主の因縁の清産となります。 因縁の清算と清産、それは新しき生命の誕生であり、ほんとうの生命である永遠の生命をいただくことになります。 それが、神仰の本命です。


2022年12月31日

本命の誕生

* 神と人間の関係にもっとも重大な律法は、霊主体従の法則である。 これを具現するのが、人間の本命である。 本命が誕生すれば、因縁は祖霊の身代わりでなく、浄化していただkぃ、共にゆるされる対象となるのである。

* 救世賜命によって誕生する本命は、祖霊から累積された正邪善悪の清算である。 自己を本位として生きる仮の世の生命は終わりを告げ、ほんとうの生命を救世賜命によって与えられる本命の時となるのである。

* 本命は、神のみこころに仕えて、真実になる魂の命(みこと)となるのである。 本霊をいただいていても、救世の賜命に仕えなければ、本命にはならないのである。 神は、人間に生を与え、命を移して、本命を授けられるのである。

* この世の生命は、自己の想念次第である。 想念に生まれるいっさいの始めは、霊的に無から生まれ、言魂によって力がつき、行いによって結果となるのである。 人生の終始は、想念にあると視るべきである。


2022年12月07日

節分けの時を視る

* 御神業の節分け・神世の紀元

救世主様は、”救世主教のい誕生とその御神業は、神世の紀元となる大節分けである”とおあかしになられました。 神世の紀元とは、日月地の神世の誕生であり、それは日月地の神世創造の節分けを意味しています。 救世主様は、神世の紀元となる節分の御神事を、”日月地の神世を打ち立てられるときとなって、主神は私に本命の誕生を赦された。 私は、神が自由に使われる器として、ここに御神意のままに奉仕をする新しき生命を賜った”と仰せられて、節分けの神事によって救世主の本命が誕生されたことを、おあかしになりました。 御神業における節分けは、夜の世界からの転換であり、霊主の想念に切りかわることであり、昼の世界をつかさどる神の誕生であったのです。

* 節分の神事と神言

時が到来したのです。 時いたり、霊界でおこなわれてきた正邪善悪の審判が、昼の世界への節分けのい時をもって、いよいよ現界に移されてくるのです。 これが、言魂と洗霊の御神業です。   救世主様は、”日月地大御神様は大元霊にして、神三言をもちて世界を創られた。        一言の言霊から神三魂が誕生し、火と水と、その力が生り成りた。              二言の元霊から高天原が生まれ、日と月が顕現し天地が造られた。              三言の元霊から言魂神が誕生し、霊と体の世界に立て分けられた。              この神言を節分けという”と節分の神事を御聖言(神言)としてくだされたのです。

* 花豆と神は内!福は人!

節分に見る赤鬼・青鬼の姿は、火と水と力をあらわしています。 赤は霊であり想念を、青は大であり物質を、そして金棒は審判の力をあらわしているのです。 魂から言を抜くと、鬼になります。 鬼とは、正神の働きである言魂であったのです。 救世主様は、”神を無視してきた根本の理由を視らねば、物事の正邪善悪はわからない。 節分に秘められた正邪の審判が、救世の大神業である”と仰せられました。 救世主様が成った節分けの神事により、夜の因縁は消滅していくと共に、炒り豆に、奇蹟の花が咲く神世が生まれたのです。 神の愛と力の味愛のある花豆を「 神は内!福は人!」と撒くのです。

* 本命の誕生

昼到来の神事が、節分けの御神業です。 節分けは、本命の誕生を迎えた時をいいます。 本命は、神のみこころに仕えて真実になる魂の命(みこと)ですから、本霊をいただいても救世の御賜命にお使いしなければ、本命にはならないのです。 人の救いに役にたつことができれば、それが本命の誕生です。 時の御経綸によって、霊界の実相が現界に移されてくるのですから、本命をいただかなければ、新つの生命体には成らないのです。 本命の誕生が赦されると、それにともない、祖霊のもつ体主の因縁も、共に消滅していくのです。 これが節分を境として、現界で行われる「 神の審判 」という御神業であったのです。


2022年11月03日

 節分け

* 今や時いたりて、常立神がいよいよ限界において正邪善悪を審判される節分けとなった。 これも神世の紀元を定められた時の御経綸であって、いっさいは限界に移されて、その実相をみせられる神秘な御神業である。

* 霊界の審判が現世に移されて神の密意が開かされ、善は栄え悪は滅する。 左進右退のリズムに経綸される昼の世界となるのである。 節分けを期して、夜の世界に累積されていた実相は消滅していく。 節分けに秘められた正邪の審判が、救世の大神業となるのである。

* 節分けの言挙げは、神は内・福は人であり、神力が内に宿れば人に幸福を与えていける。 救う者は救われるとは、その御神意である。 この真相が理解できて、生き徃く真の楽しみを視ることができる。

* 夜の体主の因縁を、現世に移して片をつけるのである。 いっさいの原因は霊界に累積されて、その実相が限界に移されるのであるから、節分けで霊界のことを明かしていくのである。 新しき神世の創造は、人類の危機を救う節分けの神事である。