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節分けの時を視る

2022年12月07日

節分けの時を視る

* 御神業の節分け・神世の紀元

救世主様は、”救世主教のい誕生とその御神業は、神世の紀元となる大節分けである”とおあかしになられました。 神世の紀元とは、日月地の神世の誕生であり、それは日月地の神世創造の節分けを意味しています。 救世主様は、神世の紀元となる節分の御神事を、”日月地の神世を打ち立てられるときとなって、主神は私に本命の誕生を赦された。 私は、神が自由に使われる器として、ここに御神意のままに奉仕をする新しき生命を賜った”と仰せられて、節分けの神事によって救世主の本命が誕生されたことを、おあかしになりました。 御神業における節分けは、夜の世界からの転換であり、霊主の想念に切りかわることであり、昼の世界をつかさどる神の誕生であったのです。

* 節分の神事と神言

時が到来したのです。 時いたり、霊界でおこなわれてきた正邪善悪の審判が、昼の世界への節分けのい時をもって、いよいよ現界に移されてくるのです。 これが、言魂と洗霊の御神業です。   救世主様は、”日月地大御神様は大元霊にして、神三言をもちて世界を創られた。        一言の言霊から神三魂が誕生し、火と水と、その力が生り成りた。              二言の元霊から高天原が生まれ、日と月が顕現し天地が造られた。              三言の元霊から言魂神が誕生し、霊と体の世界に立て分けられた。              この神言を節分けという”と節分の神事を御聖言(神言)としてくだされたのです。

* 花豆と神は内!福は人!

節分に見る赤鬼・青鬼の姿は、火と水と力をあらわしています。 赤は霊であり想念を、青は大であり物質を、そして金棒は審判の力をあらわしているのです。 魂から言を抜くと、鬼になります。 鬼とは、正神の働きである言魂であったのです。 救世主様は、”神を無視してきた根本の理由を視らねば、物事の正邪善悪はわからない。 節分に秘められた正邪の審判が、救世の大神業である”と仰せられました。 救世主様が成った節分けの神事により、夜の因縁は消滅していくと共に、炒り豆に、奇蹟の花が咲く神世が生まれたのです。 神の愛と力の味愛のある花豆を「 神は内!福は人!」と撒くのです。

* 本命の誕生

昼到来の神事が、節分けの御神業です。 節分けは、本命の誕生を迎えた時をいいます。 本命は、神のみこころに仕えて真実になる魂の命(みこと)ですから、本霊をいただいても救世の御賜命にお使いしなければ、本命にはならないのです。 人の救いに役にたつことができれば、それが本命の誕生です。 時の御経綸によって、霊界の実相が現界に移されてくるのですから、本命をいただかなければ、新つの生命体には成らないのです。 本命の誕生が赦されると、それにともない、祖霊のもつ体主の因縁も、共に消滅していくのです。 これが節分を境として、現界で行われる「 神の審判 」という御神業であったのです。