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体験談
2022年11月03日
共の因縁を型にゆるされて 2
長い神仰生活の中で、何人もの子どもたちに先立たれ、辛く悲しい思いをしながらも一心に救世主様を信じて、神仰一筋に生きてきた母も、平成12年に89歳で帰幽しました。 私も、長い間にはいろいろな浄化をいただき、そのたびに御守護を賜ってきました。 しかし、ここ数年、仕事の都合で参拝がおろそかになりがちでした。 そんな状態のなか、今年に入ってすぐ、親しくしている酒屋さんがパチンコにはまり、お金に困ってみんなから借金をして回っているとの話を聞いて、銀行の保証人になっているため、とても心配していました。
それからほどなくして、銀行から連絡があり、支払いが三ヶ月遅れているので、夫に払ってほしいということでした。それも一つのはずだったのに三つもあり、初めて騙されたのだと分かって、信じていた人だったので私も夫もショックを受け落ち込みました。 本人に連絡しても、 待ってくれ の一点張りで払う気はなく、最後には電話をしても無視するようになりました。 いろいろ考え悩み、夜もろくに眠れませんでした。
しばらくして所長さんに言挙げをさせていただき、「 あなたも、相手の方も、供の因縁をもっているのですよ。救世主様は、それを型で示され、因縁の解消をしてくださるのですから、相手を恨まず、咎めず、感謝しなさい 」と言魂をいただいて、気が楽になりました。
2022年09月18日
共の因縁を型にゆるされて その1
私が救世主教に結ばれたのは、母のお腹のなかにいるときでした。 もう六十年近くになろうとしてます。 私の幼いころには、教会が湯之元というところにあり、毎日、両親に連れられてご参拝していました。 教会長さんにも、とても可愛がってもらいました。 また、年一回、その当時は救世殿でご参拝でしたが、ほとんどの人がお金がないため、前の日に各駅停車に乗り、あくる日の朝五時に別府駅に着き、近くの宿の大部屋で少しの睡眠を取って、そこから歩いて救世殿まで行っていました。
まだ寒く、時には雪が降ってくる年もあって、救世殿の前の道路脇では係の人達が、大きな丸太で焚き火を作ってくれ、みんなで開門まで暖を取っていました。 私が 七歳のときだったと思います。救世主様が、両脇を男の人たちに抱きかかえられてお出ましになりました。 その年の法話は、とても厳しく激しく、神徒さんたちはみんな泣きながら聞いていたのを、子ども心に鮮明に覚えています。
その後、教会が鹿児島に移り、湯之元は分教会になりました。姉も私もハッピー会の活動に参加させていただき、他のハッピーさんたちと六人くらいで、教会までバスで行っていました。 中学生の時には救世殿で行われる研修会に参加して、厳しかったけれど楽しい思い出です。 二番目の姉は、聖地建立のときに奉仕にお使いいただきました。 その姉も今は亡くなりましたが、娘は何かあると電話をしてきますので、そのたびに言魂を与えています。 続く
2022年08月28日
救いの体験を通して感謝になれて 3
その時は怒りや悲しみ、いろんな感情が溢れていましたが、母親に「 何もせずに悩み後悔するより実践したほうが悔いはない。 あなたがやったことは、決して無駄じゃない。それが徳になっていつか何らかの形ででてくるのだよ。 幸せになるための試練と思いなさい。 どんなに辛くても、本当に守りたいと思うなら、無償の愛で愛しなさい。 相手をこれからも人として包んであげなさい。 それが今、すべきこと 」 という言魂をかけられました。
私は、精一杯のことをしたのだと想念の転換ができ、相手を咎める気持ちがなくなって、とても心が軽くなりました。 あの時必死に涙をこらえたこと、母親の涙で救われたこと、今でも胸のなかにあり忘れられません。 今では良い経験ができたと思います。 救世主様、ありがとうございました。
私は今、霊主体従で生活することを心がけています。 以前は、昼夜転換の生活で、神仰が疎かになっていたこともありましたが、毎日二回の御洗霊の実践、教会への参拝と、これからも霊主体従でお使いしていきたいと思います。 我・執着・慢心を捨てて、たくさんの因縁を赦されていけるようにがんばりたいと思います。
終わり
2022年08月21日
救いの体験を通して感謝になれて 2
