2015年09月24日
意見体験発表
本日は、祖霊とともにご参拝おめでとうございます。
また、意見体験発表の御賜命を賜り祖霊とともに感謝申し上げます。
両親が帰幽してより13年忌を父は2年前に終え、母は来年むかえます。
兄弟姉妹育った中で私は下から2番目あったこと、そして、縁あって両親のそばで暮らし、二人を最期まで看取った事は、十数年過ぎた今、思う事は、これもなるべくしてなった事であったと感じております。
宮崎で生活していた兄の胃癌がわかり気づいた時はすでに末期であり、肝臓へも転移した状態でした。姉から病気の知らせを受けたのは二ケ月近く過ぎてからでした。兄弟の中では一番元気そうであった兄がまさかの末期癌になっていたとは私のすぐそばにいる姉も私同様ショックだったと思います。
11月、12月と三度ほど宮崎の兄を見舞い、年明け早々は、穏やかに落ち着いていると聞いて少し安堵していたのですが、とうとう三月初め、帰らぬ人となりました。兄はとにかく魚釣りが大好きで、猫をかわいがり続け、ギリギリ体力がもてる限り車の運転を自分で行い、病院へ通っていたようでした。昨年12月半ば、私たち、兄弟三人で見舞った時の兄の嬉しそうな顔、つりの話をしている時のキラキラとしている目、この姿が今でも鮮明に残っています。痛み、苦しみも殆んどなく、兄弟の中では一番早く別れることになりましたが改めて神徒として神縁を結ばさせていただいた事に感謝させていただきます。
2015年07月02日
神仰体験記
毎日、暑い日が続き全国で熱中症による救急搬送がとても多いと聞きます。室内での発症も多いので、皆さんも気をつけてください。
私は、訪問介護の仕事を続けていますが、高齢になると暑さやのどのかわきを感じにくくなるため、この季節は、ヘルパーさん、皆さんで室内の温度や水分補給の声かけを特に気をつけて行っています。エアコンや扇風機もつけず、閉めきったお部屋で待っておられる方も多いです。素直にヘルパーの声かけを聞いてくださるといいのですが?
「私は、暑くないから」とか「電気代がもったいない。」とか「水を飲むとトイレに行く回数が多くなる」とか、いろんな理由があり、また、リモコンの操作方や設定の方法、つけたり、消したりが分からないという方もいます。
なので、訪問し、ドアを開ける前にどうか今日もお元気でありますようにと救世主様に結んでから毎日支援の仕事についております。訪問介護は、ほとんど一対一で関わる仕事ですので、ドアを開けて、倒れていたり、意識がないという状態のときもあり、ヘルパーの精神面でもとても大変な仕事なので、救世主様に結ばれているというのは、とても心強くありがたいです。うまく表現できないのですが、その方の人世の仕上げの時に、本の少し関わらせていただける仕事はとても勉強になり、年を重ねていくとは、どういう事だろうと考えさせられます。
(続きは次回に)
2014年08月04日
神仰体験記 ~神仰があることに感謝して~
私は、神仰二世です。母は、弟の癇癪の発作がきっかけで入信をゆるされたと聞いております。当時、私もまだ中学生だったと思います。母と弟と三人で地区本部、教会へと参拝が赦されていました。そのときはなにも分からず、ただ母と共に御神前で額ずいていました。
私は高校卒業後、仕事で横浜にいっていましたので、教会参拝は正月やお盆に帰省したときだけでした。その間、弟にはいろいろな浄化を視せられ、母は必死の思いで教会や地区の参拝、大祭、神祭には弟を連れて参拝して、因縁解消へ、御賜命へと努力していたようです。そんなとき、私は父の「そろそろ家へ帰ってこんね」の一言で十二年間勤めた会社を辞めて、実家に帰ってきました。それからすぐに縁あって、夫と結婚しました。少しではありますが、夫も神仰のことを理解してくれ、日々、努力してくれています。
しばらくして父が脳梗塞の浄化をいただき、その二年後、平成六年に弟に父と同じ脳梗塞の浄化をいただきました。母は二人の世話をしながら、大祭、神祭へ、因縁解消がゆるされますようにと参拝していました。その父も平成十二、胃潰瘍、肺炎の浄化をいただき霊界へと徃っていきました。
私も結婚してから、少しずつ救世主教の教えが分かりはじめて、祖霊からの因縁がたくさんあり、現界にて解消しなければといただきました。教会参拝がゆるされるようになって、三大目標である、霊性の向上、因縁の解消、日月地の神世創造の意味も分かりかけてきたころ、今後は母が、父や弟と同じ脳梗塞の浄化をいただき、霊界へと徃っていきました。
母の帰幽により、私は想念の浄化をいただきました。(なぜ救世主様は、こんなに一生懸命の母を救ってくださらなかったのか)と思う日が続いて、なぜ同じ因縁を視せられるのか、「救うものは救われる」の意味すら分からなくなり、自問自答する日々でした。
そんなとき、上司からの言葉で「本当はもっと短い命だったかもしれない。こうして80歳まで生かされいきてこられたのも、救世主様に御守護いただいて、御賜命を果たし終えて、天命を全うし霊界へと旅立ったのだ」と思うことに、想念の転換がゆるされました。もし入信をゆるされていなかったら、救世主様との出会いがなかったら、これまでの数々の御守護もなかったのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。・・・・
