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教団時報
2023年09月24日
言霊は神なり
* 言霊は、神なり。
言霊によって、神扉は開けられていく。 この言魂が惟神に時が定まって、救世主教は誕生したのである。 救世主教とは、言霊によって救世の力を教える意味である。

* 救世の神は、言霊をもって、みこころを想念に移された。 救世の神は、言魂によって神の自動操作を開始されたのである。 想念と言魂による御経綸である。 これが、日月地の神世創造のはじまりである。
* 言霊を無視すると、神が人間に与えられた想念と言魂の霊能力は消失してしまうのである。 神を離れた人間性に感謝と素直の本性は消えて、生の執着と慢心の邪念で、不幸な原因を累積していくのである。

* 言霊に結ばれた感謝の想念には勇気が生まれ、素直な言魂には忍耐の力が与えられるのである。 想念に祖霊を迎え、神の言魂をいただいて、救いの神業にお仕えすれば、祖霊と共に特別の神赦しがいただけるのである。
2023年08月15日
~時の御経綸~ 時の御経綸を視る
* 秘められた時の真相
救世主様は、”日月地の神世の創造は、時の御経綸である。 救世主降臨の神事は、時の御経綸である。”と仰せられました。 この御言魂により、救世主降臨の神事は、夜の世界から昼の世界へと切りかえられていく、時の御経綸であったことがわかったのです。 夜の世界では、人は時の力を左右しようと、人智の力で物や地位、名誉や権力を手に入れることをめざしてきました。 ここに強い弱いの争いや勝ち負けの戦いがおこなわれ、力の強いものが正義となりました。 その結果に、弱敗者の怨恨が夜の因縁となって、蓄積されていったのです。 昼の世界となった今、強い弱いや勝ち負けは賜命をとおして裁かれていき、地位や名誉や物は、賜命を果たすための、守護の役へと化わっていくのです。

* 霊智と言魂の時の力
救世主様は、”時の御経綸を視るには、霊智をいただくことである。 霊智が時の力となり、言魂の力となる”と仰せられました。 時を視る想念に霊智が生まれて、時の言魂に、神力が移されてくるのです。 言魂によって時の御経綸にお使いでき、結果を赦されていくのです。 言魂にお使いしていくには、救いの想念による真実になることです。 救いの想念から発せられた言葉には、労りや優しい言葉だけではありません。 間違いや時を気づかせる強く厳しい言葉もあります。 どんな言葉であっても、相手の想念や魂にひびき、染みわたる言葉が、救いの言魂ではありませんか。 救いである時の言魂は、時を解決することにあって、時の力がそれを進めていくのです。

* 悪を善に救い化える神の審判
時は力であり、神のみこころです。 時を無視しては、御賜命も御守護も新しき生命もいただけず、祖霊に身替わって化わることもできないのです。 救世主様は、”時の賜命である日月地の神世創造が、救世主様にあることを確信しなければ、想念の力とならない。 主神は、時の御経綸をこの地上に顕現され、正邪善悪を審判されるのである。 その賜命を本教に授けたのであるから、聖教神徒は時の重大さを霊智することである。”と仰せられました。 神の審判は、善と悪の立て分けです。 善悪の立て分けとは、悪を懲らしめて滅ぼすのではなく、善に育て化えて善に救いあげることがあったのです。

* 真実を現世に移写して片をつけるのが、救世主様の時の御経綸です。 型にみせられていくことが、神赦しの神の審判であり、神の大愛による救いです。 神の審判は、救いの賜命に、真実となったときにいただけるのです。 神の審判こそ、時の御経綸です。 真実によって、時の御経綸にお使いしていきましょう。 時の御経綸にみせられる真実は、善悪に関わりなく、そして正邪をも離れています。 神のみこころに応えて、時の御経綸に、祖霊と共に赦されていきましょう。 時の御経綸による救いは、事実と結果にみせられれば、なんらの理屈は要らないのです。

2023年07月17日
時の御経綸
* 時の御経綸の、霊的真相を明らかにしていく。 御経綸に対処するのに必要なことは、霊智である。 霊智をいただけたかどうかは、事実のうえに発揮されて初めていただいたといえる。
* 日月地の本命をいただいたといっても、それは人間の業ではない。 神業をいただいて、時の御神意のままに仕えてゆくのでなければ、なんらの力は生まれないのである。 時のみこころが写らない、わからないのは、その想念にある。