私は、一時期、富山にいました。その時自分の都合で新年の大祭にゆるされませんでした。 すると、その月の給料日、コンビニで買い物をして車に戻ると給料袋ごとなくなっていました。 車に鍵もかけず安易にしていた自分を反省しましたが、後の祭りでした。 大事な大祭に参拝しなかったため、お気付けをいただいたのだと痛感しました。 そんな私を周りの人たちがいろいろと助けてくれ、これも、救世主様のお陰と感謝させていただきました。
また、ある一人の女の子と仲良くなりました。 一月にいったん鹿児島に帰ることが決まったとき、その子も参拝させたくなり、信仰していることを話しました。 その子にだけは自然に話せることに、自分でも驚きました。 その子の家庭環境は、複雑で、過去に尋常でないこともたくさん経験しており、そういう話をするたびに、「 この子を救いたい 」 という気持ちが大きくなっていきました。 その子は以前、宗教で嫌な思いをしており、私が神仰の話をしたときも最初は微妙な反応をしましたが、「 あなたのことは信用できるから 」 と、いっしょに鹿児島にいくことを約束してくれ、入信をおゆるしいただきました。 そして、 七月からその子は鹿児島にくることになっていました。 ところが、彼女に大きな浄化があり精神的にまいって 「 死にたい 」というようになり、私に、「 迎えにきて 」と言うようになりました。 私はとても迷いましたが、母親の言葉に背中を押され次の日、名古屋までいきました。 話し合いましたが徒労に終わってしまい、振り回されている自分にとてもショックを受けました。 つづく
2022年08月13日
救いの体験を通して感謝になれて その1
私は、仕事で県外に行っていました。遊びとは違い、県外で働くという事は不安で、とても勇気がいりました。しかし、救世主様のおかげで自分のやりたい仕事に就け、会社の人にも恵まれました。県外から来た私にとても親切にしてくれて、私の腕を認めてくれ、どうしてもけががつきものの仕事でしたが、大きなけがもなく、本当に救世主様の御守護を知らされました。
いろんな人との出会いがあり、普通では経験しないようなことも経験できて、生活していくなかで自分の小ささに気づいて、人は一人では生きていけないということを身にしみて実感しました。 特に母親にはずいぶん支えられました。 電話などで言挙げするたび、力強い言魂をかけてくれ、ときには叱り、励ましてくれました。 母親の偉大さに気づきました。楽しいことも、苦労したこともたくさんあった日々でしたが、救世主様の尊さを学ぶことができたのが一番の御守護です。本当にありがとうございました。 教会に参拝できないため送り洗霊や、会費を必ず自分でさせていただきましたが、離れているとやはり浄化もたくさんありました。
2022年07月31日
朝参会実践で想念に力をいただく その7
私はこうして何度も朝参会で救われてきました。 そこにはいつも救世主様の神護り、そして、教会長さん、所長さんがいたからです。 人の不平不満を聞くことも忍耐力が必要です。 言挙げする側は、何度も同じことを繰り返し言挙げします。長い浄化の間、よく付き合ってくださったと心から感謝してます。 私が、お預かりしている神徒さんは、厳しい浄化の方が多く、精神的浄化や病の浄化と供の謂われをもつものが視せられます。 人智で考えると、この神徒さんを救いあげていただくことができるだろうかと、不安になるときもありますが、救われる側から救う側へ、救世主様の愛と力を視った私は次の御賜命へと進んでいかなければならないときだと感じております。
まだまだ、我・執着・慢心の強い想念を正して、教えを説くのではなく、心・言・行の実践に努力して、認めてもらえる神性人間へ向上させていただきたいと思います。
2022年07月24日
朝参会実践で想念に力をいただく その6
ゼロからの出発です。 新たな気持ちで因縁の解消をさせていただくと、希望に満ちて開教記念祝典の救世殿参拝をおゆるしいただきました。 そのころより自分の思いと夫との思いがすれ違い、事がうまく進まくなって、次第に不平不満へと変わって、裁く想念へと変わっていきました。 想念の浄化です。 自分ではどうすることもできません。 「 想念の浄化は一番大変で苦しいものです。 そんな心を持っていては幸せになれないから、今、救世主様が引き出して感謝で超えなさいと浄化をくださったのよ 」 と、言魂を何度もいただきましたが、あまりの苦しさに逃げ出そうと考えていました。 引きこもろうとする私を、言魂で家から連れ出し、洗霊を与えつづけてくださいました。とても暗く長い日々を送りましたが、この時がなかったら、私は改心することなく、ずるずると闇の中へ落ちていったと思います。
