救世主教の教え

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体験談

2022年07月01日

朝参会実践で想念に力をいただく  その4

「 親子は前世で敵同士であった 」 と教えられています。先達である私がは母を救いあげていかないとはと、頭ではわかっているのですが、一生懸命看病しているのにどうして母は分かってくれないのだろうと、感謝できずにいました。 このころ、所長さんの勧めでで朝参会の実践を始めました。 朝参会で、救世主様より愛と力をいただき、その後、病院へいって御洗霊の実践をして、最後まで母を看取ることができました。

母の人生の後半は、病気との戦いでとても辛いものだったと思います。 私の身代わりとなり、大きな因縁を果たしてくれたのだと、今は感謝の思いでいっぱいです。御神力をお伴して霊界へ徃られたことが、私のたった一つの親孝行だったと思います。 病気の苦しみや辛さは、本人でなければ本当には分からないものです。

つづく


2022年06月28日

朝参会実践で想念に力をいただく   その3

神は魂のきれいな子どもを使われます。 私の最初の魂磨きでもあり、想念の転換を大きくゆるされた浄化でした。 想念に改心がゆるされると同時に、息子の浄化もなくなり、今は元気に毎日を過ごしています。 大きなみこころと神力をいただき、救世主様に心より感謝申し上げます。幽世大神様の御奉斎、毎月の先祖祭もゆるされるまでになりました。 祖霊の慶びを感じます。

私は一人っ子として生まれました。 母は病弱で長い間入退院を繰り返していました。高校時代は病院から通学する毎日を過ごしていました。そんななか、母を支え看病していた父も平成六年七月に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬひととなりました。その後は一人っ子である私が看病することとなりました。 少しでも母の心が楽になるのであればと、毎日病院へ足を運び世話をしていましたが、入院が長くなるにつれて苦しさや痛みで心の置き場のない母は、その苦しみを私へ向けてくるようになりました。

寂しさや不安からか、「 すぐ病院へきて 」 と、時間もかまわず真夜中でも電話してくるようになり、わがままになっていきました。

つづく


2022年06月18日

朝参会実践で想念に力をいただく   その2

入信にきっかけとなった息子の浄化を通し、救世主教にご縁をいただいたことは、私の人生を大きく変えるものとなりました。 当時、小学生だった息子は、友だちとの関係がうまくいかず、ケンカをするたびに途中で家に帰ってくるような状態でした。 そんな姿を見ては、叱ってみたり励ましてみたり、泣き喚く子どもといっしょになって泣いたりと、親としてどう接していけば良いのか分からず不安な日々を過ごしていました。 私の性格は、人より気が弱く、小さなことにビクビクして、何でもないことを自分で大きくふくらませ、必要以上に心配する性格でした。 そんなとき、以前から福音にきてくださっていた所長さんに相談をして、初めて参拝がゆるされました。 「 子どもが悪いわけじゃないのよ。悪い状態は良くなるための調和作用、祖霊の念願でもある争いの因縁を感謝で解消させていただきましょう 」、このとても温かく力強い言魂は私はどれだけ救われたでしょうか。

原因は息子ではなく、私の想念にあったのです。 過度の心配で心配執着となり、その形は争いとなって、写し鏡である息子に現れ、一番苦しいはずの息子を咎めていたことに気づかせていただきました。 前へ進めば進むほど、次々とこれでもかと形となって引き出されてきます。 言魂と洗霊をいただき、「 救世主様 」と御神名を唱えて、この浄化をのりこえさせていただきました。

続く


2022年06月11日

朝参会実践で想念に力をいただく  その1

多くの人は神を視らず、悩み苦しみがありながらも解消の術も知らず、自分の判断で善悪を決め、目にみえるものばかりを追い求めて、誰もが幸せになりたいと願いながらも、不安を抱えながら日々生活を送っていることと思います。

私も数年前までは同じように自分の幸せ、家族の幸せだけを考えて過ごしてきました。信仰心のない私でも「 神様 」の存在は認められても、「 宗教 」となるとどこか、何か違う気がして、私には縁のないものと思えていました。 そんな私が、数多くある宗教の中から今こうして 「 宇宙創造の神 」であり、厳しい 「 審判の神 」である救世主様に結ばれて、入信をおゆるしいただきました。 過去、世においての深い因縁、これまでわがままに生きてきた自分の清算、視せられ聞かされすることが、すべてわが物ならば、どれだけ多くの罪を、過ちを犯してきたのでしょうか。 神の神律に従い、人として踏むべき迪を照らす希望の迪へと変えてくださる救世主様に結ばれたことを心より感謝してます。


