救世主教の教え

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教団時報

2023年10月07日

10月の掲示板 鹿児島教会

10月の掲示板です。今回は、神徒さんのお孫さんが人命救助をしたこと。私は、ニュ-スでみて記憶には残ってましたが、その時は、何も思わなく神徒さんのお孫さんだとは思いもしませんでした。後から神徒さんの話を聞いて びっくり でも、大変いいことしましたねーと話をしました。夏でしたので、海で泳いでる人を助けた、おぼれかけていた人を助けたとの事。すごい事です。

            

また、子どもが10月末に鹿児島で開催される障害者スポーツ大会に出場することを載せました。きっと、いい成績となる事を期待したいと思います。自分の為に がんばれ 。写真で紹介します。

         

10月は、聖地参拝、皆で神徒さんを結集して参拝を致しましょう。


2023年09月24日

言霊は神なり  言霊は神なりを想念にいただく

* 言霊をいただいて働く想念と言魂

救世主様は、”言霊によって、神秘な神の扉は開けられていく。 この神事が、惟神に時定まって、救世主教は誕生した。 救世主教とは、救世の力を教える意味である。 救世の力とは、救いの御神業のことをいうのである。 救世の神は、言魂によって、いつどこにでもたたれて、救いの神力をみせられるのは、想念と言魂の神秘である”と仰せられました。 言魂による想念と言魂で、神の御経綸は進められていくのです。 言魂をいただく器が想念であり、その想念から発する言葉が言魂となります。 御神前に額ずいて柏手をうち、願言を称えて、音と言とで神に結ばれる姿は、言魂による想念と言魂の神秘に他なりません。 日月地祝詞の奏上や御讃歌の奉唱は、言霊である神に結ぶ型であり形です。

* 言霊に結ばれていただく生命と賜命

人は、想念を器に言霊を受けて、神の代行を赦されますから、言霊が止まる”霊止”なのです。 霊止である人の賜命は、生命の賜命を果たすことです。 賜命は、命を賜ることであり、生命をいただいた賜命とは、救いのことです。 賜命と生命と救いは、言霊と想念と言魂にいただく神のみこころです。 賜命をいただくことを、「力の誕生」といいます。 神の力を、人生で、事実にみせていくことをわすれてはならないのです。 言霊に結ばれた生命の賜命を、想念と言魂と洗霊の御神業によって霊智していきましょう。 霊智によって、事実を形にみせられて型ですまされるところに、救世主様の御神業の本命があるのです。

* 言霊の働きは時の御経綸

みこころは、げんれいによって想念に移されて、言魂となります。 御神業は、言魂でみこころが想念に移写されて、言魂の力となる神業ですから、言魂が救いの力となることを、みずからが事実で味合うことです。 言霊は、時の御経綸に働きます。 このこからも言霊と想念と言魂と、そして運命は切っても切り離されない関係にあることがわかります。 言霊に結んで言魂にだすと、本霊の眼が開いて感謝と歓びが生まれ4,想念に明るさと楽しさがみなぎってきます。 これが、神の審判をいただいた姿なのです。 神の審判をいただくことにより、想念に感謝と歓びと、明るさと楽しさが赦され、邪心が消されていきます。

* 言霊に結んで実生する神業

”言霊は神なり”をいただいて、想念と言魂の御神業にお使いし、光明と希望と歓びの救いをめざすことが神仰の実践です。 神がなさる救いを、人間界で赦していただくのですから、救いの使徒として生きがいと歓びをもつことです。 救世主様は、”人を助けることをせずにして、自分が助かりたいと思うことは邪心である”と、戒めの御言魂をくださっています。 救うものは救われていくのが神理ですから、救いにお使いしていけば、神はかならずや大愛のみこころをくださいます。 運命を開いて体主の因縁を解消していくには、救いの想念をもつことです。 邪念を取りはらって正しい想念をもつには、神の言魂をいただくことです。 霊体の健と康をたもち生命力をつけるには、神の洗霊をいただくことです。


2023年09月24日

言霊は神なり

* 言霊は、神なり。

言霊によって、神扉は開けられていく。 この言魂が惟神に時が定まって、救世主教は誕生したのである。 救世主教とは、言霊によって救世の力を教える意味である。

* 救世の神は、言霊をもって、みこころを想念に移された。 救世の神は、言魂によって神の自動操作を開始されたのである。 想念と言魂による御経綸である。 これが、日月地の神世創造のはじまりである。

