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体験談
2021年01月31日
人のために生かす生命を賜って その3
明日の生命ともわからない私に、このような素晴らしい歓びを与えてくださりありがとうございます。私の周りには、いろんな人たちがいますが、私たちは年金で生活ができて、何不自由なくこうして暮らせるのも神の御守護であり、救世主様に育てていただきました見えないちからそのものだと思います。
これからも、まだまだ体の不安がちらつきますが、神の為されるまま素直に神力をいただいていきたいと思います。今できること、日々神に結び、朝夕拝、大祭、神祭などに結んで、祖霊から子孫へと縁の糸で結ばれた歓びを伝えていきたいと思います。そして、遠距離の神徒、身近な神徒さんへの声掛けや「救世」の配布など、できるところからお使いいただきます。 数々の御守護を賜り、幸せに過ごさせていただいていることに感謝して、日々を大切に過ごしていきたいと思います。
2021年01月17日
人のために生かす生命を賜って その2
しかし、六十代後半にして突然、生死をさまようような大病に冒されました。時間の問題とまで言われ、教会長さんに言挙げしました。すぐに駆けつけてくださり、御洗霊を賜り特別神救いお願いをさせていただいて、一命を取り留め、今はこうして御賜命をいただいております。
若いときの念願であった、世のため人のために一生を捧げさせていただきますとの救世主様との誓いは、現在に至っております。食生活では、地域の男性料理クラブで調理の研修のお手伝い、伝達、また踊りでは、高齢者センターの四十数名の皆さんと触れ合って、公民館二ヶ所で二〇数名の指導と目まぐるしく過ごしております。昨年十一月、公民館にて外国アジア青少年団との民謡の交流会が行われました。十八歳から二十二歳までの若くてきれいな娘さんたちと、アジアの民謡を教えあいました。私たちは、おはら節をいっしょに踊り、交流のひと時を過ごしました。
また、老人ホームなどの慰問も次から次に声がかかり、昨年は七ヶ所行かせていただきました。ホームのみなさんは高齢者で私と同じ仲間だと思うとき、「 救世主様ありがとうございます。」とお礼を言います。仕合わせに人の心に愛の花を分けてあげられることがうれしくて、ホームの皆さんも涙を流して喜ばれます。帰るときは、「 また来てね」 と握手をしながら分かれます。この感動は何物にも変えがたい喜びです。
2020年06月21日
神仰する意味を視って(続き)
特別御守護お願いをして、救世主様、祖霊にしっかり想念を結んで診察を受けましたが、レントゲン検査でも異常はなく、心療内科の先生もはっきりとした原因はおっしゃいませんでした。薬を処方されましたが、教会長さんや母の御洗霊と教会長さんとさせていただいた布教で、とても自分のために勉強になり、元気になることができました。実は、以前にも精神的に不安定になったことがあります。母方の曽祖父が亡くなったときです。今回ほどは重くありませんでしたが、その時は、参拝と御洗霊ですぐに元気になったように思います。
水俣の道の駅のばら園
今は体験発表をさせていただくほど元気になり、力をいただいています。私には参拝しなければならない理由、神仰しなければならない賜命があるということが少しわかりました。先祖の願いがどういうものか、はっきりと分かったわけではありません。また、今回のような浄化が出ないとは限りません。そのときには、すぐに救世主様の御前に額づきたいと思います。教会長さんや神徒さんたち、母や家族が心配して一生懸命、私のために動いてくれたことにとても感謝しています。ありがとうございます。私は一人ではないということ、神仰することの大切さを視りました。
水俣の道の駅のばら園
今、世の中の子どもたちはいろいろなストレスや不安、いじめなどで生きにくい時代だといわれています。私の友だちでも最近、うつ症状があるという子もいます。私にできることは何かを救世主様に結び、悩んでいる友だちを元気にしてあげたいと思います。
安心院のワイナリー
2020年04月11日
信仰する意味を視って(体験)
私は今年の4月、希望していた高校に入学することができました。中学の時とは生活のリズムもずいぶん変わりました。バスなどを利用して登校するのは、少し大人になったような気持ちになり、その間の友だちとのおしゃべりがとても楽しいです。
中学三年生で進路を決める時期に、まず私は高校を卒業した後、どうするかということから考えてみました。大学や専門学校への進学はまったく考えていなかったので、卒業後は就職すると決めていました。それならどこの高校がよいかということになり、就職率の良いと思う高校に決めたのでした。
中学での成績は、そんなに悪いほうではなかったので、担任の先生が面接のときに「本当にその高校でいいのか。普通科の高校へいき、進学してもっと自分を向上させ、選択を拡げるという考え方もあるよ。」といつもアドバイスをくださいました。しかし私の考えは変わらず、逆に、「自分は、一生懸命考えたのに、なぜそんなことを言うのだろう」と不思議に思い、素直に考えることができませんでした。
受験勉強は、他の人のように必死になってしなかったように思います。それでもやはり、受験日が近づくと不安になり、母に言われて参拝や御守護お願いをしたりしました。そのためか、受験当日は落ち着いて試験に臨むことができました。母から「その時ばかりの参拝はいけないよ。」と言われていましたが、私の想念は神頼みの想念でした。 (次回に続きます。)
2020年01月26日