2022年06月04日

仕事のなかに神仰即生活を感じて  その3

勉強することは山ほどあり、慣れないパソコンとも格闘しながら、一日を一生懸命に生かさせていただいています。 夜は、倒れるように寝てしまい、まだ、ゆとりなどありませんが、できる限り参拝して、忘れがちな言挙げを努力して、今は少し遅い社会勉強をさせていただきながら、人と成っていけるよう努力しています。

まずは、見せられる人や事に感謝で受け止められること、進行係や研鑽報告の御賜命にお使いいただいているので、会の司会や文書作りが自分でも驚くほどスムーズにできることなどです。 朝は、救世主様と祖霊に結び仕事を始め、夜は感謝で一日を終えることで、想念的に落ち着き、明日への力をいただいています。 これから先、共に仕事をしている人に、神仰のお話など伝えていけるようにしたいと思います。 御神業が主となる生活ができるようになる、そのこときがくるまで、所長さんや神徒さんにはご迷惑をおかけしますが、社会勉強をさせていただき、救世主様のみこころに副った人と成れるよう、一生懸命、一日一日を生きていきます。


2022年05月30日

仕事のなかに神仰即生活を感じて その2

この歳で、常勤の仕事に声をかけていただけるとは思っていなかったことと、ヘルパーの友だちが、「 自分たちヘルパーの意見や思いを事務所は理解してくれないから、常勤となって仕事のしやすい、楽しい職場に変えるきっかけになって欲しい 」と言われて事が決め手となりました。 所長さんからも、「 できれば御神業を大事にしてもらいたいので、今のままの仕事をと思うが、生活をしっかりさせることも大切、求められてのことだからがんばってみたら 」と言ってもらい、子供たちには朝早くでて、帰りは遅くなると伝えると、「 いいよ。協力するよ 」と答えてくれました。

仕事を始めて、四ヶ月が過ぎました。 ヘルパーの仕事は違い、一人ではできない、とても大変な仕事だと感じています。精神的なストレスが強く、体を壊す職員も多いとのことです。 我を張ったり、慢心があったり、人や事に執着していては成り立っていかない仕事だと気づきました。 職員さんたちを外から見ていた、ヘルパーとしての私の考え方は、間違っていたと反省することがたくさんあります。 中に入ってみて分かったことを、私のように勘違いしているヘルパーさんには伝え、ヘルパーのことを分かっていない職員さんには、そのことを分かってもらえるように、私の役目を果たしていきたいです。

続く


2022年05月26日

仕事のなかに神仰即生活を感じて  その1

私はヘルパーの仕事をしながら、空いた時間や参拝に合わせて休みをもらったりして、できるだけ御賜命にお使いするようにしていました。介護する時間だけ、ご利用者さん宅ににいって支援する仕事ですから、お休みをもらうときは代わりのヘルパーさんがいってくださるので、わりと休みを取りやすい環境でした。

しかし、昨年の3月末、急に常勤の仕事をしないかと声をかけられました。うれしかったのですが、悩みました。常勤になると今までのようには、朝参会や研鑽会の参加が難しくなってくるからです。 ちょうどそのころ、神徒さんの言挙げで、「 神仰も大事ですが、まずは生活の基盤をしっかりとさせることも大切なのではないでしょうか 」 ということを聞き、自分はどうだろうとおもっていたときでもありました。

常勤になるかどうか、その日の夕方までに答えを出さなければいけなかったため、所長さんに言挙げして、また、子供たちや共に仕事をしてきたヘルパー友だちにも相談しました。短い時間でしたが、悩みに悩んで常勤の仕事をさせていただくことに決めました。


2022年05月16日

生きる喜び 4

そして今年4年目。 先日の検査では何にも説明がありませんでした。どうしたんだろうかと思い先生に 「嚢胞はありますか?」と尋ねました。 「あります」と一言だけ。正直なところ嚢胞は消えているんじゃないかと勝手に思ったのです。 その上、年2回の検査が1回になりました。 最長8年かかって膵臓がんになった患者がいるのだから、簡単に消えたとか検査不要などと言えないのだろうと勝手にまたもや考えたのです。