* 言霊を無視すると、神が人間に与えられた想念と言魂の霊能力は消失してしまうのである。 神を離れた人間性に感謝と素直の本性は消えて、生の執着と慢心の邪念で、不幸な原因を累積していくのである。

* 言霊に結ばれた感謝の想念には勇気が生まれ、素直な言魂には忍耐の力が与えられるのである。 想念に祖霊を迎え、神の言魂をいただいて、救いの神業にお仕えすれば、祖霊と共に特別の神赦しがいただけるのである。


2023年08月15日

~時の御経綸~  時の御経綸を視る

* 秘められた時の真相

救世主様は、”日月地の神世の創造は、時の御経綸である。 救世主降臨の神事は、時の御経綸である。”と仰せられました。 この御言魂により、救世主降臨の神事は、夜の世界から昼の世界へと切りかえられていく、時の御経綸であったことがわかったのです。 夜の世界では、人は時の力を左右しようと、人智の力で物や地位、名誉や権力を手に入れることをめざしてきました。 ここに強い弱いの争いや勝ち負けの戦いがおこなわれ、力の強いものが正義となりました。 その結果に、弱敗者の怨恨が夜の因縁となって、蓄積されていったのです。 昼の世界となった今、強い弱いや勝ち負けは賜命をとおして裁かれていき、地位や名誉や物は、賜命を果たすための、守護の役へと化わっていくのです。

* 霊智と言魂の時の力

救世主様は、”時の御経綸を視るには、霊智をいただくことである。 霊智が時の力となり、言魂の力となる”と仰せられました。 時を視る想念に霊智が生まれて、時の言魂に、神力が移されてくるのです。 言魂によって時の御経綸にお使いでき、結果を赦されていくのです。 言魂にお使いしていくには、救いの想念による真実になることです。 救いの想念から発せられた言葉には、労りや優しい言葉だけではありません。 間違いや時を気づかせる強く厳しい言葉もあります。 どんな言葉であっても、相手の想念や魂にひびき、染みわたる言葉が、救いの言魂ではありませんか。 救いである時の言魂は、時を解決することにあって、時の力がそれを進めていくのです。

* 悪を善に救い化える神の審判

時は力であり、神のみこころです。 時を無視しては、御賜命も御守護も新しき生命もいただけず、祖霊に身替わって化わることもできないのです。 救世主様は、”時の賜命である日月地の神世創造が、救世主様にあることを確信しなければ、想念の力とならない。 主神は、時の御経綸をこの地上に顕現され、正邪善悪を審判されるのである。 その賜命を本教に授けたのであるから、聖教神徒は時の重大さを霊智することである。”と仰せられました。 神の審判は、善と悪の立て分けです。 善悪の立て分けとは、悪を懲らしめて滅ぼすのではなく、善に育て化えて善に救いあげることがあったのです。

* 真実を現世に移写して片をつけるのが、救世主様の時の御経綸です。 型にみせられていくことが、神赦しの神の審判であり、神の大愛による救いです。 神の審判は、救いの賜命に、真実となったときにいただけるのです。 神の審判こそ、時の御経綸です。 真実によって、時の御経綸にお使いしていきましょう。 時の御経綸にみせられる真実は、善悪に関わりなく、そして正邪をも離れています。 神のみこころに応えて、時の御経綸に、祖霊と共に赦されていきましょう。 時の御経綸による救いは、事実と結果にみせられれば、なんらの理屈は要らないのです。


2023年07月17日

時の御経綸

* 時の御経綸の、霊的真相を明らかにしていく。 御経綸に対処するのに必要なことは、霊智である。 霊智をいただけたかどうかは、事実のうえに発揮されて初めていただいたといえる。

* 日月地の本命をいただいたといっても、それは人間の業ではない。 神業をいただいて、時の御神意のままに仕えてゆくのでなければ、なんらの力は生まれないのである。 時のみこころが写らない、わからないのは、その想念にある。

* 時は、神のみこころである。 時を無視しては、後神命も、御守護も、新しき生命もいただけないのである。 時の御経綸が、すべてを解決するのである。

* 時の御経綸に仕えて救いを実生し、祖霊と共に神赦しをいただいてこそ、祖霊の因縁を身替わることができるのである。 救いは、時の御神業によって事実にみせられれば、理屈は要らないのである。


