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教団時報
2022年04月10日
ついたち会 卯月
4月に入り新緑も鮮やかな暖かい日に、ついたち会が行われました。

今月も救世主様に結び、みこころをいただきました。そして月の誓いを立てます。毎月のことですが御賜命に仕えられることが喜びであり嬉しく思います。
「人成は慶び」より人成⇨ 人と成る。
人は霊止なり⇨霊魂が止まっているから霊止。
霊主体従⇨ 本霊を主とする。利他の心。
神業の目的
①霊性向上 (言魂と洗霊)
②因縁の解消
③日月地の神世の創造 因→ 私達がもって生まれた資質。

悪因は善果にしていく。想念次第。させられるのでなく自ずから神仰を求めることに力がつく。
縁→ 環境。努力と実践で岩戸は開く。 自分で磨く。
大きな救世主様のみこころ。大自然の法則(小宇宙) 神仰は継続です。小休憩をすることも大事です。ゆっくりでもいいから進んでいきましょう。

2022年03月28日
時と力を視る 時は言魂で、力は洗霊で視る
* 言魂に時を、洗霊に力を視る想念。
人は小宇宙、その生命は自然の縮図、といわれています。 自然の縮図である人の生命は、生きとし生けるすべてと共に、神のみこことのまえに生成され、そして化育されていきます。 わたしたちが、みこころのままに成ることで、救世主様の御想念である日月地の神世が実現するのです。救世主様は御昇天に際して、日月地の神世誕生を御宣言なさいました。そして、日月地の神世に導く力を授けられていることを、お明かしになられました。それが、想念であり言魂であり、そして洗霊です。ここに救世主教の神仰は、言魂と洗霊の御神業であり、想念と言魂の御神業である、といわれる理由があります。

* 時の力により御経綸は進められる。
救世主様は、”本霊の誕生が赦されて本命を賜れば、神に結ばれて自動操作がはじまる”と仰せられました。 神に結ばれての自動操作こそ、わたしたちがいただく「 救世賜命 」です。時の力により進められる御経綸・救世賜命にお使いできることは、即座に霊界の祖霊に通じます。 救世の御用が赦される感激と歓びは、祖霊と子孫一如の想念となるのです。想念の歓びは、わたしたちの生きる力となるのです。 時の御経綸にお使いして、神の愛と力を姿に、形に、そして結果にあらわしていくところに、わたしたちの御賜命があります。時によってみせられ、視らされることは、神の審判です。それは、神のみこころであって、神の救いです。

* 神は共に在りまた楽し
救世主教では、” 神仰する ” ことを強調します。これは、救世主様の ” いっさいは神と共に在り。神と共にの真実でなかったら、これは神仰にならない ”というお言魂によるものです。 そして、、” 吾、神と共に在り又楽し、神を仰ぎてみこころのままに仕えん ”の想念でいただく生命力を、” 新しき生命 ”と仰せられたのです。救世主様は、
” 今日一日の賜命をいただくこと ”
” 今日一日の生命をいただくこと ”
” 今日一日の大事を忘れないこと ” と仰せられました。

* 今日一日の結構
救世主様は、” 今日一日をおろそかにして、明日の力は生まれる由もない ”
” 新しき生命をいただくには、まず、一日の命を求めること ”
” 今日一日の結構に、感謝の想念でおくらせていただくこと ” と仰せられました。 今日一日の結構とは、一日の時にお赦しいただいた生命、新しき生命力に喜びと希望と光明をもって御賜命にお使いする姿をいいます。 今日一日の御賜命、今日一日の生命が、今日一日の結構であり、それが明日への力になりことを、わたしたちは視ることができました。
” 今日一日の生命力を求めること、ますそれが第一である。 ” これは、救世主様の御聖言です。

2022年03月21日
時と力を視る
* 人間世界は、小宇宙、という諺が明らかにされる時と力が誕生すれば、生命の霊体は神に化育されて、真の自由と平和による日月地の神世と成る。その時と力が、神の言魂と洗霊に見せられるのである。

*救世の本命を賜れば、神の力に結ばれ、自動操作が始まる。霊界の祖霊に通じて、共に救世の御用を赦されるのである。その感激は、祖霊と子孫の共の歓びとなるのである。この事実をしめすところに、神仰の実践がある。
*いっさいは神と共にある。信じて仰ぐのではなく、まず神を仰ぐのである。神仰は、神と共にある想念でなかったら、これは神仰にならないのである。

*今日一日の生命を、基本にしたらよい。今日一日ということであればよろしい。今日一日を怠ったりおろそかにしたりして、明日の力は生まれる理由もない。
2022年03月03日
なでしこ会 如月
末日になでしこ会がありました。

