救世主教の教え

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体験談

2023年10月01日

聖地奉仕に行きました。

9月17日日曜日、聖地奉仕をさせていただきました。 移動の車の関係で10名の参加でしたが、29人乗りのマイクロバスを借りることができたなら鹿児島教会から20名ぐらいは参加できたと思います。 朝、5時に鹿児島教会を出発、吉松PAにより10名の参加。

     

聖地には、9時過ぎには着きましたが、他の教会の方々は聖地の奉仕をしておられました。鹿児島教会は聖地の門の側溝の清掃や玉石の磨きでした。 結構、汚れていました。

知り合いの他の教会の神徒さんと話をしたり、今後、いろんなことを話をしましょうと、前向きな話もできました。 また、他の教会さんの神徒さんと交流を行い、いろんな話ができればいいと思います。 連絡等を取ってみたいと思いました。

     


2023年08月15日

8月の掲示

8月の鹿児島教会 掲示板です。

今月の誕生日者のかたの写真を入れました。90歳を超えても元気な方です。 また、神徒さんが経営されているレストランへなでしこ会のメンバーの方が訪問し ランチをいただいたようです。また、伺いたいとのことでした。

 

          

 

 全体の写真です。


2023年05月21日

掲示板 

掲示板に掲載中の記事です。 ご覧ください。

           

           


2022年11月12日

共の因縁を型にゆるされて その4

夫は、それまで神仰には反対しませんが、進んでというほどでもありませんでした。 しかし、御奉戴をきっかけに、毎日の朝拝も自ら実践させていただくように変わらせていただきました。 相手の方も救世主様に結び、供の因縁の神赦しがいただけるように、毎朝お願いしています。

また、九月には娘の結納を済ませ、来年五月には結婚式となりました。 これも救世主様の御守護のお陰と心より感謝してます。 昨年の七月、班長の御賜命をいただきましたが、まだまだ未熟なため、ときどき不安が頭をもたげてきて落ち込むことがあります。 しっかり救世主様に感謝と素直の想念で結び、変わらせていただきたいと思います。 そして、霊智がゆるされ、一人でも多くの方の救いができるように、私一人の大事を視り、実践に努力させていただきます。


2022年11月05日

共の因縁を型にゆるされて その3

それに、不思議とその月の法話に、「 救うも救われるのも同類親和による 」といただき「自らがもっている因縁は、人と事とによって移し出され、視せられていくのです。 同じ因縁をもつもの同士が(必然に)出会っていくのです。 救うも救われるのも同類が互いに親和する神律によるのです(人と事との)救いの出会いは、因縁は解消される神赦しとなるのです」 とありました。まさしく今の私にぴったりの法話だと思い、自分が変わらなければいけないのだと思いました。

それから毎日、夫婦で参拝させていただいているなか、所長さんに「 霊視力様の御奉戴をさせていただいてはどうですか」と言われ、救世主様に神赦しがいただけるように毎日お願いしていました。思い切って夫に話をすると快く承諾してくれ、いろいろと準備をしてくれました。 当日は、遠いところを副教会長さん、所長さん、班長さんが来てくださり、御奉戴をおゆるしいただきました。 それまで何となく暗かった部屋が、パーっと明るくなり、とてもうれしい気分でした。 夫もいっしょに清々しい気持ちで参拝させていただき、大きな歓びでした。


2022年11月03日

 共の因縁を型にゆるされて 2

長い神仰生活の中で、何人もの子どもたちに先立たれ、辛く悲しい思いをしながらも一心に救世主様を信じて、神仰一筋に生きてきた母も、平成12年に89歳で帰幽しました。 私も、長い間にはいろいろな浄化をいただき、そのたびに御守護を賜ってきました。 しかし、ここ数年、仕事の都合で参拝がおろそかになりがちでした。 そんな状態のなか、今年に入ってすぐ、親しくしている酒屋さんがパチンコにはまり、お金に困ってみんなから借金をして回っているとの話を聞いて、銀行の保証人になっているため、とても心配していました。

それからほどなくして、銀行から連絡があり、支払いが三ヶ月遅れているので、夫に払ってほしいということでした。それも一つのはずだったのに三つもあり、初めて騙されたのだと分かって、信じていた人だったので私も夫もショックを受け落ち込みました。 本人に連絡しても、 待ってくれ の一点張りで払う気はなく、最後には電話をしても無視するようになりました。 いろいろ考え悩み、夜もろくに眠れませんでした。

しばらくして所長さんに言挙げをさせていただき、「 あなたも、相手の方も、供の因縁をもっているのですよ。救世主様は、それを型で示され、因縁の解消をしてくださるのですから、相手を恨まず、咎めず、感謝しなさい 」と言魂をいただいて、気が楽になりました。


2022年09月18日

共の因縁を型にゆるされて  その1

私が救世主教に結ばれたのは、母のお腹のなかにいるときでした。 もう六十年近くになろうとしてます。 私の幼いころには、教会が湯之元というところにあり、毎日、両親に連れられてご参拝していました。 教会長さんにも、とても可愛がってもらいました。 また、年一回、その当時は救世殿でご参拝でしたが、ほとんどの人がお金がないため、前の日に各駅停車に乗り、あくる日の朝五時に別府駅に着き、近くの宿の大部屋で少しの睡眠を取って、そこから歩いて救世殿まで行っていました。

