2023年07月09日
7月の掲示板です。ご覧ください。
毎月、出したいと思います。
2023年05月30日
救世主様は、“すべては神言によってはじまる。 現象にあらわれてくることは、神言が移された神ムスヒの型である。 主神・日月地大御神様は、大神言をもって日月地の神世の創造をすすめられたのである。”と仰せられました。 主神の大神言を現界に写し、形にあらわして片をつけて、赦されていくのが救世の御神業です。 みこころと御経綸は、数霊によって明かされていきます。 六の力は無の力であって、創造と生命の誕生に働くのです。 六には、創と造の力・生と成の力・化と育の力が秘められています。 先人は、天地自然の運行や人のあり方を六に求めていますから、六(ム)の力を知っていたのです。
救世主様は、“この世に生命を享けるのは因縁による”と開かされました。 そして、“御神業によって因縁は清められていく”ことを明かされました。 さらに、夜の時代に累積してきた体主の因縁を仮にしてくださったのです。 これを、“因縁は借りとなった”と仰せられたのでした。 救世主様は、“因縁は借りなればこそ返すことによって救われる”とご開明になられたのでした。 そして、因縁の借りを返すには、感謝と素直と真実の生き方をすること。 言魂と洗霊による救世賜命にお使いすること。 世のため人のためになる(他のために為すこと)こと。 を神仰実践としてくださいました。
救世主様の御言魂で、人間の因縁は想念にあることがわかりました。 想念を転換し変えることによって、因縁は変えられていきます。変わり換えて替えられていくことは、御神意によるお赦しです。 祖霊に代わって、化わった結果をだすことです。 想念は因縁を移しだす鏡であり、原因と結果を写しだす鏡でもあります。 因縁は原因があっての結果であり、結果は次の原因となる神理をいいます。 想念は因縁の写し鏡であり、原因と結果の写し鏡であることは、“想念に、人間すべての原因と結果がある” “想念は霊界の姿であり、祖霊の念願が息づいている” “想念次第で天国にも地獄にも往き、想念が自己に報われてくる” とくださる救世主様の御言魂から視ることができます。
救世主様は、“救いの賜命は、無(六)の力をいただき真実になること。 ただ、それだけである。 真実になれば、祖霊と共に救われていく”と仰せられました。 真実の実生は、神仰の実践目標です。 真実になれば歓びが生まれ、歓びは力となります。 歓びの力は感謝をはぐくみ、感謝の想念は生き徃(ゆ)く力となるのです。 逆に真実がないと歓びは消され感謝は失せて、不平と不満の想念による邪心の足がかりとなるのです。 神に結ばれた真実(ム)の想念から発せられる言葉は、言魂となります。 六(ム)の働き、無の力を視り、感謝と素直と真実によって新しき生命をいただくのが神仰です。
2023年05月30日
*救世の神が下生されたことを実生していくのが、神ムスヒの御神業である。神ムスヒの御神業に 仕えていくには、無の力の存在を視ることがいちばん大事である。
*神は力三(かみ)といって、三つの力に六が働いて無の力となり、九が生まれるのである。 こ の力を視るのでなければ神結びにならないし、真実は生まれないのである。
*主神から、借りにしていただいている因縁であるから、借りを返せば無の力をいただいて楽になり、祖霊と共に幸せとなる。 これは大変に結構なことであり、結構だという心の歓びが力となるのである。
*神仰により新しく生まれかわっていく第一の条件は、因縁の身代わりである。 神仰は自分だけが入信するのではなく、祖霊に身替わって無の力をいただく入信である。
2023年03月04日
* 九十九の密意は時のみこころ
救世主様が仰せられた時の言魂に、” 九十九の密意 ”があります。 この言魂は、時いたるまで明かされなかった、御神意であったのです。 救世主様が明かされた ” 九十九の密意 ” とは、神扉開明であり、天の岩戸ひらきであり、言魂と洗霊によって視らしめられる救いのみこころでした。 ” 九十九の密意 ” が明かされることにより、祖霊と共に霊界の因縁と霊的正邪の浄化が赦されたのです。 ” 九十九の密意 ” を霊智することによって、正邪善悪の真相を視る分別の眼が与えられるのです。 ” 九十九の密意 ” をいただけば、九の力を分け合う救いの本命が誕生して、神の絶対愛と絶対力による救世賜命にお使いいただけるのです。 まさに、 ” 九十九の密意 ”は、時のみこころではありませんか。
* 九徳と九解の想念
