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生きていることの有り難さ  その4

2024年06月08日

生きていることの有り難さ  その4

最近の事ですが、老人施設で一日に数時間だけ仕事をさせていただいたときのことです。 寝たきりの方たちに、食事をさせてあげる手伝いでしたが、スプーンに食べ物を入れて口元までもっていっても反応もなく、受け応えできない方がおられました。 どうしたものかと考え、私はその人の本霊に呼びかけようと思いました。 小さな声で懸命に呼びかけますと、口を動かしスムーズに食べてくださるようになり、とても嬉しくなりました。

こんな仕事に携わって始めて今、自分が健康であること、そしてこの神仰に結ばれていることの仕合せを体中で感じることができました。 この施設に入っている方たちは、六十代、七十代の方も多いのですが、同じ年齢でも私の周囲にいる神徒さんたちの若々しいことかと驚きました。 一人の賜命をいただいて動いているからでしょう。 私も入信以来すいぶん変わりました。 いつでしたか、朝参会の場で、私の正面に座っておられた教会長さんが、 「 あなたは愛がない 」といきなり私に言いました。 エッ!と思いましたが、なぜかその時の私は反発心も起こらず、素直に「 そうだなあ。私は他人に対して愛がないなあ 」としみじみ思ったのです。 すると、その言魂が頭の上から体の中にスーッと入ってきて、頭の上に載っていた重いものが割れて抜け出していったような感じがしました。 喜怒哀楽に乏しく、まったく表情に出なかった私でしたが、「 人生は日々嬉しくおもしろい、楽しく生きる有り難さかな 」が実感として分かるようになりました。