* 時は、神のみこころである。 時を無視しては、後神命も、御守護も、新しき生命もいただけないのである。 時の御経綸が、すべてを解決するのである。
* 時の御経綸に仕えて救いを実生し、祖霊と共に神赦しをいただいてこそ、祖霊の因縁を身替わることができるのである。 救いは、時の御神業によって事実にみせられれば、理屈は要らないのである。

2023年07月17日
別府教会との交流会
鹿児島教会と別府教会との初めての別府教会にて交流会(意見交換会)を行いました。 活発な意見があり有意義な時間でした。それぞれの悩み、神徒さんの育成・布教など立場は違いますが、いろいろと参考になる部分など大いに刺激となりました。ありがとうございました。

また、次の機会も考えていきたいと思います。教会ではなく、別の場所でもいいのかなあとも思いました。

2023年07月09日
7月のみこころ
7月の掲示板です。ご覧ください。

毎月、出したいと思います。
2023年05月30日
~無の力~ 真実となって無の力をいただく
救世主様は、“すべては神言によってはじまる。 現象にあらわれてくることは、神言が移された神ムスヒの型である。 主神・日月地大御神様は、大神言をもって日月地の神世の創造をすすめられたのである。”と仰せられました。 主神の大神言を現界に写し、形にあらわして片をつけて、赦されていくのが救世の御神業です。 みこころと御経綸は、数霊によって明かされていきます。 六の力は無の力であって、創造と生命の誕生に働くのです。 六には、創と造の力・生と成の力・化と育の力が秘められています。 先人は、天地自然の運行や人のあり方を六に求めていますから、六(ム)の力を知っていたのです。

救世主様は、“この世に生命を享けるのは因縁による”と開かされました。 そして、“御神業によって因縁は清められていく”ことを明かされました。 さらに、夜の時代に累積してきた体主の因縁を仮にしてくださったのです。 これを、“因縁は借りとなった”と仰せられたのでした。 救世主様は、“因縁は借りなればこそ返すことによって救われる”とご開明になられたのでした。 そして、因縁の借りを返すには、感謝と素直と真実の生き方をすること。 言魂と洗霊による救世賜命にお使いすること。 世のため人のためになる(他のために為すこと)こと。 を神仰実践としてくださいました。

救世主様の御言魂で、人間の因縁は想念にあることがわかりました。 想念を転換し変えることによって、因縁は変えられていきます。変わり換えて替えられていくことは、御神意によるお赦しです。 祖霊に代わって、化わった結果をだすことです。 想念は因縁を移しだす鏡であり、原因と結果を写しだす鏡でもあります。 因縁は原因があっての結果であり、結果は次の原因となる神理をいいます。 想念は因縁の写し鏡であり、原因と結果の写し鏡であることは、“想念に、人間すべての原因と結果がある” “想念は霊界の姿であり、祖霊の念願が息づいている” “想念次第で天国にも地獄にも往き、想念が自己に報われてくる” とくださる救世主様の御言魂から視ることができます。

救世主様は、“救いの賜命は、無(六)の力をいただき真実になること。 ただ、それだけである。 真実になれば、祖霊と共に救われていく”と仰せられました。 真実の実生は、神仰の実践目標です。 真実になれば歓びが生まれ、歓びは力となります。 歓びの力は感謝をはぐくみ、感謝の想念は生き徃(ゆ)く力となるのです。 逆に真実がないと歓びは消され感謝は失せて、不平と不満の想念による邪心の足がかりとなるのです。 神に結ばれた真実(ム)の想念から発せられる言葉は、言魂となります。 六(ム)の働き、無の力を視り、感謝と素直と真実によって新しき生命をいただくのが神仰です。

2023年05月30日
無の力
*救世の神が下生されたことを実生していくのが、神ムスヒの御神業である。神ムスヒの御神業に 仕えていくには、無の力の存在を視ることがいちばん大事である。
*神は力三(かみ)といって、三つの力に六が働いて無の力となり、九が生まれるのである。 こ の力を視るのでなければ神結びにならないし、真実は生まれないのである。

*主神から、借りにしていただいている因縁であるから、借りを返せば無の力をいただいて楽になり、祖霊と共に幸せとなる。 これは大変に結構なことであり、結構だという心の歓びが力となるのである。
*神仰により新しく生まれかわっていく第一の条件は、因縁の身代わりである。 神仰は自分だけが入信するのではなく、祖霊に身替わって無の力をいただく入信である。

