救世主教の教え

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体験談

2022年05月30日

仕事のなかに神仰即生活を感じて その2

この歳で、常勤の仕事に声をかけていただけるとは思っていなかったことと、ヘルパーの友だちが、「 自分たちヘルパーの意見や思いを事務所は理解してくれないから、常勤となって仕事のしやすい、楽しい職場に変えるきっかけになって欲しい 」と言われて事が決め手となりました。 所長さんからも、「 できれば御神業を大事にしてもらいたいので、今のままの仕事をと思うが、生活をしっかりさせることも大切、求められてのことだからがんばってみたら 」と言ってもらい、子供たちには朝早くでて、帰りは遅くなると伝えると、「 いいよ。協力するよ 」と答えてくれました。

仕事を始めて、四ヶ月が過ぎました。 ヘルパーの仕事は違い、一人ではできない、とても大変な仕事だと感じています。精神的なストレスが強く、体を壊す職員も多いとのことです。 我を張ったり、慢心があったり、人や事に執着していては成り立っていかない仕事だと気づきました。 職員さんたちを外から見ていた、ヘルパーとしての私の考え方は、間違っていたと反省することがたくさんあります。 中に入ってみて分かったことを、私のように勘違いしているヘルパーさんには伝え、ヘルパーのことを分かっていない職員さんには、そのことを分かってもらえるように、私の役目を果たしていきたいです。

続く


2022年05月26日

仕事のなかに神仰即生活を感じて  その1

私はヘルパーの仕事をしながら、空いた時間や参拝に合わせて休みをもらったりして、できるだけ御賜命にお使いするようにしていました。介護する時間だけ、ご利用者さん宅ににいって支援する仕事ですから、お休みをもらうときは代わりのヘルパーさんがいってくださるので、わりと休みを取りやすい環境でした。

しかし、昨年の3月末、急に常勤の仕事をしないかと声をかけられました。うれしかったのですが、悩みました。常勤になると今までのようには、朝参会や研鑽会の参加が難しくなってくるからです。 ちょうどそのころ、神徒さんの言挙げで、「 神仰も大事ですが、まずは生活の基盤をしっかりとさせることも大切なのではないでしょうか 」 ということを聞き、自分はどうだろうとおもっていたときでもありました。

常勤になるかどうか、その日の夕方までに答えを出さなければいけなかったため、所長さんに言挙げして、また、子供たちや共に仕事をしてきたヘルパー友だちにも相談しました。短い時間でしたが、悩みに悩んで常勤の仕事をさせていただくことに決めました。


2022年05月16日

生きる喜び 4

そして今年4年目。 先日の検査では何にも説明がありませんでした。どうしたんだろうかと思い先生に 「嚢胞はありますか?」と尋ねました。 「あります」と一言だけ。正直なところ嚢胞は消えているんじゃないかと勝手に思ったのです。 その上、年2回の検査が1回になりました。 最長8年かかって膵臓がんになった患者がいるのだから、簡単に消えたとか検査不要などと言えないのだろうと勝手にまたもや考えたのです。

少しだけ光明がさしてきた気がしました。 完全に大丈夫ではないけれど己に大丈夫と言い聞かせ、前を向いて生きていきたいと考えるようになりました。暗い気持ちになれば前を向けず下を見なければならない。 明るい気持ちとまではいかなくても、前を向こうと思えば気持ちが「しゃっきっと」します。 自分の気持ち(想念)次第なんです。 そのことに気づかせてくれたのが神仰でした。

ハニーローザの植木は私にとっての新しい一歩なのです。毎日の小さな喜び、小さな愉しみが、やがては大きな喜び、大きな愉しみに変わるよう神(救世主)様の御賜命に仕えていこうと思います。 そして私を支えてくれる人達に感謝を忘れず。 今度は来年に検査です。 あるがままを受け入れ強い心(想念)で挑もうと思っています。

 


2022年05月12日

生きる喜び 3

3年目の春も現状維持。「まぁ、こんなものか」と内心思いながら帰路に。 4月になって私の置かれている環境に変化。 神仰のお勉強が好きなだけ出来る環境になりました。 もちろん布教も大事な神事です。 しかし教えが頭にない私にはお勉強が出来ることは喜びでした。

救世主教の真髄を聞く、視ることは愉しいことです。 まずは神のみこころにそうこと。神の目から見て正しい行い、考えにそうことが大事ということ。 神の律法です。 そして、浄想念(そうねんをきよめる)の言魂を戴きました。