賜命者養成講座より
*救世主教も世の中も大峠。” 笛ふけども踊らず。” 問いかけても、相手が応じない。 賜命者はヤル気をもって、一本のろうそくの火を絶やさない為に新しいろうそくの灯りを・・・・・・・賜命に仕えていきましょう。
*99の神言を選んでいきましょう。 今の私が在るのは、この言魂 この言魂で救われた。 あなたが選ぶ言魂は・・・・
*体に出たものは、体のルールに従ってほしい。
*寒い日は暖かくして温かい物を食べて過ごして下さい。そして、それが出来ることに対して素直に感謝をしてほしい。

訓話を聞いた後は雛飾りでした。7段飾りは見事です。ひと月の飾りかと思いますが教会に来られた際は、是非ご覧ください。3月になると日中は暖かくなっていきます。もうしばらくは朝晩が寒いようなので皆さま体調に気をつけましょう。
追伸 手作りのいちご大福おいしかったです。

2022年02月26日
神律を視って、 霊性を高めていく。
前回からの続きです。
*結果で視る正邪の神理
あらゆる事象には、原因と経緯と結果があります。直接の力となる原因と間接の力である経緯によって、結果が生まれます。すべては、形にみせられていきます。 型に写された結果や姿によって、その原因の正邪を視ることができます。 想念に写る最終的結果によって審判されるのが、” 神の律法 ”です。想念は姿形をつくり、結果を生みだして、因縁と歴史をつくるのです。御聖言に、”人生の収支(終始)は想念にあって、この世は(自己のなせる)想念次第である ”と、いただく所以です。
生成化育は、神の御経綸であり、神律に従っています。想像されたものは成長発展して、賜命を果たせば、おのずと減せられていく姿が生成であり化育であり、神理なのです。

*生成化育の神理
しかし、この滅は亡びではなく、次への創造となります。 創造と破壊は、左進右退のリズムに統一され、縦と緯に結んでおこなわれる神の御経綸です。 すべてはは無(霊)から生まれ、成長して、時いたれば無(霊)と成ります。 霊は永遠であり、不滅です。 体は限りがあり、かならず消滅していくのです。 霊主体従になれば、想念は定まって、言動はこれに従っていきます。 霊主体従の法則に基づいて生活していけば、中心ができ調和が図られます。 神の御経綸の姿である左進右退のリズムが生じて、統一の力が生まれます。 神仰は、霊主体従の神律に従って光明と希望で” 新しき、そして善き因縁 ”をつくっていく歓びの実践なのです。

2022年02月20日
月並祭 如月
今月も御神意をいただく月並祭がありました。
※時を視る一に始まり・・神から始まる。二に開(明)かされ・・昼夜の転換 日月地下生 。 昼を司られる神が主形を視せられた。

※節分けの御神業 想念の節分け・仕分け。
①神事〜昼夜の転換・夜から昼へ日月地神世の宣言
御守護信仰 ⇨ 御賜命神仰
厄払い(災いを除く) ⇨ 役祓い(賜命の実践)
②神言〜神は内、福は人 五色の花豆に撒いてひらう。
*五色は五輪・世界平和。救って救われる。 吾もよし他者もよし。
*神は内、福は人・・神力が内に宿って人に福(幸せ) を分けていける。
*神は内、不苦は霊止・・神力が内に宿れば苦に不(あらず) 苦は歓びの種と戴き霊性の向上に繋がる。 浄化は魂の向上。

③神行〜神扉開明
*御神霊様をお迎えになったこと。
*御神体様をお顕しになったこと。
*御神力(洗霊)を授けになったこと。
※訓話より 大祭・神祭から
*予言と預言
予言・・となるであろう。 神に結ぶ私達の想念で戴く。 預言・・こうして実践していきなさい。 幸せのなる仕方を教えるのが救世主教。実践は自分。
*篩(ふるい)・・竹は節をもって立て分けることに通じ、 「師」はその導きを意味する。咎め裁きでなく神赦しの神の愛、神救いの神の力、神の洗霊と言魂に導かれ (時と処と人)に選ばれ救われていくこと。 網の目から落ちることではない。 浄化の神の篩に於いて感謝・素直・真実の想念を残して霊主体従の生き方で(祖霊と共に人と共に)神仰の階段をのぼる。我執着慢心を捨てる。
*魂→云(言魂)がなくなったら→鬼。
*whoだれが言ったではなくwhatなにを言われたかを考える。言魂or言葉?
*因縁の霊化〜人の念い願いは残って霊界へ積まれていく。 良い因縁は子孫へ引継がれ、悪い因縁へ累積されお気付けとして私たちに見せられる。
時を視るは十二あります。来月は三を書き加えていきます。 毎月書き加えていくので何度も読み返すことができます。 大事な部分なので、しっかり理解していきましょう。

