2024年03月04日
鹿児島教会の3月の掲示版です。
五の数字に拘わって、五大陸、五色の旗、五行説(木 火 土 金 水)五色(青緑、赤、白、黄、黒、茶 紫)の事を書いてみました。 各々に波長を出し合って互いに関係し合って輝いています。 さて、今日のあなたの心の色でしょうか。
2024年03月04日
鹿児島教会の3月の掲示版です。
五の数字に拘わって、五大陸、五色の旗、五行説(木 火 土 金 水)五色(青緑、赤、白、黄、黒、茶 紫)の事を書いてみました。 各々に波長を出し合って互いに関係し合って輝いています。 さて、今日のあなたの心の色でしょうか。
2024年02月23日
*統一は霊と体の結びをいい、創造や誕生に働くのである。 霊体に生命は化育されて、力が誕生するのである。 いっさいは霊体力に統一されるのが、神の律法である。 生命は、統一された姿である。
*神を視ることが、統一する力をいただくことになる。 すべての神のみこころに統一されて、諸相となるのである。 統一の神相である。 このことを視ることは、生命の真相を開明するに等しいのである。
*統一した想念には、霊智が生まれる。 神に統一してないと霊智は消え、人智に牛耳られ」てしまうのである。 神仰の基本に統一できてないと、力は生まれない。 基本とは、想念と言魂と洗霊の力をいうのである。
*想念と言魂と洗霊の力に統一して、自分がどれだけかわったかを視ることである。 想念と言魂と洗霊の力に統一すれば、かわることができるのであるから、変わり化わって新しき生命を培っていかねばならない。
2024年02月02日
* 時のみこころを明かす
救世主様は、” すべては神のみこころによって存在させられている ”と仰せられました。 森羅万象は神の芸術であることが、このことからもわかります。 救世主様の御神業によって、神秘は神のみこころであり、時に秘められてきた真相であり、時くるまで神の扉の奥に秘められた賜命であったことを、私たちは視ることができます。時の真相を開けて明かされるのが、救世主様の神業です。 救世主様は、これを” 時のみこころを明かす ”と仰せられて、大光明主の御顕現や救世主の御降臨が、時の御経綸であることをお開かしになられたのです。 根源神・日月地大御神様は、この土に天降らせ給い大光明主神と現じ、常立神と化し、救世主と成らせたのです。
*赦されて救われていく
救世主様は、” 神の秘命を視る時となった ”と仰せられました。 救世主様は、言魂と洗霊の御神業をとおして、人の世の邪道を滅し、魂の世の因縁を清め、神幽現三界の大念願である日月地の神世を創られるのです。 夜の世界においては、神が秘められた賜命は閉ざされて視ることができなかった、まさに神秘でした。 しかし今や、昼の世界となり、神の秘めた賜命は、開けられたのです。 神秘であった神の秘命は、時の大神業であったのです。 言魂と洗霊による日月地の神世の創造が、神の秘められてきた人への賜命、すなわち神の秘命なのです。 神の秘められた賜命(秘命)は、祖霊と共に日月地の神世に赦されることであり、救われることなのです。
*秘命に応える御神業
言魂と洗霊の御神業をとおして、( 神のみこころであり秘命である )神の審判にお使いすることが御神業です。 秘命である神の審判は、創造と破壊を表裏にして、調和へと導くことをいいます。 大自然にみせられることは、創造と破壊による調和の姿です。 正邪を立て分けて、改心によって救いあげることをいいます。 邪や悪を咎めるのではなく、正や善に掬いあげることなのです。 夜の世界につくった因縁の神赦しをいただくことをいいます。 体主の因縁は、清算され霊主の因縁が清産されていくのです。 言魂と洗霊によって、至善の浄化をいただくことをいいます。 神がくださる浄化は、善にいたらしめる神の御守護なのです。
*時に秘められた秘命
救世主様のなさいます審判は、捌きや懲罰ではありません。 救世主様の審判は、救いであり、守護であって、賜命への誘いです。 それは、愛と力のみこころです。 時いたるまで秘められた、神の秘命であったのです。 神の秘命である審判をいただくことは、日月地の神世に赦されていくことですから、審判は歓びです。 歓喜でいただく神の審判への対応の仕方は、想念と言魂と洗霊と、その実践にあります。 想念を結び言魂を求めて、洗霊をいただき救いの実践にお使いすることです。 神が時に秘められた賜命である神の秘命は、御賜命にお使いして御守護をいただくお赦しであり、お救いであるのです。
