救世主教の教え

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体験談

2024年08月14日

みこころのままの迪を知って   その1 

私が神仰と出会ったのは、今から三十年前です。 親戚のおばさんからの福音でしたが、その当時は、宗教に対して良いイメージをもっておらず、聞く耳はありませんでした。 私が、家を継ぎ、長男が生まれるとまもなく父が五十四歳の若さで他界して、母と妹二人と祖父との同居となりました。 それからの母は、男の役割もしなくてはならない大変な苦労の始まりでした。 そんな姿と同時に、いつも愚痴や不平を言い、私たち娘に八つ当たりする母が嫌でした。 女ばかりのなかで、いつも誰かがけんかして口を利かないなど、何もない日はほとんどなかったので、夫に気を使い、こんな家庭環境の中では子供を育てたくないと思ってました。 しばらくして、私たち親子五人ですぐ近くにある叔父の家に移りました。

母のようなことはしたくないと思い別居したはずなのに、すべて自分がしなくてはならなくなり、忙しいとつい子どもに大声で怒鳴ってしまうようになりました。また、自分の思うようにならないと物にあたったりして、子どもの寝顔を見ては、「 怒りすぎたなあ! 」と後悔と反省を繰り返す日々でした。

つづく


2024年07月13日

生きていることの有り難さ   最終回

喜怒哀楽の感情が分からなかったというと、私に 「 まさか 」といかぶる人もいますが、本当にそうだったのです。 救世主様のあふれんばかりの愛をいただき、浄化をゆるされて、自分自身に大きく目覚めることができました。 救世主教は、因縁解消の御神業である事をひしひしと感じます。 母は59歳で帰幽し今、私は母が生きていた年を少し過ぎ、母が生きたくても生きられなかった日々を元気に過ごしています。 これも救世主様にいただいた生命です。

一日一日を大事にして、賜命を果たしながら、生きられなかった母の分まで生き抜いて仕合わせになりたいと思います。 長男も教会の青年委員長を務めるようになり、青年夕拝に力を入れています。 大祭の献饌準備の手伝いもさせていただき、親として嬉しいかぎりです。 布教は、世の中の人と共に仕合せになるためにあるのです。 ウオタアの救いを目指し、神徒さんと共に、祖霊と共にお使いしていきます。


2024年06月08日

生きていることの有り難さ  その4

最近の事ですが、老人施設で一日に数時間だけ仕事をさせていただいたときのことです。 寝たきりの方たちに、食事をさせてあげる手伝いでしたが、スプーンに食べ物を入れて口元までもっていっても反応もなく、受け応えできない方がおられました。 どうしたものかと考え、私はその人の本霊に呼びかけようと思いました。 小さな声で懸命に呼びかけますと、口を動かしスムーズに食べてくださるようになり、とても嬉しくなりました。

こんな仕事に携わって始めて今、自分が健康であること、そしてこの神仰に結ばれていることの仕合せを体中で感じることができました。 この施設に入っている方たちは、六十代、七十代の方も多いのですが、同じ年齢でも私の周囲にいる神徒さんたちの若々しいことかと驚きました。 一人の賜命をいただいて動いているからでしょう。 私も入信以来すいぶん変わりました。 いつでしたか、朝参会の場で、私の正面に座っておられた教会長さんが、 「 あなたは愛がない 」といきなり私に言いました。 エッ!と思いましたが、なぜかその時の私は反発心も起こらず、素直に「 そうだなあ。私は他人に対して愛がないなあ 」としみじみ思ったのです。 すると、その言魂が頭の上から体の中にスーッと入ってきて、頭の上に載っていた重いものが割れて抜け出していったような感じがしました。 喜怒哀楽に乏しく、まったく表情に出なかった私でしたが、「 人生は日々嬉しくおもしろい、楽しく生きる有り難さかな 」が実感として分かるようになりました。


2024年05月06日

生きていることの有り難さ  その3

少しずつ少しずつ足をずらしながら前へ進み、手にしていた「 救世 」を何とかして手渡した時、言いようのない歓びで身体が熱くなって、帰るときには普通に歩いていたのには、私自身驚きました。 布教がいかに大切であるか、救いの尊さと意義のあることを、身をもって視ることができました。 それからは、家の近くから少しずつ足を馴らし布教に出かけるようになりました。 私の体も徐々に元気を取り戻し、二年間の寝たり起きたりの生活にも終止符を打つことができました。 浄化から十二年が経ちました。 今日こうして賜命にお使いできますのも、救世主様の大愛によるものと感謝の思いでいっぱいです。 


2024年04月21日

生きていることの有り難さ  その2

すぐに病院に運ばれ、診察の結果は狭心症ということで心筋梗塞の一歩手前でした。 やはり、母のこともあり、これも因縁なのだろうと思わずにはいられませんでした。 教会長さんより「 朝7時の朝拝実践でしっかり力をいただいていたからこのくらいで済んだのよ 」と言われましたが、本当にこの神仰との出会いが許されていなっかたら、今の私は存在しなかったかもしれません。 それ以来、寝たり起きたりの状態になって、仕事も辞め、何もできなくなってしまいました。それでも家まで班員さんが車で迎えにきてくださり、毎日、朝参会を続けることができておりました。 5ヶ月を過ぎたころ、 「 もう布教しかない。一軒でも良いから救いに歩きなさい。」と教会へいくたびに教会長さんが言魂をくださるので、内心この体でできるだろうかと思いながらも、勇気を出して隣の家まで行くことにしました。