人のよかれを思う想念に赦される言魂と、その力をもってしめす真実の救いを、救世主様は 「 誠の真実 」と仰せになりました。 ” 九十九の密意 ”には、 「 九徳 」や 「 九解 」のみこころが、言霊の働きをとおして蔵(かく)されています。 「 九徳 」は、やわらかな寛い想念、うやまい恭む想念、毅然としたなかにも思いやりのあるあたたかい想念、いさぎよい想念、みんなのために真心をつくす剛い想念を意味していることが、お言魂をいただくとわかってきます。 「 九解 」は、苦を解くに通じて、苦から解き放たれるだけでなく、苦をのりこえ、苦を力にかえていくことができるのです。
* 九十九は浄化と創造の力
霊主の生き方をすると霊智が生まれ、苦の力が移され、九の力を育てます。 九十九(苦と九)の力は、体主の想念に起因する我・執着・慢心による病貧争の因縁にふりまわされることなく、善い因縁をつくっていくのです。 これを救世主様は、” 惟神に一重に神に結んでいけば、九の力が移されて御守護となる。病貧争の因縁に苦しむことなく、祖霊と共に(健富和の)三六九の神世に御賜命をいただくことになる ” と仰せられたのです。 神は大愛によって、苦の形をとおして九の力をくださいます。 苦を(良くなるための)浄化といただけば、力となるのです。 苦の力は、因縁の浄化清算の、対応の力です。 九の力は、霊体・縦横を結ぶ創造の力です。 神仰実践をすることで、苦と九に秘められた神理を視ることになるのです。
* 苦と九の力を実生していく言魂
救世主様は、九の力となる苦について、 苦に対する感謝ができて始めて力が誕生して、真の感謝を味わう。 苦労に歓びがなくて人生に感謝がなければ、真の力は生まれない。 苦に対して無力なのは、自分自身の生命力をも無力にしてします。 生命は苦によって九の力をいただき、成長をしていく真相を視れ。 苦を分け合う相愛の九十九は功徳の意に通じ、感謝の想念となる。 苦を逃れる想念では九徳も濁って九毒となり、想念の誤濁となる。 と仰せくださっています。九十九の密意にいただく九と苦の御神意は、深く味わって実践に移し実生していくお言魂です。 まさに九十九の言魂には、みこころが込められているのです。
2023年03月04日
* 人間世界には、霊的正邪の浄化作用がある。 その真実が、わからないだけでのことである。 この神秘を明らかにして、正邪善悪の分別を与えられる九十九の密意が神の福音である。
* 救いの真実に、霊智が授けられる。 霊智によって成長する生命こそ、神のみこころに結ばれた新しき生命である。 その新しき生命が誕生するのは、九十九の密意によるのである。
* 自己を本位とした私心私情に、因習的な人間性が育成される。 かくして、人の目口に心が引かれる目先と口実の人智が発達して、真実がわからねくなり、不幸の因縁を累積していったのである。生命を無視する精神には、九毒の邪念が生まれるのである。
* 正邪の審判と分別を与えられる神の大愛によって、祖霊と共に霊界の因縁を赦される九十九の密意を、言魂と洗霊によって視らしめられるのである。 九十九は、永遠の力を意味する時の言魂である。
2023年02月23日
こころの鬼の存在を視った私たちは、 「 神は内 」の神言で、その「 こころの鬼 」を退治(転換)していきましょう。
「 節分 」の「 花豆撒き 」と「 神は内、福は人 」の唱和は、私たちの想念の切り替えとなる。
救世主様の愛と力をいただく大切な神事です。
2023年02月13日
* 神事・天の岩戸ひらき
救世主様は、神の扉を開ける神事を ” 天の岩戸ひらき ”と仰せられました。天の岩戸ひらきは、夜の世界終わり昼の世界が訪れ、体主から霊主に変わる時の大転換なのです。 想念に光明と希望と歓びをもたらす、昼の世界をつかさどる救世の神が御降臨された、大神業をいいます。 天の岩戸ひらきは、神の扉を開けて、本命の誕生をいただくことです。 言魂と洗霊の御神業によって神の扉をひらいて、新しき生命をいただくことです。 時くるまで秘められてきた真相と実相を開けて、明かしていく神秘開明のことであったのです。 それは、言魂の力によってひらかれる大神言の神業です。
* 神の扉をひらいていただく新しき生命
天の岩戸ひらきに重要なことは、想念です。 御賜命と御守護をいただいて、日々を生かされている感謝の想念をもつことです。 言魂と洗霊によって体主の因縁は清算され、霊主の因縁が新たに清産されていくことへの歓びの損念をもつことです。 想念は、みこころが移り写ってくる鏡ですから、相愛による救いの想念をもつことです。 天の岩戸をひらくことによっていただく新しき生命は、革たな生命・ほんとうの生命・永遠の生命をいいます。 神仰に結ばれた生命こそ、神の扉である天の岩戸がひらかれて、そしていただく新たな生命ではありませんか。
* 天の岩戸ひらきは生命創造の型
