救世主教の教え

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体験談

2022年08月13日

救いの体験を通して感謝になれて  その1

私は、仕事で県外に行っていました。遊びとは違い、県外で働くという事は不安で、とても勇気がいりました。しかし、救世主様のおかげで自分のやりたい仕事に就け、会社の人にも恵まれました。県外から来た私にとても親切にしてくれて、私の腕を認めてくれ、どうしてもけががつきものの仕事でしたが、大きなけがもなく、本当に救世主様の御守護を知らされました。

いろんな人との出会いがあり、普通では経験しないようなことも経験できて、生活していくなかで自分の小ささに気づいて、人は一人では生きていけないということを身にしみて実感しました。 特に母親にはずいぶん支えられました。 電話などで言挙げするたび、力強い言魂をかけてくれ、ときには叱り、励ましてくれました。 母親の偉大さに気づきました。楽しいことも、苦労したこともたくさんあった日々でしたが、救世主様の尊さを学ぶことができたのが一番の御守護です。本当にありがとうございました。 教会に参拝できないため送り洗霊や、会費を必ず自分でさせていただきましたが、離れているとやはり浄化もたくさんありました。


2022年07月31日

朝参会実践で想念に力をいただく  その7

私はこうして何度も朝参会で救われてきました。 そこにはいつも救世主様の神護り、そして、教会長さん、所長さんがいたからです。 人の不平不満を聞くことも忍耐力が必要です。 言挙げする側は、何度も同じことを繰り返し言挙げします。長い浄化の間、よく付き合ってくださったと心から感謝してます。 私が、お預かりしている神徒さんは、厳しい浄化の方が多く、精神的浄化や病の浄化と供の謂われをもつものが視せられます。 人智で考えると、この神徒さんを救いあげていただくことができるだろうかと、不安になるときもありますが、救われる側から救う側へ、救世主様の愛と力を視った私は次の御賜命へと進んでいかなければならないときだと感じております。

まだまだ、我・執着・慢心の強い想念を正して、教えを説くのではなく、心・言・行の実践に努力して、認めてもらえる神性人間へ向上させていただきたいと思います。


2022年07月24日

朝参会実践で想念に力をいただく  その6

ゼロからの出発です。 新たな気持ちで因縁の解消をさせていただくと、希望に満ちて開教記念祝典の救世殿参拝をおゆるしいただきました。 そのころより自分の思いと夫との思いがすれ違い、事がうまく進まくなって、次第に不平不満へと変わって、裁く想念へと変わっていきました。 想念の浄化です。 自分ではどうすることもできません。 「 想念の浄化は一番大変で苦しいものです。 そんな心を持っていては幸せになれないから、今、救世主様が引き出して感謝で超えなさいと浄化をくださったのよ 」 と、言魂を何度もいただきましたが、あまりの苦しさに逃げ出そうと考えていました。 引きこもろうとする私を、言魂で家から連れ出し、洗霊を与えつづけてくださいました。とても暗く長い日々を送りましたが、この時がなかったら、私は改心することなく、ずるずると闇の中へ落ちていったと思います。

「 救世主様は、想念を正していきなさい 」と仰せられています。 「 人は増悪・嫉妬・侮辱それに偏ったこだわりの想念をくもらせて邪魔な想念となって、自らの行動を誤らせて、他人をも迷わせて自他を滅びの道に陥れてしまう 」 といただいたとき、私もあと一歩のところで子供たちを巻き込み、破壊へ進んでいくところでした。 この浄化をとおし、真実とは相手に求めるものではなく自分に問うもの、自己を正すこと、視せられ聞かされするなかに、必ず自己を正すべきことがあるといただきました。    つづく


2022年07月15日

朝参会実践で想念に力をいただく その5

また、介護する側もされる側も、精神的、経済的にも負担がかかってきます。 高齢化社会を迎え、家庭での役割もますます問われてくることと思いまう。 私は、この経験を生かし、今は元気で暮らしている義母はいつか誰かの手助けが必要となったときには、喜んで最高のお世話をさせていただこうと思っています。 見えぬ徳を積み重ね、きれいな霊線を子孫へと繋いでいきたいと思います。