           次回に


2024年03月31日

生きていることの有り難さ  その1

私は今、こうして生かされ生きていることの仕合せをひしひしと感じております。 私がこの信仰にご縁をいただき朝参会の実践をするようになったのは、二十年ほど前になります。 母が心臓肥大という浄化で入院していましたときに、母と親しかった教会長さんがお見舞いにきてくださり、御洗霊にお使いしてくださっているのを見ていました。 母が苦しむたび、一日に何回も教会長さんご夫婦が交代で足を運んでくださっていましたので、何も分からない私でしたが、神の洗霊の尊さや有難さを感じていました。 母の帰幽後、五年ほど経って私は教会へ行くようになりました。

私は、子どものころからひ弱な体質でしたし、それに加え極端に内向的な性格で、他人に合うのが嫌、話すのも嫌、まして人の集まるところなど絶対に嫌と思っていました。 他の人から見れば、ずいぶん無表情で冷たい人のように思われていたと思います。 そんな私が、意を決して教会で参拝するようになり、後には営業で働くようになったのですから、自分でも考えられないほどの変わりようです。

朝、七時の朝拝で力をいただき、九時には会社へ行っておりましたが、十二年ほど経ったある日、営業に出かけるためイスから立ち上がったとたん、心臓が急に痛み出して、そのままうずくまってしまいました。


2024年02月29日

感謝の想念で日々を送れる幸せ   その2

入信の日から参拝がゆるされ、朝参会、布教へとゆるされました。すぐに御守護いただけることで、いつしか御守護だけを求める自分がいました。そんな時、本部長さんより「 あなたは誰を一番救いたいの 」と聞かれて、私は子どもと答えました。 でもよく考えると親であったことに気づき、母の入信をお願いさせていただきました。 母の入信から次々と悩みが解決し、御守護をいただくことができました。

風邪をひいたときなどは、今までは寝込みことが多かった私でしたが、仕事を休むことなく勤めることができました。 これも救世主様のお陰であり、みなさんが毎日、御洗霊を与えてくださったお陰です。 本当に感謝しています。


2024年02月23日

感謝の想念で日々を送れる仕合せ  その1

この素晴らしい神仰へ入信をゆるされたきっかけは、本部長さんとの出会いでした。初めは患者さんと介護師だったのです。 ある日、患者さんに自分の悩みを話させていただいたところ、「 あなたは、感謝が足りない 」と言われ、「 二十一世紀には、日月地の神世、地上天国が誕生すると言われているから、がんばりなさい 」とただそれだけを教えてくださいました。

私は、前に少しばかり他の神仰をさせていただいていましたので、素直に言われることを実践させ    ていただき、感謝させていただきました。すると、自分の悩みだったお金のことが、少しずつ片付いていくことができ、有難く思いました。そこで、本部長さんが退院された翌日、お宅を訪ね入信をおゆるしいただきました。 本当に救世主様に出会えて有難く、感謝の気持ちいっぱいです。


2024年02月08日

救世主様の神護りがあればこそ  最終

” 人生には何一つ無駄な」ことはない ”といただいておりますが、まさにその通りだと思います。 いろいろな体験や経験は自分自身を創り上げていく貴重なものであること、またそのような経験を与えられたことに心から嬉しく思います。 救世主様に結ばれてなかったら、今の自分はなかったと思いまう。 この大都会で生活するには、神様を離れて一日たりとも安心して過ごすことはできないと思うと、生かされて生きていることの素晴らしさを感じます。 世の中に起きている諸々の出来事や、さまざまな自然界の異変は、風水火の大浄化であることをいただいてます。 そして人間に移写されれば、精神の病や人身事故として現れますが、それを他人事としてみることはできません。 それほど大浄化の嵐を身近に感じずにはいられません。

今こそ、救世主様と繋がる綱をしっかりと自分自身の想念に持ち、その綱を神視らぬ世の多くの人達に繋げていけるよう、先祖と共に救世賜命にお使いしなければと思っています。 救世主様は、いつどこにいようとお見捨てなく守護してくださいます。 その大愛に、お応えしていけるよう、がんばってまいります。


2024年02月01日

救世主様の神護りがあればこそ  その5

” 人生には何一つ無駄なことはない ” といただいていますが、まさにその通りだと思います。 いろいろな体験や自分自身を創り上げていく貴重なものであること、またそのような体験を与えられたことにこころから嬉しく思います。 救世主様に結ばれてなかったら、今の自分はなかったと思います。

この大都会で生活するには、神様を離れて一日たりとも安心して過ごすことはできないと思うと、生かされて生きていることの素晴らしさを感じます。 世の中に起きている諸々の出来事や、さまざまな自然界の異変は、風水化の大浄化であることをいただいています。 そして人間に移写されれば、精神の病や人身事故として現れますが、それを他人事として見ることはできません。 それほど大浄化の嵐を身近に感じずにはいられません。

今こそ、救世主様と繋がる綱をしっかりと自分自身の想念を持ち、その綱を神視らぬ世の多くの人達に繋げていけるよう、先祖と共に救世賜命にお使いしなければと思ってます。 救世主様は、いつどこにいようとお見捨てなく守護してくださいます。 その大愛に、お応えしていけるよう、がんばってまいります。

以上です。