3年目の2回目の検査。 いつも通りの検査が終わり医師からの説明。 毎回ドキドキして血圧が上がっている気がします。 「消えるかもしれない」と言われました。 細かい説明もありませんでした。 普通なら質問するのですが意表を突かれ唖然となってしまいました。 診察室を後にしてから、いろいろなことが頭の中を駆け巡ります。

「確か100%の悪性だったはず。いや、100%がん化するんだったよな」と。 まだ喜べない。完全に消えるまでは。 でも奇跡的に消えることがあると捉えました。 この頃は御賜命に一生懸命でした。 賜命に仕えることが愉しくあり、生きている実感、生きる喜びを日々感じていました。

救世主様は命をくださるわけではありません。 救世主様は病気を治してくださるわけではありません。 しかし、私に生きる力、生きる喜び、生きる術、光明と希望を与えて下さいました。    願い(念い)を持ちつづけ、賜命にお仕えして御守護を賜る。 そのことをお勉強していく中で気づきました。   4年目には少しだけ強くなった自分がいました。

 

 


2022年05月10日

生きる喜び 2

お先真っ暗な私は神(信)仰に向き合いました。 それまでは神仰をかじる程度だったように思います。そして私の現状を所長にお話ししました。

開口一番  「救世主様は、まずは、命をくださる」と言われました。私は半信半疑のまま神仰を頑張ろうと思ったのです。 とにかく先のことは考えないと決めて出来ることから始めようと思いました。

救世主教の基本は「言魂と洗霊」ですのでまずは朝参会励行。所長と一緒に布教へ行ったり自分の出来ることを頑張りました。 2年目の春に検査。現状維持。 良くもなく悪くもなくの状態。  5月に体調が悪く病院へ行きました。血圧の上の数値が80台から140台で不安定でした。体がきつくて吐き気がありました。 血圧の薬が合わず頭痛があり他の薬に替えてもらいました。次は狭心症の発作が度々あって余計に体調が悪くなってしまいました。 心筋梗塞の疑いがあるということで至急検査が必要となり不安しかありませんでした。

御洗霊は素晴らしいと伝えている所長は、私の為に時間を作り、私に寄り添って下さり、とても有難いでしたが時には体を休ませたいと思うことがありました。 顔色も悪く体がしんどかったのです。 そして検査。その日に限って血圧安定、心筋梗塞も大丈夫。薬のせいで心臓に負担があったのだろうと。 結果オーライで考えると御洗霊は正解だったのだなと思いました。

神仰を頑張らなければと思う反面、神仰の中身が解らず、どう理解していいのか正直わからないままでした。  いよいよ3年目。大きな変化が起こりました。

 


2022年05月06日

生きる喜び

庭に柿の木があります。太秋柿です。 10年を過ぎた木で大事に育ててます。 そして3月にハニーローザ(すもも)の木を植えました。 前々から欲しかったのですが長い間諦めていました。   というのも4年くらい前にお腹の調子が悪く病院に行きました。

盲腸の腹膜炎になるかもという診断でしたが幸いにして大丈夫でした。 でも、いろいろな検査をするなかで、膵臓に嚢胞が見つかりました。 わかりやすく言うと膵臓がんの卵のようなものです。 医師に「100%がんになります。最長8年かかって膵臓がんになった患者がいます。」と言われました。 そして嚢胞の場所、大きさ、長さの説明。 正直最悪だと思いました。よりによって膵臓がんなんて。

その時から私は自分の未来を考えなくなり、将来なんてないものだと諦めたように思います。  もちろんハニーローザの木も諦めたのです。 長い年月をかけての物作りは諦めるしかなかったのです。 いつ、がんになるか不安だったので。 植木をやめて、春に植え夏頃の収穫、秋に植え冬頃の収穫という短いスパンの家庭菜園に切り替えました。

傍から見ると私は元気に見えます。 心臓も少々難ありです。 ただ一つだけ不思議なことに、「どうして私が?」「何で私なの?」とは思いませんでした。 今でも不思議です。こうして心に不安材料を抱え、3年先、5年先が 全く見えない人生が始まりました。

「生きたい」という心の叫びを救世主様は、御賜命に仕えることで叶えてくださると 思っています。

 