2014年04月02日
神仰体験記 ~大きな転換の時を与えられて~
私と救世主教とのご縁ははとても長いのですが、神を求め御守護、浄化の意味を視るようになったのは、つい最近のような気がします。姉である教会長さんへの電話での言挙げにより、神在るを視り慶びを感じています。
次から次に見せられる家族の体の浄化も一回一回、言挙げさせていただくなか想念の転換をおゆるしいただいています。すべてを前向きに捉え、行動を起こして、良き結果をいただきありがとうございます。
現在、千葉に在住、地区へのご参拝もなかなかゆるされず、神仰も前に進むことができていませんでした。上司の勧めで平成18年7月に班長の御賜命を賜りました。わが家にも御神体様の御奉戴がゆるされて、朝夕、夫と息子と共に祝詞、御讃歌が奉唱でき睦の時と場所を賜って、私の神仰が一歩二歩と進んだような気がします。
夫が定期健診にて、大きな病院に行くように言われ、総合病院へ行きました。直腸がんと言われ、その後の検査でリンパ節4個、肝臓にも転移しており大変な手術でしたが、無事終了することが出来ました。生活も一変し野菜中心の生活になりました。
一息と肩の荷をおろしたところ、県外に住む子供から腰の浄化をいただきました。仕事上、腰を曲げる姿勢が多く、ある日、激痛が走り病院へいき手術となりました。すぐに救世主様へ神救いお願いをさせていただいたところ、私の想念が落ち着き、子供に安心して手術を受けるようにとの言魂が出せました。御守護を賜り翌日には歩けるようになり、一か月ほどで自宅療養を経て仕事に復帰してがんばっています。
浄化と御守護は伊都能売であるといただいていますが、感謝の想念を培う善き浄化でした。これらの浄化を機に、聖なる使徒として救いをさせていただきたい、多くの人が幸せになって欲しいとの思いが湧き上がってきました。その思いで御神力拝受の声かけをしたところ、昨年は友人とそのご主人、一年生になるお孫さん、そして友人と教徒昇格をおゆるし賜り、二年間で7名という慶びの結果をいただきました。素直に実践に移した結果だと感謝しています。
一度あることは二度、三度あると言いますが別の息子が大きな事故の浄化を賜り、それ以上に大きな御守護をいただきました。
突然、四男から連絡があり、「今、救急車で運ばれて病院にいる。フラッとしてホームに転落して頭を打った。頭蓋骨骨折と腰の骨もやられているようだ。この病院は脳外科の医者がいないから、次の病院に搬送されるかもしれない。何せ脳なので家族に来てもらわないと、しっかりした診断ができない。先へも進めないらしい。すぐにきてくれ」と、しっかりした口調での報告でした。
私はまず御神前に額ずき、四男の無事を祈ってから千葉から東京へと車を飛ばしました。次の病院へと転送され新宿の病院に午前五時頃着きました。CTなどの検査があり、まずは命に別状はなくICU室に入れられました。再検査でも脳の中の出血はなく、一安心でした。しかし、左足はまったく動かず心配でしたが、着替えや入院準備のため家路につきました。
朝、七時前に教会長さんに言挙げさせていただき、特別神救い願いをさせていただき一息つくことができました。病院での四男の顔を思い出し涙しましたが、生命を救世主様、祖霊の方々が護ってくださったのだと霊衣に包まれて無事だったのだと感謝の想念でいっぱいになりました。
翌日、病院に行くとなんと一人で、車いすでトイレにもいけるようになっており、驚くほどの回復ぶりに本当にびっくりしました。日に日に状態はよくなり、五月一日には松葉杖をついて退院できました。一週間のリハビリを終え、足の痛みはあるものの五月十日からは杖なしの歩行で出勤できるようになりました。
この間、夫も私も御神前にて御神体様に神結びと幽世大神様に四男の回復を必死で祈りました。教会長さんをはじめ多くの方々に心配をかけましたが、みなさまの温かい心に触れることもできありがとうございました。私も多くの人たちに支えられて、八年になりましがネットワークビジネスを続けています。素晴らしい人との出会いがあり、楽しく仕事をしています。
しかし、人と人とのビジネスはいろいろな問題も起きます。気持ちのすれ違いにより予期せぬことも起きますが、私は、言挙げという素晴らしい解消方法ですべてをプラスの想念に転換させていただき幾多の難局を乗り越えてきました。明るさ元気やる気が私のモットーですので、御神前にて力をいただきます。
ある科学者の言葉に「海容で豊かな研究者であれ」という一言があります。神仰も生き方も広く間口を開けて、ウオタアの想念を培っていきたいと思います。これからも人との出会いを歓びとして、他のためになす実践へと歩みだしていきます。
厳しい世の中、先行き不透明な世の中ではありますが、救世主様にしっかりと想念を結び、皆さんと共に幸せになりたい、幸せになるの想念をもって、霊止としての人成を精一杯生きていきたいと思います。