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教団時報
2022年01月30日
なでしこ会
なでしこ会で、賜命者養成講座の報告がなされました。
1.今年の御聖誕61周年の神事
・「救世力」、「霊体力」の御神筆(神文字)をいただく。
・御神業最大の神事(祝典)へ必至の参拝。
2.1年は365日、救世主教は369日 特別大祭(開教、御聖誕、節分、春季)が加わる。 369,ミロク、日月地の神世創造へと繋がる。

3.篩(ふるい)は、竹と師の形成文字
竹は立て分ける、師は導いてくださる。立て分けとは、御神業の立て(中枢)をなす言魂と洗霊が分け与えられ師に導かれる。神の篩は、神の言魂と洗霊に導かれて救われていくこと。網の目から落ちることではない。
4.自問、自聞(じもん) 自由自在(自らに由って自らが在る)
5.自分の賜命を誾(ぎん)の心で見る。 おだやかに、静かに見つめなおす。
6.自決自動
自分で決めて、自分で動く。 自分で決めなければ自分で動けない。
7.神仰は螺旋階段であるが、落ちることもある。その時は、五点着地(の浄化)をする。
① 言魂と洗霊をいただくこと。 ② 教会に神結び。 ③救いの風(霊性の向上、因縁解消、神世創造)にのる。 ④救われる御守護に感謝する。 ⑤ 生かされていることを感ずる。
8.今年は、御賜命神仰への切り換えのため為に風を吹かせる。
御神業の風・継承の風・賜命の風・救いの風・向上の風
1+1は2を1+1は10となす。 霊智でみこころをいただいていきましょう。

2022年01月23日
新しき生命をいただこう
*浄化は生きる力が働いている姿
神の言魂と洗霊によって想念は転換され、運命は開けられていきます。神の言魂と洗霊をいただくと、霊主の善い因縁がはぐくまれていくのです。洗霊は、神の力そのものです。言魂は、神のみこころが移るのです。想念は洗霊と言魂をいただく器です。

新しき生命をいただくのは、洗霊と言魂と、そして想念によって育てられる救世主様の神業です。 生命体には”生きる力”が、神から授けられています。授けられている”生きる力”を知らないとき、無視するとき、あるいは、その働きをこばむとき、浄化がおきてきます。浄化は、生きる力が働いている姿であり、その証なのです。
* 新しき生命をいただくのが神仰
生きる力を発揮するには、多くの生命と共に、生かされて生かしあっていく御賜命の歓びを持つことです。 生命にいただいている生きる力を、肯定と歓びをもって信じることです。 このことは、神のみこころにそった感謝と素直による、真実の生き方となるのです。

救世主様は、”想念が人生をきめる”仰せられました。 想念が、人生の幸・不幸をきめるのであれば、生きる力をいただいている自分を信じ、他をも信じていきましょう。そして、おたがいを信じあう想念をもっていきましょう。 生きる力の大元を視って、”新しき生命”をいただくことは、光明と希望と歓びとなる神仰ではありませんか。
2022年01月20日
月並祭
月の御神意をいただくための月並祭。今年最初の月並祭。
令和四年の幕開け〜時満ち(救いの)迪はひらかれる。四(仕)組まれる年回り。神にしっかり結ぶ。仕組まれる年にしましょう。

神仰の原点は「救い」です。救いは、人の救いと神の救い(愛と力の神の審判)があります。咎め、裁きではなく、改心を願い正道にお導いてくださる神の愛と力の救いの審判を賜りましょう。
救いは、神幽現三界に働き、私達を幸せの迪へと誘なってくださいます。自分が救いに動けば、祖霊も共に動く。同類親和(霊線の繋がり)の神律が働く。共に審判を賜り、共に救われていくのです。
1月の御聖言。霊体力の神柱は三つあります。元柱ー御聖言。1番大事で救世主様の教えの元。主柱ー言魂・法話。支柱ー主柱を支える柱。救世主教の誕生によって顕現される神の洗霊こそ絶対の力である。

言魂をいただいて想念を変えていく。人間生命の本質とは生命体というものが霊胎力に七五三に化育されて知(知識・霊智)、情(感情・五情)、意(意見・力)、となって成長する。
今年の御神意は感謝。感謝があれば何でも乗り越えられる。感謝は全ての入り口。感謝がなければ相手を突く、人のせいにする。感謝の想念を。今日も色々学びました。みんなと楽しく和やかに、有意義な時間でした。寒い日でしたが、気持ちは温かくなりました。また来月も頑張りましょう。