2021年04月19日

御守護の有り難さを改めていただいて 2

私自身、外資系の会社ですが数年前の金融危機のためアメリカ政府の公的支援を受けることとなり、会社自体の存続、また、大幅な人員削減の恐怖に、毎日寝つけない日々を過ごしていました。その時は、ニュースを他人事の「型」として、自分視せられている思いでした。私は、大学を出てある会社に入社して働いてきましたが、17年目の40歳の時に経営破たんし、外資系の会社に買収されることになりました。それを機に、私は国内の金融機関に転職しましたがその後に外資系の会社より誘いを受け、かつての同僚がいるこの会社に再び戻る決断をしました。

     続く


2021年01月31日

人のために生かす生命を賜って その3

明日の生命ともわからない私に、このような素晴らしい歓びを与えてくださりありがとうございます。私の周りには、いろんな人たちがいますが、私たちは年金で生活ができて、何不自由なくこうして暮らせるのも神の御守護であり、救世主様に育てていただきました見えないちからそのものだと思います。

これからも、まだまだ体の不安がちらつきますが、神の為されるまま素直に神力をいただいていきたいと思います。今できること、日々神に結び、朝夕拝、大祭、神祭などに結んで、祖霊から子孫へと縁の糸で結ばれた歓びを伝えていきたいと思います。そして、遠距離の神徒、身近な神徒さんへの声掛けや「救世」の配布など、できるところからお使いいただきます。  数々の御守護を賜り、幸せに過ごさせていただいていることに感謝して、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

             


2021年01月17日

人のために生かす生命を賜って  その2

しかし、六十代後半にして突然、生死をさまようような大病に冒されました。時間の問題とまで言われ、教会長さんに言挙げしました。すぐに駆けつけてくださり、御洗霊を賜り特別神救いお願いをさせていただいて、一命を取り留め、今はこうして御賜命をいただいております。

若いときの念願であった、世のため人のために一生を捧げさせていただきますとの救世主様との誓いは、現在に至っております。食生活では、地域の男性料理クラブで調理の研修のお手伝い、伝達、また踊りでは、高齢者センターの四十数名の皆さんと触れ合って、公民館二ヶ所で二〇数名の指導と目まぐるしく過ごしております。昨年十一月、公民館にて外国アジア青少年団との民謡の交流会が行われました。十八歳から二十二歳までの若くてきれいな娘さんたちと、アジアの民謡を教えあいました。私たちは、おはら節をいっしょに踊り、交流のひと時を過ごしました。

                

また、老人ホームなどの慰問も次から次に声がかかり、昨年は七ヶ所行かせていただきました。ホームのみなさんは高齢者で私と同じ仲間だと思うとき、「 救世主様ありがとうございます。」とお礼を言います。仕合わせに人の心に愛の花を分けてあげられることがうれしくて、ホームの皆さんも涙を流して喜ばれます。帰るときは、「 また来てね」 と握手をしながら分かれます。この感動は何物にも変えがたい喜びです。


2020年06月21日

神仰する意味を視って(続き)

特別御守護お願いをして、救世主様、祖霊にしっかり想念を結んで診察を受けましたが、レントゲン検査でも異常はなく、心療内科の先生もはっきりとした原因はおっしゃいませんでした。薬を処方されましたが、教会長さんや母の御洗霊と教会長さんとさせていただいた布教で、とても自分のために勉強になり、元気になることができました。実は、以前にも精神的に不安定になったことがあります。母方の曽祖父が亡くなったときです。今回ほどは重くありませんでしたが、その時は、参拝と御洗霊ですぐに元気になったように思います。

水俣の道の駅のばら園    

今は体験発表をさせていただくほど元気になり、力をいただいています。私には参拝しなければならない理由、神仰しなければならない賜命があるということが少しわかりました。先祖の願いがどういうものか、はっきりと分かったわけではありません。また、今回のような浄化が出ないとは限りません。そのときには、すぐに救世主様の御前に額づきたいと思います。教会長さんや神徒さんたち、母や家族が心配して一生懸命、私のために動いてくれたことにとても感謝しています。ありがとうございます。私は一人ではないということ、神仰することの大切さを視りました。

 水俣の道の駅のばら園   

今、世の中の子どもたちはいろいろなストレスや不安、いじめなどで生きにくい時代だといわれています。私の友だちでも最近、うつ症状があるという子もいます。私にできることは何かを救世主様に結び、悩んでいる友だちを元気にしてあげたいと思います。

安心院のワイナリー