まだ寒く、時には雪が降ってくる年もあって、救世殿の前の道路脇では係の人達が、大きな丸太で焚き火を作ってくれ、みんなで開門まで暖を取っていました。 私が 七歳のときだったと思います。救世主様が、両脇を男の人たちに抱きかかえられてお出ましになりました。 その年の法話は、とても厳しく激しく、神徒さんたちはみんな泣きながら聞いていたのを、子ども心に鮮明に覚えています。

その後、教会が鹿児島に移り、湯之元は分教会になりました。姉も私もハッピー会の活動に参加させていただき、他のハッピーさんたちと六人くらいで、教会までバスで行っていました。 中学生の時には救世殿で行われる研修会に参加して、厳しかったけれど楽しい思い出です。 二番目の姉は、聖地建立のときに奉仕にお使いいただきました。 その姉も今は亡くなりましたが、娘は何かあると電話をしてきますので、そのたびに言魂を与えています。   続く


2022年08月28日

救いの体験を通して感謝になれて  3

その時は怒りや悲しみ、いろんな感情が溢れていましたが、母親に「 何もせずに悩み後悔するより実践したほうが悔いはない。 あなたがやったことは、決して無駄じゃない。それが徳になっていつか何らかの形ででてくるのだよ。 幸せになるための試練と思いなさい。 どんなに辛くても、本当に守りたいと思うなら、無償の愛で愛しなさい。 相手をこれからも人として包んであげなさい。 それが今、すべきこと 」 という言魂をかけられました。

私は、精一杯のことをしたのだと想念の転換ができ、相手を咎める気持ちがなくなって、とても心が軽くなりました。 あの時必死に涙をこらえたこと、母親の涙で救われたこと、今でも胸のなかにあり忘れられません。 今では良い経験ができたと思います。 救世主様、ありがとうございました。

私は今、霊主体従で生活することを心がけています。 以前は、昼夜転換の生活で、神仰が疎かになっていたこともありましたが、毎日二回の御洗霊の実践、教会への参拝と、これからも霊主体従でお使いしていきたいと思います。 我・執着・慢心を捨てて、たくさんの因縁を赦されていけるようにがんばりたいと思います。

    終わり


2022年08月21日

救いの体験を通して感謝になれて  2

私は、一時期、富山にいました。その時自分の都合で新年の大祭にゆるされませんでした。 すると、その月の給料日、コンビニで買い物をして車に戻ると給料袋ごとなくなっていました。 車に鍵もかけず安易にしていた自分を反省しましたが、後の祭りでした。 大事な大祭に参拝しなかったため、お気付けをいただいたのだと痛感しました。 そんな私を周りの人たちがいろいろと助けてくれ、これも、救世主様のお陰と感謝させていただきました。

 

また、ある一人の女の子と仲良くなりました。 一月にいったん鹿児島に帰ることが決まったとき、その子も参拝させたくなり、信仰していることを話しました。 その子にだけは自然に話せることに、自分でも驚きました。 その子の家庭環境は、複雑で、過去に尋常でないこともたくさん経験しており、そういう話をするたびに、「 この子を救いたい 」 という気持ちが大きくなっていきました。 その子は以前、宗教で嫌な思いをしており、私が神仰の話をしたときも最初は微妙な反応をしましたが、「 あなたのことは信用できるから 」 と、いっしょに鹿児島にいくことを約束してくれ、入信をおゆるしいただきました。 そして、 七月からその子は鹿児島にくることになっていました。 ところが、彼女に大きな浄化があり精神的にまいって 「 死にたい 」というようになり、私に、「 迎えにきて 」と言うようになりました。 私はとても迷いましたが、母親の言葉に背中を押され次の日、名古屋までいきました。 話し合いましたが徒労に終わってしまい、振り回されている自分にとてもショックを受けました。   つづく


2022年08月13日

救いの体験を通して感謝になれて  その1

私は、仕事で県外に行っていました。遊びとは違い、県外で働くという事は不安で、とても勇気がいりました。しかし、救世主様のおかげで自分のやりたい仕事に就け、会社の人にも恵まれました。県外から来た私にとても親切にしてくれて、私の腕を認めてくれ、どうしてもけががつきものの仕事でしたが、大きなけがもなく、本当に救世主様の御守護を知らされました。

いろんな人との出会いがあり、普通では経験しないようなことも経験できて、生活していくなかで自分の小ささに気づいて、人は一人では生きていけないということを身にしみて実感しました。 特に母親にはずいぶん支えられました。 電話などで言挙げするたび、力強い言魂をかけてくれ、ときには叱り、励ましてくれました。 母親の偉大さに気づきました。楽しいことも、苦労したこともたくさんあった日々でしたが、救世主様の尊さを学ぶことができたのが一番の御守護です。本当にありがとうございました。 教会に参拝できないため送り洗霊や、会費を必ず自分でさせていただきましたが、離れているとやはり浄化もたくさんありました。