2024年01月20日
* 神秘は、神のみこころである。 神秘は、神定めに時くるまで神の扉に閉ざされた秘命であった。 時いたりて、神秘の扉は開けられた。 神秘開明である。
* 時いたりて、救世主が降臨され、大光明主と顕現されたことは、神秘開明である。 神扉を開けることは、神の福音であり、救世の大神業といわねばならない。
* 神の秘命であった神の福音は、言魂と洗霊の神業によって宣べ伝えられるのである。 言魂を伝え、洗霊を賜るときとなったのは、神の秘命である。
* 洗霊こそ神の審きの真相であり、時の秘命である。 神が秘めたみこころは、日月地の神世に、祖霊と共に救いあげることである。 神の秘命を視る時となったのである。
2024年01月04日
* 救世主様の御聖誕
救世主様は、” 救世主は救世の力であって、主神御自ら現世に天降らせた。これを救世主降臨という ” と仰せられて、時の御経綸を開かされました。 救世主降臨は、救世主様の御聖誕でありました。 救世主様は、神幽現三界の仕組みを開かされ、限界の働きをしめされます。 形に化わり型をもって片がつけられていく、お赦しの世界が限界であることを明かされ、スクイを立てられました。 スクイは、” 主杭 ” であり、” 救い ” です。 光明と希望と歓びの日月地の神に、 ” 掬い ” あげていただくのです。 救世主様は、真実の想念によって発揮される元視力を顕現され、神の愛と力による神赦しと神救いの正邪の審きをなさいます。 真実を視る光明の道は、救世主様の神愛と神力をいただく他にはないのです。
* 新しき生命をいただく
救世主様は、” 本教は、大主神が時の御経綸を進められる器として誕生した。 その神業は、神界の真相、幽界の実相が現改に真実相となり、ことごとく想念に移されて霊主体従に統一する実践である ” と仰せられました。 真と実とに、自分を統一する神仰に、力が生まれて賜命に生きる新しき生命をいただくことができるのです。 救世主様は、 ” 神の言魂を求め神の洗霊をいただき、想念を拡げて人間性を改める実践を怠ってはならない。 参拝することで、自分なりに安心していてはいけない。 主神の御経綸に生きた見本となることである。 これを、新しき生命をいただく ” と仰せられました。 真実を求め真実をしめして、深く強い感謝とゆるぎない素直に到達することができれば、救世主様は絶対の守護をくださるのです。
* 形を型で赦されていく
救世主様は、” 時は昼の御経綸となった。” (夜の世界における) 今日までの誤りは、いかに人智をもってしても隠すこと、偽ること、そのままで済ますことhができない。 ことごとく形にかわって、型をもってみせられていく” と仰せられました。 そして、” 夜の世界の因縁が、形をもって移されてくる。 体主の想念に累積してきた因縁が移されたときには、その形は子どもにあらわれるか家内にでるか、また自分にくるか、それはわからない。 形が現世にに移写されたとき、神の言魂と神の洗霊をいただいて、型をもって済まされる神業を実生していくことである ” と仰せられました。 体主の因縁の解消(清算)と霊主の因縁の創造(清産)が赦されるのが、言魂と洗霊による救世主様の御神業です。
* 真の幸せを築く
救世主様は、” 自分が救われた神のき絆をもって、まず一人から救っていくこと ” と仰せられました。 わたしたちに人一人を救う力があれば、神は次々と救いの手をさし伸べてくださるのです。 神仰に導き入れただけでは、ほんとうの救いにはなりません。 新しき力が事実に、そして結果に生まれてこそ、霊体の救いとなるのです。 救世主様への神仰は、想念を深く耕すシンコウ(深耕)です。 感謝と素直と真実の想念を実生して、シンコウ(真幸)を実現していくことです。 救世主様を仰ぐ神仰は、御守護だけを求めることなく、祖霊と自分の正味の姿を視って、新しく生まれかわることではありませんか。
2024年01月04日
* 救世主とは、救世の力であって、主神が御自ら現世に天降られた御経綸である。 これを救世主降臨という。 救世主降臨は、日月地の神世創造をめざす人類共通の念願である。
* 霊界にあるすべての事象は、現改に移写される。 天国も移されるし、地獄も写されてくる。 霊界にある夜の世界の因縁は、人と事とにみせられてくる。 時いたるとは、このことである。