「 救世主様は、想念を正していきなさい 」と仰せられています。 「 人は増悪・嫉妬・侮辱それに偏ったこだわりの想念をくもらせて邪魔な想念となって、自らの行動を誤らせて、他人をも迷わせて自他を滅びの道に陥れてしまう 」 といただいたとき、私もあと一歩のところで子供たちを巻き込み、破壊へ進んでいくところでした。 この浄化をとおし、真実とは相手に求めるものではなく自分に問うもの、自己を正すこと、視せられ聞かされするなかに、必ず自己を正すべきことがあるといただきました。 つづく
2022年07月15日
朝参会実践で想念に力をいただく その5
また、介護する側もされる側も、精神的、経済的にも負担がかかってきます。 高齢化社会を迎え、家庭での役割もますます問われてくることと思いまう。 私は、この経験を生かし、今は元気で暮らしている義母はいつか誰かの手助けが必要となったときには、喜んで最高のお世話をさせていただこうと思っています。 見えぬ徳を積み重ね、きれいな霊線を子孫へと繋いでいきたいと思います。
朝参会の実践を積み重ね、朝参会後の布教の実践を重ねるなか、平成十八年、大浄化をいただきました。 隣家の出火で自宅を全焼するという浄化です。 その日は、朝参会へ行き、布教後、自宅へ帰り間もないころ、外で騒いでる声とパチパチと何か燃えるような音が聞こえ、外へ出てみると、隣の家から炎があがっているのが見えました。 消化活動が終わり、私が目にしたものは、真っ黒に焼けた柱が数本残っているだけで跡形もないわが家でした。 不思議なことに絶望や不安は全くありませんでした。 人から見れば災難に遭い大変そうに思われるかもしれませんが、何より家族全員が無事であったことが大きな御守護でした。 今までの、罪穢れを、救世主様が焼き払ってくださったと思え、感謝で超えることができました。
どんなに忙しくても、朝参会だけは続けてきたことで救世主様より力をいただいたのだと思います。その時は何も変わらないようですが、朝参会でいただく力はいざというときに発揮されるのだと、改めて朝参会、神の仕組みの尊さが分かり、有り難く思えました。
2022年07月01日
朝参会実践で想念に力をいただく その4
「 親子は前世で敵同士であった 」 と教えられています。先達である私がは母を救いあげていかないとはと、頭ではわかっているのですが、一生懸命看病しているのにどうして母は分かってくれないのだろうと、感謝できずにいました。 このころ、所長さんの勧めでで朝参会の実践を始めました。 朝参会で、救世主様より愛と力をいただき、その後、病院へいって御洗霊の実践をして、最後まで母を看取ることができました。
母の人生の後半は、病気との戦いでとても辛いものだったと思います。 私の身代わりとなり、大きな因縁を果たしてくれたのだと、今は感謝の思いでいっぱいです。御神力をお伴して霊界へ徃られたことが、私のたった一つの親孝行だったと思います。 病気の苦しみや辛さは、本人でなければ本当には分からないものです。
つづく
2022年06月28日
朝参会実践で想念に力をいただく その3
神は魂のきれいな子どもを使われます。 私の最初の魂磨きでもあり、想念の転換を大きくゆるされた浄化でした。 想念に改心がゆるされると同時に、息子の浄化もなくなり、今は元気に毎日を過ごしています。 大きなみこころと神力をいただき、救世主様に心より感謝申し上げます。幽世大神様の御奉斎、毎月の先祖祭もゆるされるまでになりました。 祖霊の慶びを感じます。
私は一人っ子として生まれました。 母は病弱で長い間入退院を繰り返していました。高校時代は病院から通学する毎日を過ごしていました。そんななか、母を支え看病していた父も平成六年七月に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬひととなりました。その後は一人っ子である私が看病することとなりました。 少しでも母の心が楽になるのであればと、毎日病院へ足を運び世話をしていましたが、入院が長くなるにつれて苦しさや痛みで心の置き場のない母は、その苦しみを私へ向けてくるようになりました。
寂しさや不安からか、「 すぐ病院へきて 」 と、時間もかまわず真夜中でも電話してくるようになり、わがままになっていきました。
つづく