朝参会の実践を積み重ね、朝参会後の布教の実践を重ねるなか、平成十八年、大浄化をいただきました。 隣家の出火で自宅を全焼するという浄化です。 その日は、朝参会へ行き、布教後、自宅へ帰り間もないころ、外で騒いでる声とパチパチと何か燃えるような音が聞こえ、外へ出てみると、隣の家から炎があがっているのが見えました。 消化活動が終わり、私が目にしたものは、真っ黒に焼けた柱が数本残っているだけで跡形もないわが家でした。 不思議なことに絶望や不安は全くありませんでした。 人から見れば災難に遭い大変そうに思われるかもしれませんが、何より家族全員が無事であったことが大きな御守護でした。 今までの、罪穢れを、救世主様が焼き払ってくださったと思え、感謝で超えることができました。

どんなに忙しくても、朝参会だけは続けてきたことで救世主様より力をいただいたのだと思います。その時は何も変わらないようですが、朝参会でいただく力はいざというときに発揮されるのだと、改めて朝参会、神の仕組みの尊さが分かり、有り難く思えました。

 


2022年07月01日

朝参会実践で想念に力をいただく  その4

「 親子は前世で敵同士であった 」 と教えられています。先達である私がは母を救いあげていかないとはと、頭ではわかっているのですが、一生懸命看病しているのにどうして母は分かってくれないのだろうと、感謝できずにいました。 このころ、所長さんの勧めでで朝参会の実践を始めました。 朝参会で、救世主様より愛と力をいただき、その後、病院へいって御洗霊の実践をして、最後まで母を看取ることができました。

母の人生の後半は、病気との戦いでとても辛いものだったと思います。 私の身代わりとなり、大きな因縁を果たしてくれたのだと、今は感謝の思いでいっぱいです。御神力をお伴して霊界へ徃られたことが、私のたった一つの親孝行だったと思います。 病気の苦しみや辛さは、本人でなければ本当には分からないものです。

つづく


2022年06月28日

朝参会実践で想念に力をいただく   その3

神は魂のきれいな子どもを使われます。 私の最初の魂磨きでもあり、想念の転換を大きくゆるされた浄化でした。 想念に改心がゆるされると同時に、息子の浄化もなくなり、今は元気に毎日を過ごしています。 大きなみこころと神力をいただき、救世主様に心より感謝申し上げます。幽世大神様の御奉斎、毎月の先祖祭もゆるされるまでになりました。 祖霊の慶びを感じます。

私は一人っ子として生まれました。 母は病弱で長い間入退院を繰り返していました。高校時代は病院から通学する毎日を過ごしていました。そんななか、母を支え看病していた父も平成六年七月に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬひととなりました。その後は一人っ子である私が看病することとなりました。 少しでも母の心が楽になるのであればと、毎日病院へ足を運び世話をしていましたが、入院が長くなるにつれて苦しさや痛みで心の置き場のない母は、その苦しみを私へ向けてくるようになりました。

寂しさや不安からか、「 すぐ病院へきて 」 と、時間もかまわず真夜中でも電話してくるようになり、わがままになっていきました。

つづく


2022年06月18日

朝参会実践で想念に力をいただく   その2

入信にきっかけとなった息子の浄化を通し、救世主教にご縁をいただいたことは、私の人生を大きく変えるものとなりました。 当時、小学生だった息子は、友だちとの関係がうまくいかず、ケンカをするたびに途中で家に帰ってくるような状態でした。 そんな姿を見ては、叱ってみたり励ましてみたり、泣き喚く子どもといっしょになって泣いたりと、親としてどう接していけば良いのか分からず不安な日々を過ごしていました。 私の性格は、人より気が弱く、小さなことにビクビクして、何でもないことを自分で大きくふくらませ、必要以上に心配する性格でした。 そんなとき、以前から福音にきてくださっていた所長さんに相談をして、初めて参拝がゆるされました。 「 子どもが悪いわけじゃないのよ。悪い状態は良くなるための調和作用、祖霊の念願でもある争いの因縁を感謝で解消させていただきましょう 」、このとても温かく力強い言魂は私はどれだけ救われたでしょうか。