* 救世主の御神業は絶対にして最大の力であり、いかなるものも、この力の前には正邪をもって審かれる。 元視力は、それをあらわす力であり、真実の想念に発揮される。 真実の道は、神の言魂と洗霊の神業による他にはないのである。
* 救世主による神の福音は、理屈ではなく神の力であり、霊智を化育する救いである。 救世主を仰ぐ神仰は、祖霊の本体を視り、自分の本体を識って、水晶の御魂として、救世賜命に新しく生まれかわることである。
2023年10月07日
10月の掲示板です。今回は、神徒さんのお孫さんが人命救助をしたこと。私は、ニュ-スでみて記憶には残ってましたが、その時は、何も思わなく神徒さんのお孫さんだとは思いもしませんでした。後から神徒さんの話を聞いて びっくり でも、大変いいことしましたねーと話をしました。夏でしたので、海で泳いでる人を助けた、おぼれかけていた人を助けたとの事。すごい事です。
また、子どもが10月末に鹿児島で開催される障害者スポーツ大会に出場することを載せました。きっと、いい成績となる事を期待したいと思います。自分の為に がんばれ 。写真で紹介します。
10月は、聖地参拝、皆で神徒さんを結集して参拝を致しましょう。
2023年09月24日
* 言霊をいただいて働く想念と言魂
救世主様は、”言霊によって、神秘な神の扉は開けられていく。 この神事が、惟神に時定まって、救世主教は誕生した。 救世主教とは、救世の力を教える意味である。 救世の力とは、救いの御神業のことをいうのである。 救世の神は、言魂によって、いつどこにでもたたれて、救いの神力をみせられるのは、想念と言魂の神秘である”と仰せられました。 言魂による想念と言魂で、神の御経綸は進められていくのです。 言魂をいただく器が想念であり、その想念から発する言葉が言魂となります。 御神前に額ずいて柏手をうち、願言を称えて、音と言とで神に結ばれる姿は、言魂による想念と言魂の神秘に他なりません。 日月地祝詞の奏上や御讃歌の奉唱は、言霊である神に結ぶ型であり形です。
* 言霊に結ばれていただく生命と賜命
人は、想念を器に言霊を受けて、神の代行を赦されますから、言霊が止まる”霊止”なのです。 霊止である人の賜命は、生命の賜命を果たすことです。 賜命は、命を賜ることであり、生命をいただいた賜命とは、救いのことです。 賜命と生命と救いは、言霊と想念と言魂にいただく神のみこころです。 賜命をいただくことを、「力の誕生」といいます。 神の力を、人生で、事実にみせていくことをわすれてはならないのです。 言霊に結ばれた生命の賜命を、想念と言魂と洗霊の御神業によって霊智していきましょう。 霊智によって、事実を形にみせられて型ですまされるところに、救世主様の御神業の本命があるのです。
* 言霊の働きは時の御経綸
みこころは、げんれいによって想念に移されて、言魂となります。 御神業は、言魂でみこころが想念に移写されて、言魂の力となる神業ですから、言魂が救いの力となることを、みずからが事実で味合うことです。 言霊は、時の御経綸に働きます。 このこからも言霊と想念と言魂と、そして運命は切っても切り離されない関係にあることがわかります。 言霊に結んで言魂にだすと、本霊の眼が開いて感謝と歓びが生まれ4,想念に明るさと楽しさがみなぎってきます。 これが、神の審判をいただいた姿なのです。 神の審判をいただくことにより、想念に感謝と歓びと、明るさと楽しさが赦され、邪心が消されていきます。
* 言霊に結んで実生する神業
”言霊は神なり”をいただいて、想念と言魂の御神業にお使いし、光明と希望と歓びの救いをめざすことが神仰の実践です。 神がなさる救いを、人間界で赦していただくのですから、救いの使徒として生きがいと歓びをもつことです。 救世主様は、”人を助けることをせずにして、自分が助かりたいと思うことは邪心である”と、戒めの御言魂をくださっています。 救うものは救われていくのが神理ですから、救いにお使いしていけば、神はかならずや大愛のみこころをくださいます。 運命を開いて体主の因縁を解消していくには、救いの想念をもつことです。 邪念を取りはらって正しい想念をもつには、神の言魂をいただくことです。 霊体の健と康をたもち生命力をつけるには、神の洗霊をいただくことです。