人成を創っていきます。
鹿児島教会は、鹿児島市明和五丁目にあります。以前 「日と月と和して明るく地を照らし光の渦は拡ぎゆくなり」との詠を賜り、明るい教会を目指しています。教会の神徒さん相互の睦み、絆を大切にしていろいろな活動を行っています。
大祭では、月の御意・訓話に真剣に取り組み、月ごとに行事は変わりますが、レクリエーションやバザー、敬老会、神徒組織ごとの発表会など、緯の繋がりも大切にしています。
参拝では、動く賜命者育成会として深く研鑽を行い、活発な意見交換の場になっています。日々の朝夕拝、参拝で神結びの基本に立ち返り、三つの想念(信じる想念・歓びの想念・救いの想念)で御賜命にお使いいただいて、神の奇蹟を味わっていけるのだと思います。
原良福音所の庭の梅です。暖かいのか小さいですが、花が咲きました。別の駐車場の梅も咲き始めています。こちらは、実がなりますので楽しみです。
2019年12月22日
人成を創っていきます。
8月よりの続きです。諸事情がございまして中断しておりました。引き続きお読みご検討ください。
月日は流れて、救世主教で幾度となく言挙げの時や場を賜り、嫌々ながらでの御賜命のなか、念じ祈り強く想念をもつことで、今では人並みに自信がもてるようになって、御賜命に感謝です。
昨年は、母の入院や父の帰幽と、寂しい辛い悲しい思いもしましたが、兄弟八人みんなで助け合い、夫や子供たちの協力も得て乗り切ることができました。父の通夜・葬儀では、善言讃詞、救霊御詠とそれぞれに御賜命を賜り、お使いいただいて、みんなで見送ることができました。母の父に対する詠に夫婦の絆を感じ涙しました。私は、父との思いを懐かしみながら、お別れの言葉で父との別れをしました。共に救世主様」の霊統で結ばれている絆に感謝です.
原良福音書で育っている樹です。12月に入り小さい花が咲いております。これでもかというぐらいに花が咲いております。
続きはまた書きます.
2019年08月25日
8月にあたり。
8月にあたりといいますが、少し遅くなりましたが掲載いたします。
救世主教の神徒さんは、朝夕、日月地祝詞奏上、御讃歌奉唱を行います。また、ご先祖様には、善言賛詞を奉唱させていただきます。善言讃詞は、ご先祖様には御馳走であり、私達の霊性(魂)を高め、先祖の方々との霊線を繋ぐ言魂(言霊)です。
善い言を口に出し、先祖の方とそして人との霊線を繋ぎ、創造としていきましょう。逆に悪い言を口にすると破壊となり相手を傷つけ自分自身を傷つけて、相手の霊線を切っていく事も知っておきましょう。
2019年08月25日
人成を創っていきます。
前回より
今年の教会のみここころは、「想念を転換することによって、因縁は変えられていく」を賜り、私の想念に強く響きました。そして今、自分の想念、過去からの私の因縁を紐解いているところです。感謝・素直・真実の想念、ウオタアの想念、うれしい、面白い、楽しい、有り難いの想念への転換が難しく、嘆いて自暴自棄になったりと、恥ずかしい我に気づかされます。神結び、言挙げの足りなさを痛感するときでもあります。 しかし、神徒さん方との何気ない語らいのなか、また電話での神徒さんからの歓びの言挙げなど自然に癒されて、救世主様の愛にただ感謝です。
私の因縁として、幼少からのどもりに非常に悩んできました。すべてのことを消極的になるほどでした。御洗
霊をいただくときは、救世主様に「お話がちゃんとできるように、本がしっかりと読めるように」とお願いしていたものでした。
次回に続く
2019年08月18日
人成を創っていきます。
救世主様の霊統に結ばれている私たちは幸せです。日々、私一人の賜命にゆるされていることに感謝です。元旦に賜りました私のみこころは、「霊主体従の法則を具現するのが、人間としての本命」でした。改めて有り難く霊主体従の言魂をしっかりといただいていきます。そして、霊界の実相が限界で因縁として視せられる時となり、因縁の審判が今や霊界から現界へと移されて、カタづけられていく救世の大神業の節分けでもあるといただいています。想念の我・執着・慢心が原因となって、病貧争が形になって写されてくる浄化です。浄化は至善にいたる必要な形と分かっていても、感謝で乗り越えることは難しいものです。 これまでに、想念の転換、想念次第、想念は人生を創ると言魂をいただいています。
次回に続く。
2016年10月17日
意見体験発表2回目
前後して、今年の2月末、姶良に住む姉にも胃癌が発覚し、摘出手術を行いました。
手術前に、救世主様に結び、姉に御神力拝受をいただきました。
そして、改めて手術当日は、主人と二人、加治木の病院へ出向き、兄と3人で手術に立ち会いました。
7時間近くかかり五分の四の胃を摘出いたしました。幸いにして他への転移もなく手術は無事に終わりました。
けれど、術後の回復が思うように回復できぬ様子で、通常の患者さんより少し長い入院生活をしいられましたが、5月初め、無事、退院し、兄と二人で生活しております。
60歳初めまでは、看護師として働いてきた姉は、精神的にもとても強く、自分の体のことでも泣き言一つ言わず、術後、体の調子があまり良くなかったことも、これも、“自分の運命かしら”とポソッとこぼした時は、私もとっさに返す言葉もなく、さらりと聞き流してしまったような気がします。
とにかく、姶良の兄夫婦は日頃より感謝の想いがとても強く、五年ほど前より地域の高齢者の方々のお世話をさせていただいたり、グランドゴルフ等、共に携わりながら地域の方々とのコミュニケーションも深まる中、姉の入院中は、多くの方々にお見舞いをいただいたようでした。