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朝参会実践で想念に力をいただく  その7

2022年07月31日

朝参会実践で想念に力をいただく  その7

私はこうして何度も朝参会で救われてきました。 そこにはいつも救世主様の神護り、そして、教会長さん、所長さんがいたからです。 人の不平不満を聞くことも忍耐力が必要です。 言挙げする側は、何度も同じことを繰り返し言挙げします。長い浄化の間、よく付き合ってくださったと心から感謝してます。 私が、お預かりしている神徒さんは、厳しい浄化の方が多く、精神的浄化や病の浄化と供の謂われをもつものが視せられます。 人智で考えると、この神徒さんを救いあげていただくことができるだろうかと、不安になるときもありますが、救われる側から救う側へ、救世主様の愛と力を視った私は次の御賜命へと進んでいかなければならないときだと感じております。

まだまだ、我・執着・慢心の強い想念を正して、教えを説くのではなく、心・言・行の実践に努力して、認めてもらえる神性人間へ向上させていただきたいと思います。