2022年02月12日
神律を視る 神律を視って、霊性を高めていく
* 救いは神律の実践
大主神は、神羅万象を ”神の律法” に従っていくようにつくられました。神の律法は、 ”神のみこころ” として、時空間をこえ、神幽現三界のすみずみまで霊的に、そして体的にいきわたっています。 神は、すべての生成と化育に、絶えずみこころをそそがれて、賜命をくださいます。これを ”神の審判” といいます。 神の審判は、咎めることではなく、絶対の愛と力による ”神救い” です。神救いは神の律法であり、救いにお使いすることは ”神理の実践” です。 神の審判である神律をいただくことによって、浄化作用がおこるのです。 浄化作用は、良い方向へと導く ”神の愛と力” によっていただくのです。 神は、神律に従って、苦を力にしてのりこえていくものに、改心の機会を与えられ、浄化をくださって、その向上していく姿を見守っておられるのです。

* 救いは救世賜命
救世主様は、 ”救うものは救われる” と仰せられました。救うことは、救われることなのです。救うものの対象に、救われるものがいるのではありません。救うものと救われるものとは、対照に位置しているのではありません。対象でも、対照でもなく、それは一如一体、表裏の関係にあるのです。 救世主様は、これを ”救うものは救われる同類親和の法則である” と仰せられたのでした。 救いは、同類が親和していく救世賜命です。 救世賜命は、すべての事物と生命が存在していく根源となるのです。

2022年02月11日
神律をを視る。
*神幽現の三界には法則があって、三界の順序を正し、霊体の規律を立て分け、主神のみこころに統一する神の律法がある。これを霊主体従の法則というのである。真善美を具現する絶対的根本の法則が霊主体従の神律である。

*およそ万有は無から生まれて成長するが、時いたれば無となる。これが心理であって、霊主体従の法則という。霊主体従の法則に統一される主体は、自然の縮図といわれる人間の生命でなければならない。
*左進右退のリズムによって切りかえられ、正邪を立て分ける絶対力が出現したのである。神が下生されておこなわれる大神業によって、神の洗霊に正邪は審判され、浄化改善をしていく神律である。

*大自然は、太陽を中心に月と地は運行自転しているごとく、自然の縮図である人間は、霊的な生命と、その賜命に運行自転の化育をされていくのである。これが、主神のみこころに統一する霊主体従による神律である。
2022年01月30日
なでしこ会
なでしこ会で、賜命者養成講座の報告がなされました。
1.今年の御聖誕61周年の神事
・「救世力」、「霊体力」の御神筆(神文字)をいただく。
・御神業最大の神事(祝典)へ必至の参拝。
2.1年は365日、救世主教は369日 特別大祭(開教、御聖誕、節分、春季)が加わる。 369,ミロク、日月地の神世創造へと繋がる。

3.篩(ふるい)は、竹と師の形成文字
竹は立て分ける、師は導いてくださる。立て分けとは、御神業の立て(中枢)をなす言魂と洗霊が分け与えられ師に導かれる。神の篩は、神の言魂と洗霊に導かれて救われていくこと。網の目から落ちることではない。
4.自問、自聞(じもん) 自由自在(自らに由って自らが在る)
5.自分の賜命を誾(ぎん)の心で見る。 おだやかに、静かに見つめなおす。
6.自決自動
自分で決めて、自分で動く。 自分で決めなければ自分で動けない。
7.神仰は螺旋階段であるが、落ちることもある。その時は、五点着地(の浄化)をする。
① 言魂と洗霊をいただくこと。 ② 教会に神結び。 ③救いの風(霊性の向上、因縁解消、神世創造)にのる。 ④救われる御守護に感謝する。 ⑤ 生かされていることを感ずる。
8.今年は、御賜命神仰への切り換えのため為に風を吹かせる。
御神業の風・継承の風・賜命の風・救いの風・向上の風
1+1は2を1+1は10となす。 霊智でみこころをいただいていきましょう。

2022年01月23日
新しき生命をいただこう
*浄化は生きる力が働いている姿
神の言魂と洗霊によって想念は転換され、運命は開けられていきます。神の言魂と洗霊をいただくと、霊主の善い因縁がはぐくまれていくのです。洗霊は、神の力そのものです。言魂は、神のみこころが移るのです。想念は洗霊と言魂をいただく器です。

新しき生命をいただくのは、洗霊と言魂と、そして想念によって育てられる救世主様の神業です。 生命体には”生きる力”が、神から授けられています。授けられている”生きる力”を知らないとき、無視するとき、あるいは、その働きをこばむとき、浄化がおきてきます。浄化は、生きる力が働いている姿であり、その証なのです。
* 新しき生命をいただくのが神仰
生きる力を発揮するには、多くの生命と共に、生かされて生かしあっていく御賜命の歓びを持つことです。 生命にいただいている生きる力を、肯定と歓びをもって信じることです。 このことは、神のみこころにそった感謝と素直による、真実の生き方となるのです。

救世主様は、”想念が人生をきめる”仰せられました。 想念が、人生の幸・不幸をきめるのであれば、生きる力をいただいている自分を信じ、他をも信じていきましょう。そして、おたがいを信じあう想念をもっていきましょう。 生きる力の大元を視って、”新しき生命”をいただくことは、光明と希望と歓びとなる神仰ではありませんか。