少しだけ光明がさしてきた気がしました。 完全に大丈夫ではないけれど己に大丈夫と言い聞かせ、前を向いて生きていきたいと考えるようになりました。暗い気持ちになれば前を向けず下を見なければならない。 明るい気持ちとまではいかなくても、前を向こうと思えば気持ちが「しゃっきっと」します。 自分の気持ち(想念)次第なんです。 そのことに気づかせてくれたのが神仰でした。

ハニーローザの植木は私にとっての新しい一歩なのです。毎日の小さな喜び、小さな愉しみが、やがては大きな喜び、大きな愉しみに変わるよう神(救世主)様の御賜命に仕えていこうと思います。 そして私を支えてくれる人達に感謝を忘れず。 今度は来年に検査です。 あるがままを受け入れ強い心(想念)で挑もうと思っています。

 


2022年05月12日

生きる喜び 3

3年目の春も現状維持。「まぁ、こんなものか」と内心思いながら帰路に。 4月になって私の置かれている環境に変化。 神仰のお勉強が好きなだけ出来る環境になりました。 もちろん布教も大事な神事です。 しかし教えが頭にない私にはお勉強が出来ることは喜びでした。

救世主教の真髄を聞く、視ることは愉しいことです。 まずは神のみこころにそうこと。神の目から見て正しい行い、考えにそうことが大事ということ。 神の律法です。 そして、浄想念(そうねんをきよめる)の言魂を戴きました。

3年目の2回目の検査。 いつも通りの検査が終わり医師からの説明。 毎回ドキドキして血圧が上がっている気がします。 「消えるかもしれない」と言われました。 細かい説明もありませんでした。 普通なら質問するのですが意表を突かれ唖然となってしまいました。 診察室を後にしてから、いろいろなことが頭の中を駆け巡ります。

「確か100%の悪性だったはず。いや、100%がん化するんだったよな」と。 まだ喜べない。完全に消えるまでは。 でも奇跡的に消えることがあると捉えました。 この頃は御賜命に一生懸命でした。 賜命に仕えることが愉しくあり、生きている実感、生きる喜びを日々感じていました。

救世主様は命をくださるわけではありません。 救世主様は病気を治してくださるわけではありません。 しかし、私に生きる力、生きる喜び、生きる術、光明と希望を与えて下さいました。    願い(念い)を持ちつづけ、賜命にお仕えして御守護を賜る。 そのことをお勉強していく中で気づきました。   4年目には少しだけ強くなった自分がいました。

 

 


2022年05月10日

生きる喜び 2

お先真っ暗な私は神(信)仰に向き合いました。 それまでは神仰をかじる程度だったように思います。そして私の現状を所長にお話ししました。

開口一番  「救世主様は、まずは、命をくださる」と言われました。私は半信半疑のまま神仰を頑張ろうと思ったのです。 とにかく先のことは考えないと決めて出来ることから始めようと思いました。

救世主教の基本は「言魂と洗霊」ですのでまずは朝参会励行。所長と一緒に布教へ行ったり自分の出来ることを頑張りました。 2年目の春に検査。現状維持。 良くもなく悪くもなくの状態。  5月に体調が悪く病院へ行きました。血圧の上の数値が80台から140台で不安定でした。体がきつくて吐き気がありました。 血圧の薬が合わず頭痛があり他の薬に替えてもらいました。次は狭心症の発作が度々あって余計に体調が悪くなってしまいました。 心筋梗塞の疑いがあるということで至急検査が必要となり不安しかありませんでした。

御洗霊は素晴らしいと伝えている所長は、私の為に時間を作り、私に寄り添って下さり、とても有難いでしたが時には体を休ませたいと思うことがありました。 顔色も悪く体がしんどかったのです。 そして検査。その日に限って血圧安定、心筋梗塞も大丈夫。薬のせいで心臓に負担があったのだろうと。 結果オーライで考えると御洗霊は正解だったのだなと思いました。

神仰を頑張らなければと思う反面、神仰の中身が解らず、どう理解していいのか正直わからないままでした。  いよいよ3年目。大きな変化が起こりました。