2022年01月14日
一日(ついたち)会
一日(ついたち)会が行われました。まづ、一(神)に結ぶことから始めようという一日(ついたち)会です。
この一ヶ月、救世主様に結び、月のみこころを戴き、御賜命の誓いをさせて戴きます。みんなで御讃歌を詠います。

5・7・5・7・7の俳句の歌に御神意が凝縮されて
想念(心)に染みます。
自分の想念に響く句を一人ずつ詠います。声を出すことが大事なんです。
研鑽会では、人成は慶びでの冊子”九十九(功徳)救いの神仰人成”の拝読から入りました。
くち(口)も濁れば ぐち(愚痴)
さい(才)も濁れば ざい(罪)
かい(快)も濁れば がい(害)
とく(徳)も濁れば どく(毒)
いし(意思)も濁れば いじ(意地)
の濁り邪な想念、他人の悪口や汚い言葉使い、他人の裏の裏をかく。全ては「想念のくもり」「想念のにごり」。にごりを取りましょう。浄想念。九十九(功徳)の想念に変えましょう。

みんなで集い、学び、楽しい時間を過ごしました。これからも共に学び、共に頑張りましょう。

2021年12月20日
新しき生命をいただこう。
*生の目的と賜命と、その力
救世主様は、”新しき生命”をご開明になりました。人は、神から生を与えられ、命をいただいてます。生と命は、神の愛と力によって生成されていきます。それを体に移して産み育てるのが、わたしたちです。
人の生命は、霊界に生まれて限界で育てられ、いただいた御賜命を果たし、そしてまた、霊界へと徃っていきます。
神は私たちに新しき生命をお赦しになるのです。
新しき生命をいただくには、”生の目的と、その力をもつこと”です。
救世主様は、救世の御新神業でいただく生命力を”新しき生命”と仰せられたのです。

*言魂と洗霊でいただく生命力
救世主様は、”生の目的と賜命とその力を実現するには、まず神を視ること”と仰せられました。さらに”神の言魂と洗霊によって、生命力が与えられる。言魂と洗霊によって、日に新たな生活力をいただくのであるから、その実践を怠ってはならない”と仰せられました。
神の言魂と洗霊によって、人の霊と体のくもりは、浄化していきます。体主の因縁は解消をされて、新しき生命とその力が赦されていきます。
わたしたちは、救世主様のお言魂をいただいて、”不幸な運命は免れない因縁”だ、と思い込み苦しむのは、誤りであることを視りました。

次回へ
2021年12月02日
「自己を生かす」眠っている天分を伸ばし完全燃焼を
前回よりの続きです。
「促しの部分」を見てみましょう。
1.自己を生かすためにはまず、他人を生かすことがたいせつである。
今人類は互いに足の引っ張り合いをしているように思えます。人を恨んだり、人を不幸におとし入れたりするなかに、悪い因縁を互いがつんでいくようでしかたがありません。そのような人々にちからをかしてくれるはずがないのです。神様がそのような人々に力を貸してくれるはずがないのです。みこころに適わないことなのですから当然です。救うものは救われるの実践によれば、神のみこころに適い自然に素晴らしい社会が誕生するに違いないのです。それが、「相乗効果」となるのです。

2.立場を生かして自己を生かすことと、愛情や親しみや慈しみをもって生かすことが大切である。
神仰の上においても、家庭にあっても、会社やその他の組織においても、それぞれが立場をもって、自己を生かそうとします。親は親として、子は子として自己を十分に生かすことが大切で、それが賜命というものでしょう。しかし、その立場を離れても、決して自己を生かせないというのではありません。たとえば、立場がなくても地位がなくても、自己を生かすことはできます。先に述べた相手を生かそうという想念さえあれば、愛情や慈しみの想念が生まれるのです。