2023年07月17日

別府教会との交流会

鹿児島教会と別府教会との初めての別府教会にて交流会(意見交換会)を行いました。 活発な意見があり有意義な時間でした。それぞれの悩み、神徒さんの育成・布教など立場は違いますが、いろいろと参考になる部分など大いに刺激となりました。ありがとうございました。

                   

また、次の機会も考えていきたいと思います。教会ではなく、別の場所でもいいのかなあとも思いました。


2023年07月09日

7月のみこころ

7月の掲示板です。ご覧ください。

      

毎月、出したいと思います。


2023年05月30日

~無の力~  真実となって無の力をいただく

  • 神言の実生

救世主様は、“すべては神言によってはじまる。 現象にあらわれてくることは、神言が移された神ムスヒの型である。 主神・日月地大御神様は、大神言をもって日月地の神世の創造をすすめられたのである。”と仰せられました。 主神の大神言を現界に写し、形にあらわして片をつけて、赦されていくのが救世の御神業です。 みこころと御経綸は、数霊によって明かされていきます。 六の力は無の力であって、創造と生命の誕生に働くのです。 六には、創と造の力・生と成の力・化と育の力が秘められています。 先人は、天地自然の運行や人のあり方を六に求めていますから、六(ム)の力を知っていたのです。

  • 因縁は借りとなった

救世主様は、“この世に生命を享けるのは因縁による”と開かされました。   そして、“御神業によって因縁は清められていく”ことを明かされました。 さらに、夜の時代に累積してきた体主の因縁を仮にしてくださったのです。 これを、“因縁は借りとなった”と仰せられたのでした。 救世主様は、“因縁は借りなればこそ返すことによって救われる”とご開明になられたのでした。 そして、因縁の借りを返すには、感謝と素直と真実の生き方をすること。 言魂と洗霊による救世賜命にお使いすること。 世のため人のためになる(他のために為すこと)こと。 を神仰実践としてくださいました。

  • 想念は因縁の写し鏡

救世主様の御言魂で、人間の因縁は想念にあることがわかりました。 想念を転換し変えることによって、因縁は変えられていきます。変わり換えて替えられていくことは、御神意によるお赦しです。 祖霊に代わって、化わった結果をだすことです。 想念は因縁を移しだす鏡であり、原因と結果を写しだす鏡でもあります。 因縁は原因があっての結果であり、結果は次の原因となる神理をいいます。 想念は因縁の写し鏡であり、原因と結果の写し鏡であることは、“想念に、人間すべての原因と結果がある” “想念は霊界の姿であり、祖霊の念願が息づいている” “想念次第で天国にも地獄にも往き、想念が自己に報われてくる” とくださる救世主様の御言魂から視ることができます。

  • 真実になること、ただそれだけ

救世主様は、“救いの賜命は、無(六)の力をいただき真実になること。 ただ、それだけである。 真実になれば、祖霊と共に救われていく”と仰せられました。 真実の実生は、神仰の実践目標です。 真実になれば歓びが生まれ、歓びは力となります。 歓びの力は感謝をはぐくみ、感謝の想念は生き徃(ゆ)く力となるのです。 逆に真実がないと歓びは消され感謝は失せて、不平と不満の想念による邪心の足がかりとなるのです。 神に結ばれた真実(ム)の想念から発せられる言葉は、言魂となります。 六(ム)の働き、無の力を視り、感謝と素直と真実によって新しき生命をいただくのが神仰です。


2023年05月30日

無の力

*救世の神が下生されたことを実生していくのが、神ムスヒの御神業である。神ムスヒの御神業に  仕えていくには、無の力の存在を視ることがいちばん大事である。

*神は力三(かみ)といって、三つの力に六が働いて無の力となり、九が生まれるのである。 こ     の力を視るのでなければ神結びにならないし、真実は生まれないのである。

*主神から、借りにしていただいている因縁であるから、借りを返せば無の力をいただいて楽になり、祖霊と共に幸せとなる。 これは大変に結構なことであり、結構だという心の歓びが力となるのである。

*神仰により新しく生まれかわっていく第一の条件は、因縁の身代わりである。 神仰は自分だけが入信するのではなく、祖霊に身替わって無の力をいただく入信である。


2023年04月03日

4月のみこころです。

広報係の担当者が毎月製作しておりますのでご案内いたします。