救世主教の教え

救世主教 TOP> 教え >神仰する意味を視って(続き)

神仰する意味を視って(続き)

2020年06月21日

神仰する意味を視って(続き)

特別御守護お願いをして、救世主様、祖霊にしっかり想念を結んで診察を受けましたが、レントゲン検査でも異常はなく、心療内科の先生もはっきりとした原因はおっしゃいませんでした。薬を処方されましたが、教会長さんや母の御洗霊と教会長さんとさせていただいた布教で、とても自分のために勉強になり、元気になることができました。実は、以前にも精神的に不安定になったことがあります。母方の曽祖父が亡くなったときです。今回ほどは重くありませんでしたが、その時は、参拝と御洗霊ですぐに元気になったように思います。

水俣の道の駅のばら園    

今は体験発表をさせていただくほど元気になり、力をいただいています。私には参拝しなければならない理由、神仰しなければならない賜命があるということが少しわかりました。先祖の願いがどういうものか、はっきりと分かったわけではありません。また、今回のような浄化が出ないとは限りません。そのときには、すぐに救世主様の御前に額づきたいと思います。教会長さんや神徒さんたち、母や家族が心配して一生懸命、私のために動いてくれたことにとても感謝しています。ありがとうございます。私は一人ではないということ、神仰することの大切さを視りました。

 水俣の道の駅のばら園   

今、世の中の子どもたちはいろいろなストレスや不安、いじめなどで生きにくい時代だといわれています。私の友だちでも最近、うつ症状があるという子もいます。私にできることは何かを救世主様に結び、悩んでいる友だちを元気にしてあげたいと思います。

安心院のワイナリー