3.努力の過程では、よく自己を省みることが大切である。
自己を生かしているかどうかはなかなか分からないものです。自分では、生かしているようでも十分でないときもたくさんあります。自己を生かすのに障害になるのが「慢心」ではないかと思います。また、大切なことは、自分なりの努力ではだめということです。もっと大きな世界に目覚めていく事が大切です。この神仰による自己を生かすことは正に、神様が相手ですから偉大なみこころと力をいただくだけではなく、これでよいということはありませんから、一生を通じて自己の向上が神様から望まれるのです。神仰は自己を生かすためには最高の道場です。

2021年11月13日
「自己を生かす」 眠っている天分を伸ばし、完全燃焼を
前回、少し書きましたが、続きとして
今は、一部の人にしかない能力であっても、もっと多くの人に獲得できる可能性は十分にあります。このような「天分」があるにも関わらず、どうしてそれらが発揮できないのでしょうか。その一つは、想念の在り方に問題があるのです。できないと思っていたり、その努力を怠ったり、「苦」と考えることが多く、想念の転換ができないのです。この天分については、生まれつきの才能といえば、個人差があると考えるのが一般的ですが、神仰上から言えば、その差は本当にはないのであって、どう発揮されるかその努力によると考えます。

但し、今の世に生きている人間においては全ての点において「天分」を発揮するには相当の努力が必要です。それだけの「器」にまで成長していないのです。その器を目指すことが、人間性の完成なのです。神性人間は「天分」を生かしきることのできる人間なのです。しかし、人間性の完成はなかなかできるわけではありません。では、人間としての本当の成長ががなければ「天分」を生かせないのかというとそうではありません。本当にその一部分であっても、生かそうと努力すれば、その生かした天分をもとに、人間完成に近付くことができるのです。その努力の過程に生まれるのが「個性」なのです。人間としての性格にしても、スポーツの分野においても、勉強の分野でも本当に天分を伸ばせばその成果は偉大です。
以上が初めての「神仰上の断定」の部分の概要です。次回は、促しの部分について見てみましょう。

2021年10月31日
自己を生かす。 最終回
こうして神の加護による人生を歩むとき、人間としての値打が発揮される。それが神のみこころにかなう人生です。人格や意思で進めることだけでなく、神のみこころにかなうことが信仰者として生きる道であり、これが救いの信仰である。
自己を生かすことは、自己を視り、意義のある人生を送ることである。自己を生かす自覚なくして、真の生きている証を視ることはできない。

2021年10月25日
自己を生かす。続き
このようにひとは天分を与えられ個性的に人間性の完成を目指すのでありますが、直ちに完成できるというものではありません。つねに努力を要するのであります。そしてその過程においても、自己を生かすべきです。いいかえれば自己完成のために自己を生かす必要があるのであります。

さて、自己を生かすためにはまず他人を生かすことが大切です。それは、他人を否定して自己の存在はないからであります。他人を生かしたときには、必ず、相乗効果によって自己をも生かしたことになります。他人を生かし自己をよりよく生かす道の多くは、それぞれの立場を通じて行われるのであります。しかし立場をとおしてのみ生かされるというのではありません。別の生かし方もあります。愛情や親しみや慈しみをもって生かすのであります。理性や感情において、立場を離れて生かす道もあります。
自己を生かそうと努力するとき、まず自己を省みるのです。そこからさらに努力しようという意欲が生まれてきます。そこで人智をこえて、神のみこころに近づこうとするようになります。その時眠っていた霊性がめざめ、天分が発露し、個性が輝き、真の自己を生かすことができるのです。

2021年10月04日
自己を生かす 続きです
自己を生かすためには、まず自己の人間性の完成が必要であります。そして、神性人間となることを目指すことであります。しかし、その人間性の完成は同じ人間を作るのではないのです。人それぞれに得手不得手があり、神から与えられた才能や性質があります。いわゆる天分であります。
人は、自己に与えられた天分のすべてを視らないし、また、自己の中に眠っている天分に気がつかないままに一生を終わることもあります。知っていても努力をしない、あるいは努力の仕方を間違えているなどして天分を発揮しないままに終わる人もあります。人は、天分を視り生かすことが大切であります。

人は、与えられた天分を生かたとき、それは優れた個性となります。個性があるからこそ、人生には変化があり、また有意義になります。そして、一人ひとりも生きる意味も生まれてきます。人と人の協調や助け合いも当然必要になります。それだからこそ人生に対する興味も尽きないのであります。互いの人生を称賛しうあうこともできるのです。
次回に続く