2023年04月03日
4月のみこころです。
広報係の担当者が毎月製作しておりますのでご案内いたします。


2023年03月04日
九十九(くとく)の密意をいただく
* 九十九の密意は時のみこころ
救世主様が仰せられた時の言魂に、” 九十九の密意 ”があります。 この言魂は、時いたるまで明かされなかった、御神意であったのです。 救世主様が明かされた ” 九十九の密意 ” とは、神扉開明であり、天の岩戸ひらきであり、言魂と洗霊によって視らしめられる救いのみこころでした。 ” 九十九の密意 ” が明かされることにより、祖霊と共に霊界の因縁と霊的正邪の浄化が赦されたのです。 ” 九十九の密意 ” を霊智することによって、正邪善悪の真相を視る分別の眼が与えられるのです。 ” 九十九の密意 ” をいただけば、九の力を分け合う救いの本命が誕生して、神の絶対愛と絶対力による救世賜命にお使いいただけるのです。 まさに、 ” 九十九の密意 ”は、時のみこころではありませんか。

* 九徳と九解の想念
人のよかれを思う想念に赦される言魂と、その力をもってしめす真実の救いを、救世主様は 「 誠の真実 」と仰せになりました。 ” 九十九の密意 ”には、 「 九徳 」や 「 九解 」のみこころが、言霊の働きをとおして蔵(かく)されています。 「 九徳 」は、やわらかな寛い想念、うやまい恭む想念、毅然としたなかにも思いやりのあるあたたかい想念、いさぎよい想念、みんなのために真心をつくす剛い想念を意味していることが、お言魂をいただくとわかってきます。 「 九解 」は、苦を解くに通じて、苦から解き放たれるだけでなく、苦をのりこえ、苦を力にかえていくことができるのです。

* 九十九は浄化と創造の力
霊主の生き方をすると霊智が生まれ、苦の力が移され、九の力を育てます。 九十九(苦と九)の力は、体主の想念に起因する我・執着・慢心による病貧争の因縁にふりまわされることなく、善い因縁をつくっていくのです。 これを救世主様は、” 惟神に一重に神に結んでいけば、九の力が移されて御守護となる。病貧争の因縁に苦しむことなく、祖霊と共に(健富和の)三六九の神世に御賜命をいただくことになる ” と仰せられたのです。 神は大愛によって、苦の形をとおして九の力をくださいます。 苦を(良くなるための)浄化といただけば、力となるのです。 苦の力は、因縁の浄化清算の、対応の力です。 九の力は、霊体・縦横を結ぶ創造の力です。 神仰実践をすることで、苦と九に秘められた神理を視ることになるのです。

* 苦と九の力を実生していく言魂
救世主様は、九の力となる苦について、 苦に対する感謝ができて始めて力が誕生して、真の感謝を味わう。 苦労に歓びがなくて人生に感謝がなければ、真の力は生まれない。 苦に対して無力なのは、自分自身の生命力をも無力にしてします。 生命は苦によって九の力をいただき、成長をしていく真相を視れ。 苦を分け合う相愛の九十九は功徳の意に通じ、感謝の想念となる。 苦を逃れる想念では九徳も濁って九毒となり、想念の誤濁となる。 と仰せくださっています。九十九の密意にいただく九と苦の御神意は、深く味わって実践に移し実生していくお言魂です。 まさに九十九の言魂には、みこころが込められているのです。

2023年03月04日
九十九(くとく)の密意
* 人間世界には、霊的正邪の浄化作用がある。 その真実が、わからないだけでのことである。 この神秘を明らかにして、正邪善悪の分別を与えられる九十九の密意が神の福音である。
* 救いの真実に、霊智が授けられる。 霊智によって成長する生命こそ、神のみこころに結ばれた新しき生命である。 その新しき生命が誕生するのは、九十九の密意によるのである。

* 自己を本位とした私心私情に、因習的な人間性が育成される。 かくして、人の目口に心が引かれる目先と口実の人智が発達して、真実がわからねくなり、不幸の因縁を累積していったのである。生命を無視する精神には、九毒の邪念が生まれるのである。
* 正邪の審判と分別を与えられる神の大愛によって、祖霊と共に霊界の因縁を赦される九十九の密意を、言魂と洗霊によって視らしめられるのである。 九十九は、永遠の力を意味する時の言魂である。
