2024年01月27日
救世主様の神護りがあればこそ その4
深夜にもかかわらず、義父母は驚きながらも温かく迎えてくれ、食事を出してくれました。 義父母のやさしさに触れて、私も反省して、「 九州に帰って人救いということよりも、まず夫の先祖や義父母を救うことではないだろうか 」と思い、次の日自宅に戻りました。 それからは義父母に福音させていただき、夫に対しても素直に接するようにしました。 夫も少しずつ変わってくれ、義父母といっしょに御聖誕記念祝典に参拝ゆるされるようになりました。 今では毎年、御聖誕記念祝典には家族揃っての参拝がゆるされています。 また、八年前からは春季特別大祭や開教記念祝典、新年大祭にも夫婦交代で参拝させていただくようになりました。
五年前、二十年続けてきた店を閉めて、私は病院内の調理師として働き、夫はタクシーの運転手に転職しました。 朝拝、夕拝の時間が合わなくなりましたが、メールで御洗霊にお使いすることを知らせてでも「 御洗霊は欠かすまい 」と思い、日々お使いいただいています。 お陰様で、夫は営業所でトップクラスの実績を挙げ、御守護の元、自営業で培われたことが、お客様への心遣いや接し方に活かされています。 三年前には狭いながらもマンションを与えていただきました。
2024年01月23日
救世主様の神護りがあればこそ その3
幽世大神様をお迎えしてからは、『 御聖言 』やそれまでの『 救世 』を真剣に読み、パンフレット配布にもお使いしました。 夫の実家を救い、店のお客様、子どもの学校の父母さんなど、お救いに励みました。 どんなに夜遅くても、必ず朝夕善言讃詞を唱え、お預かりしている神徒さんと共に一日の無事をお祈りし、交換洗霊の実践を欠かさないようにしました。すると店も繁盛し始め、全てが思うようになり、大きな御守護をいただきました。今では、夫の実家に幽世大神様の奉斎がゆるされ、毎月欠かさず先祖祭を続けています。
店を始めて半年が経ったころ、北部地区の大祭参拝を半年間続け、私たちにみこころと神力とう大きな力を賜わることができました。 このころ、東京にあった分教会を紹介され、朝参会を実践するようになりました。日々こうして救世主様にお育ていただき、神仰家庭をゆるされていますことを大変嬉しく思っています。 しかし、ここまで順調に来たわけではありません。 夫は気が短く、私も我が強くぶつかることも度々で、病・貧・争の浄化が絶えませんでした。 ある日、我慢できなくなって、九州に帰って神仰をする決心をして、二人の子どもを連れ、幽世大神様とお位牌を持って家を出ました。東京駅に向かいましたが、電車のトラブルがあり、他の電車で東京駅へ行くようにとアナウンスがありました。 ところが、乗った電車の行き先が千葉で、私はこの電車でどう東京駅へ行くか行き方が分からず、そのまま夫の実家がある千葉の木更津に行くことにしました。
2024年01月20日
救世主様の神護りがあればこそ その2
その日から一月もたたないうちに、乳線炎にかかり、四十度以上の高熱が出ました。二人の子どもは病院内の乳児院に預かっていただき、私は入院することになりました。 そのことを聞いた母はすぐに救世主様に特別神救いをお願いしてくれたそうです。 母が救世主様に結んでくれた後、熱は下がり、一週間程炎症を起こした場所から大量の膿が出るという大きな御守護をいただきました。 このとき、私は事の重大性に気づかさせていただきました。 一年ほど経って帰省した時、私は御神力の戴き替えをお願いし、家族全員の御神力拝受がゆるされました。 また、幽世大神様の御奉斎をゆるされるようにお願いしました。 その後、飲食店を始めましたがなかなかうまく進まず悩んでいるとき、母から「 何事も自分の力だけではいけないから、神様にお願いするように 」と言われ、少しずつですが夫婦で神仰の話を聞くようになりました。
2024年01月18日
救世主様の神護りがあればこそ その1
