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神仰する意味を視って

2020年05月10日

神仰する意味を視って

前回からのつづきです。

ある日、突然、精神的な大浄化をいただいたのです。そのときの状況はあまりよく覚えていないのですが、とても辛くて、苦しくて、とても悲しかったように思います。叔母の家は高校の近くで、よく遊びに行くようになっていたのですが、その行き道が分からなくなったり、とても恐い夢を見たり、学校へ行っても強い頭痛と吐き気で早退する日が続きました。もう限界だと思ったのか、母に「 助けて 」と縋りついて泣いたそうです。自分ではあまり思い出せなくて、母に聞いたのですが、目に力がなく、顔色も悪かったそうです。

霧島高千穂の峰   

その日、教会に参拝することをゆるされました。御神前に座り、教会長さんが「 どうしたの。救世主様にお話ししてごらん 」と優しく言ってくださったのですが、なかなか口に出すことができませんでした。ただ、御神前に座ったことで何か不思議に安心して、涙が後から後から出てきて止まらなくなりました。あまりにも泣くので、朝参会に来られていた神徒さんの方が、「言葉に出せないなら紙に書いたらいいよ 」と言ってくださり、私は震えながら書いたようです。

書いた後は少し落ち着きましたが、その顔は青白く、とても生気がなかったと母に聞きました。福音所の所長さんも心配してくださり、病院で診察してみて原因を知ったほうがいいかもしれないとすぐに病院へ電話して連れていってくださいました。母からきいて神徒さんたちはみんな心配したそうです。

 原良福音所 庭のマツリカです。