原因は息子ではなく、私の想念にあったのです。 過度の心配で心配執着となり、その形は争いとなって、写し鏡である息子に現れ、一番苦しいはずの息子を咎めていたことに気づかせていただきました。 前へ進めば進むほど、次々とこれでもかと形となって引き出されてきます。 言魂と洗霊をいただき、「 救世主様 」と御神名を唱えて、この浄化をのりこえさせていただきました。

続く


2022年06月11日

朝参会実践で想念に力をいただく  その1

多くの人は神を視らず、悩み苦しみがありながらも解消の術も知らず、自分の判断で善悪を決め、目にみえるものばかりを追い求めて、誰もが幸せになりたいと願いながらも、不安を抱えながら日々生活を送っていることと思います。

私も数年前までは同じように自分の幸せ、家族の幸せだけを考えて過ごしてきました。信仰心のない私でも「 神様 」の存在は認められても、「 宗教 」となるとどこか、何か違う気がして、私には縁のないものと思えていました。 そんな私が、数多くある宗教の中から今こうして 「 宇宙創造の神 」であり、厳しい 「 審判の神 」である救世主様に結ばれて、入信をおゆるしいただきました。 過去、世においての深い因縁、これまでわがままに生きてきた自分の清算、視せられ聞かされすることが、すべてわが物ならば、どれだけ多くの罪を、過ちを犯してきたのでしょうか。 神の神律に従い、人として踏むべき迪を照らす希望の迪へと変えてくださる救世主様に結ばれたことを心より感謝してます。


2022年06月04日

仕事のなかに神仰即生活を感じて  その3

勉強することは山ほどあり、慣れないパソコンとも格闘しながら、一日を一生懸命に生かさせていただいています。 夜は、倒れるように寝てしまい、まだ、ゆとりなどありませんが、できる限り参拝して、忘れがちな言挙げを努力して、今は少し遅い社会勉強をさせていただきながら、人と成っていけるよう努力しています。

まずは、見せられる人や事に感謝で受け止められること、進行係や研鑽報告の御賜命にお使いいただいているので、会の司会や文書作りが自分でも驚くほどスムーズにできることなどです。 朝は、救世主様と祖霊に結び仕事を始め、夜は感謝で一日を終えることで、想念的に落ち着き、明日への力をいただいています。 これから先、共に仕事をしている人に、神仰のお話など伝えていけるようにしたいと思います。 御神業が主となる生活ができるようになる、そのこときがくるまで、所長さんや神徒さんにはご迷惑をおかけしますが、社会勉強をさせていただき、救世主様のみこころに副った人と成れるよう、一生懸命、一日一日を生きていきます。


2022年05月30日

仕事のなかに神仰即生活を感じて その2

この歳で、常勤の仕事に声をかけていただけるとは思っていなかったことと、ヘルパーの友だちが、「 自分たちヘルパーの意見や思いを事務所は理解してくれないから、常勤となって仕事のしやすい、楽しい職場に変えるきっかけになって欲しい 」と言われて事が決め手となりました。 所長さんからも、「 できれば御神業を大事にしてもらいたいので、今のままの仕事をと思うが、生活をしっかりさせることも大切、求められてのことだからがんばってみたら 」と言ってもらい、子供たちには朝早くでて、帰りは遅くなると伝えると、「 いいよ。協力するよ 」と答えてくれました。

仕事を始めて、四ヶ月が過ぎました。 ヘルパーの仕事は違い、一人ではできない、とても大変な仕事だと感じています。精神的なストレスが強く、体を壊す職員も多いとのことです。 我を張ったり、慢心があったり、人や事に執着していては成り立っていかない仕事だと気づきました。 職員さんたちを外から見ていた、ヘルパーとしての私の考え方は、間違っていたと反省することがたくさんあります。 中に入ってみて分かったことを、私のように勘違いしているヘルパーさんには伝え、ヘルパーのことを分かっていない職員さんには、そのことを分かってもらえるように、私の役目を果たしていきたいです。

続く