私は、物心ついたときより神に結ばれ、今日まで救世主様に見守られて、お育ていただきました。心より感謝の想念でいっぱいでございます。 幼いころより、両親に連れられ大祭や御祭に参拝させていただいております。 中学卒業後、親元を離れ岐阜県の会社に入社して、働きながら定時制高校で4年間学びました。 その後、東京の大学に進学し、卒業後そのまま東京にて就職しました。 故郷を一人離れてがんばることができたのも、神仰で培い、見えない力をいただいたからと思います。 そして、夫と出会い結婚し、4人の子どもに恵まれました。
二人目の子どもを出産する時、九州より母が手伝いにきてくれ、神仰の話をしてくれました。 神の洗霊にもお使いしてくれましたが、私は神仰心もすっかり薄れ、なかなk素直に聞き入れることができず、母が九州に帰ってもらうという身勝手なことをしてしまいました。母は、救世主様のみこころをわからせることのできない悔しさで、一人泣きながら帰ったとのことでした。
2023年11月27日
鹿児島教会 掲示板
11月も終わりに近づき、12月に入ります。 何かとせわしい時期になりました。
体にまたは交通事故には特に注意したいものです。
鹿児島教会の掲示板です。御無沙汰しておりました。 ご覧ください。
神徒さんが毎回、作成しております。
2023年10月01日
聖地奉仕に行きました。
9月17日日曜日、聖地奉仕をさせていただきました。 移動の車の関係で10名の参加でしたが、29人乗りのマイクロバスを借りることができたなら鹿児島教会から20名ぐらいは参加できたと思います。 朝、5時に鹿児島教会を出発、吉松PAにより10名の参加。
聖地には、9時過ぎには着きましたが、他の教会の方々は聖地の奉仕をしておられました。鹿児島教会は聖地の門の側溝の清掃や玉石の磨きでした。 結構、汚れていました。
知り合いの他の教会の神徒さんと話をしたり、今後、いろんなことを話をしましょうと、前向きな話もできました。 また、他の教会さんの神徒さんと交流を行い、いろんな話ができればいいと思います。 連絡等を取ってみたいと思いました。
2023年08月15日
8月の掲示
8月の鹿児島教会 掲示板です。
今月の誕生日者のかたの写真を入れました。90歳を超えても元気な方です。 また、神徒さんが経営されているレストランへなでしこ会のメンバーの方が訪問し ランチをいただいたようです。また、伺いたいとのことでした。
全体の写真です。
2022年11月12日
共の因縁を型にゆるされて その4
夫は、それまで神仰には反対しませんが、進んでというほどでもありませんでした。 しかし、御奉戴をきっかけに、毎日の朝拝も自ら実践させていただくように変わらせていただきました。 相手の方も救世主様に結び、供の因縁の神赦しがいただけるように、毎朝お願いしています。
また、九月には娘の結納を済ませ、来年五月には結婚式となりました。 これも救世主様の御守護のお陰と心より感謝してます。 昨年の七月、班長の御賜命をいただきましたが、まだまだ未熟なため、ときどき不安が頭をもたげてきて落ち込むことがあります。 しっかり救世主様に感謝と素直の想念で結び、変わらせていただきたいと思います。 そして、霊智がゆるされ、一人でも多くの方の救いができるように、私一人の大事を視り、実践に努力させていただきます。
2022年11月05日
共の因縁を型にゆるされて その3
それに、不思議とその月の法話に、「 救うも救われるのも同類親和による 」といただき「自らがもっている因縁は、人と事とによって移し出され、視せられていくのです。 同じ因縁をもつもの同士が(必然に)出会っていくのです。 救うも救われるのも同類が互いに親和する神律によるのです(人と事との)救いの出会いは、因縁は解消される神赦しとなるのです」 とありました。まさしく今の私にぴったりの法話だと思い、自分が変わらなければいけないのだと思いました。
それから毎日、夫婦で参拝させていただいているなか、所長さんに「 霊視力様の御奉戴をさせていただいてはどうですか」と言われ、救世主様に神赦しがいただけるように毎日お願いしていました。思い切って夫に話をすると快く承諾してくれ、いろいろと準備をしてくれました。 当日は、遠いところを副教会長さん、所長さん、班長さんが来てくださり、御奉戴をおゆるしいただきました。 それまで何となく暗かった部屋が、パーっと明るくなり、とてもうれしい気分でした。 夫もいっしょに清々しい気持ちで参拝させていただき、大きな歓びでした。