物の生命は、科学によりわりましたが、霊的生命は、神仰による霊智でなければわからないのです。 救世主様は、” 御神業によっていただく生命が、新しき生命力である。 神の洗霊によって生命に力が与えられ、日に新たな生活力を賜ることは、生命の革命である。 革命とは、命を革たにすることであり、平凡な日常生活の中にこそ実現していくものである ”と仰せられました。 生命の革命(新しき生命)に必要なのは、次の想念です。 生と命は、神から賜わっていること。 生命には、救いの賜命があること。 生命には、神の絶対的恩恵(御守護)があること。
* 神の言魂と洗霊による因縁の清産
新しき生命は、言魂と洗霊によっていただけます。 その生命力は、日に新たな生活力をはぐくむことになるのです。 これが、天の岩戸ひらきの姿です。 救世主様は、” 祖霊に身替わって賜命を果たすことが、人生の因縁である。 身替わりとは、祖霊の罪や過ちの報いを受けることではなく、子孫の生命に祖霊の念願が移され、型となって片づけられ赦されていく神の救いである ”と仰せられています。 救世主様は、言魂と洗霊によって新しき生命をいただくことを、” 天の岩戸開き ”と仰せられました。 新しき生命をひらく天の岩戸ひらきの実践は、神の扉を開けて新しき生命力をいただく御神業なのです。
2023年02月04日
* 日月地の神世となったことを明らかにする大神業が、天の岩戸ひらきであり、神の言魂で大神言の神業がおこなわれるのである。 これは、時の大転換がおこなわれる経綸にみせられた神事である。
* 人間の生命とその由来を視ることも、生命の岩戸ひらきである。 夜の世界において知ることのできなかった祖霊の念願をみせられ、生命の実相を視るのである。 祖霊と共に因縁の岩戸をひらいて、因縁の神赦しを賜るのである。
* 霊界は想念の世界であり、現界と表裏一体である。 霊と体は、合わせ鏡となって、向かいあっているのである。 生命の天の岩戸をひらくことによって、生命の神秘が明らかになるのである。
* 今や、昼の世界になっていることを霊智することである。 霊界の実相は、現界の事実となるのであるから、因縁の岩戸をひらくことが肝心でである。 生命と因縁の天の岩戸ひらきは、神扉開明でなくて何であろう。
2022年12月31日
* 時の力となる本命誕生
昼の世界をつかさどる神のご出現が、神誕生(下生)です。 下生された神は、真相と実相を開けて、因縁を、この限界で形にあらわして片をつける神です。 人の本霊と本命のに下られ、愛と力の審判によって、立て替えと立て直しをされる救世の神です。 神は、人に生と命を移して、本命の誕生とその働きを期待されるのです。 本命の誕生とは、神からいただいた生命を、ほんものにする実践をいいます。 本霊をいただいても、救世賜命に仕えなければ本命誕生にはならないのです。 救世主様は、” 自己本位に生きる生命から、救世賜命に与えられる本命に生きなさい ”と仰せられています。
* 本命と新しき生命
神定めの賜命と、みこころに経綸される時の御神業は、救世主教にいただく御神命であり、それが本命です。 わたしたちの本命は、救世の賜命によって、新しき生命をいただくことにあります。 それは想念の転換をして、昼の世界の住人となることにあります。 そして、霊性の向上をはかって因縁をとき解(ほど)くことにあるのです。 救世主様の神業によって、霊界に積まれてきた夜の時代の因縁は、神の審判である神の救いを受けて、祖霊と共に赦されていくのです。 因縁は形となって、片をつけていただける時がきたのです。 救世主様の御神業は、浄化による立て替え・審判による立て分け・賜命による立て直しの神業(かむわざ)なのです。
* 本命に生きて創る日月地の神世
霊性が高まり、救いの想念がはぐくまれてくると、救世賜命にお仕えすることができます。 救世賜命にお使いすることにより本命が誕生すれば、夜の時代に積みあげられてきた因縁は片づけられていきます。 本命の誕生が赦される」日月地の神世では、因縁は報いの対象ではなくなり、御賜命を果たすよりどころとなります。 新しき生命をいただき、新性人間となって体主の因縁を解消し、霊主の善因を積んでいくことこそ、これからのわたしたちの本命です。 この本命に努力すれば、浄化のうえに歓びと希望が湧きでて、生きる力がいただけます。 本命に生きて創るのが、光明かがやく日月地の神世です。
* 永遠の生命こそ神仰の本命
本命に生きることは、神の審判をいただいた新しき生命の姿です。 神の審判をいただいて本命にお使いしていけば、祖霊と自己と子孫の運命は弥栄(いやさか)にひらかれていくことになります。 救世主様は、” 目に写る事象のみに終始して、生命の本質を知ろうとせず、物質に依存し執着すれば、生命を軽んずる人間性が成長する。 それは、人間の本命がわからなくなったことに原因する ”と仰せられました。 本命によみがえって、その賜命を果すことは、体主の因縁の清算と霊主の因縁の清産となります。 因縁の清算と清産、それは新しき生命の誕生であり、ほんとうの生命である永遠の生命をいただくことになります。 それが、神仰の本命です。