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いろんなお話
2023年02月18日
学び
今日は月並祭でした。 先月は行けなかったので、愉しみにしていました。 普段会えない人に会う愉しみ、救世主教の教学を学べる愉しみ。 いつも元気をもらいます。

最近の私は平凡な毎日を過ごしていたように思います。 別に嫌なことがあるわけでもない、かと言って喜びがあったわけでもない。 本当に普通の毎日。案外、普通がありがたい。 でも私は、生き生きした時間を過ごしたいと思っています。 神仰の教学が好き。 本が好き。 だから本屋や図書館も好きです。 頭が良いから勉強が好き、そういうことでは決してなく学ぶことが好きです。 わからないことだらけだから、学ぶのです。 それに拍車がかかったのが5年前くらいからです。 膵臓に嚢胞が出来て、膵臓ガンになれば終わりという考えでした。 勉強がしたい、知らないことを知りたい。 学ぶ尊さ、私にとって学ぶことは生きることです。 そして何よりも愉しい時間です。

3月に年1回になった膵臓の検査を受けます。 今回で何度目だろうか。 まだ学ぶことが沢山あるので、良い結果だといいなと願っています。
2023年02月13日
梅
今年も原良福音所の梅木に花が咲きました。 1月下旬には雪が降りましたが、一歩一歩春に向かっています。 これから、いろんな花が咲きます。

2023年02月04日
足利学校に行ってみました。
昨年、栃木県に行きました。宇都宮市内にホテルを取る予定が満室で、小山市の駅の近くに取りました。 小さいながらも浴場があり、3泊いたしました。子供の競技の応援に訪問しました。 陸上競技場との往復でしたが、時間がありましたので、足利学校に行くことにしました。 社会の授業で学んだことはありますが、初めて行ってみました。 栃木に行くことが初めてですので。

足利学校の創建は、奈良時代の国学遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説等がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設ける等して学校を再興したところからとのことです。

天文十八(一五四)年にはフランシスコ=ザビエルにより「 日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学 」と世界に紹介され「 学徒三千 」と言われるほどになったとのことでした。 久々に歴史の勉強をしました。 訪問して良かったです。

2023年02月02日
有難いこと
今日から、2月に入りました。 あれほど新しい年になるのを愉しみにしていましたが、残念ながら1月は何もできませんでした。

主人が職場でコロナになり、私は大丈夫でしたが、教会への参拝等は自粛して神仰が想うように出来なかったのです。 でも、御守護をいただいたのだと、有難い気持ちになりました。 そしてもうひとつ。 有難いことに、体が軽いのです。 血行障害で、重度の肩凝り、背中痛なのに軽い。 ホッカイロと温湿布が必要。 肩と背中にパーツを変えたのかと思うくらい軽い。 体が動きます。 有難いです。
さて、2月は、昼夜の転換のみこころを戴きます。 神中心の昼の想念界(心)に切り換わって、感謝・素直・真実を生み、”健富和”を創りだしていく。

「 2月は、頑張りなさい 」と聴こえてきそうです。
2023年02月01日
新年のみこころ
新年最初のついたち会。 ひと月の御礼と、今月の御賜命に仕えることを報告。 そして神(救世主様)に結ぶこと。 久しぶりに参加しましたが、愉しかったです。私より年上の方ばかりですが、みんな元気で生き生きしているように見えました。 救世主教の御神意(みこころ)は、1年間の師表・目標です。
私が引いたみこころは、「日々新たな生命と賜命をいただくと 片がつけられていくのである」といただきました。新たな生命とは、感謝・素直・真実の想念にいただく真善美・健富和の生命。 新たな生命は、回りの方々に光明・希望・歓びを与えていけます。

感謝・素直・真実の想念で御賜命に仕えることが大事。 そうすることで、結果として、少しずつ少しずつ浄化(苦)が解消していくということだと解釈しました。
とても有難い御神意です。頑張ろうと勇気づけられました。
2023年01月17日
体調不良
体調が悪いです。 年末年始も優れず、体調不良が多いでした。
私はメニエール病の持病があります。 先日、デパ地下で1人でお買い物しました。 途中から、めまい・吐き気・冷汗の症状があり「倒れるんじゃないか」と怖い思いをしました。 時々1人での行動が怖くなります。

今年は、体調にも配慮しようと思っています。 休憩をすること、体を休めることも必要だなと。昨日は久しぶりに「のほほん」とした時間を過ごしました。 料理、読書 (途中寝てましたが) 心と体も、のんびりで「のほほん」でした。 今回は酷い症状にならず、精神的に落ち込むこともないことが有難いです。 大難が小難で済んだこと、感謝します。
しかしながら病気は浄化(苦)です。 少しずつ善い方向にいっているとはいえ、まだまだです。無理せず、感謝を忘れず、御賜命に仕えること。 私が望むことであり、求めることです。

2023年01月13日
決意
新年明けましておめでとうございます。 2023年が始動しました。
世の社会情勢は、依然コロナ禍・円安による物価高騰・景気後退など様々です。 どういう世の中になっても、私は救世主様に寄り添い、一歩ずつ前に進んでいこうと思います。

2023年、土の時代から風の時代に移動します。 土の時代とは物資至上主義であり、「お金」「物資」「地位」など目に見える形で豊かになることを望む時代。
風の時代は「自由」「平等」「知性」「柔軟性」など目に見えないものの価値が高まり、軽やかに生きていく時代。 今までのやり方、考え方に捉われず、新しい価値観に切替る。 心の時代なんだと思います。
私は新しい年を愉しみにしていました。 風の時代において、新しい自分になりたいと想っています。 また今年も辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあると思います。 それを乗り越える心(想念)、強く逞しい心をもちたい。 だからこそ信(神)仰を愉しみ、心の強さ・豊かさを育みたいと想います。 素直な心で、より善い迪を歩んでいこうと想っています。

感謝の心を忘れず、地道にコツコツと頑張ろう。
2022年12月29日
新年への愉しみ
今年も残りわずかです。 あっという間の1年だったように思います。 苦しいこと、辛いこと、人を傷つけてしまったり、人に傷つけられたり、楽しかったこと、喜びに満ちたこと。 感情がジェットコースターのように、上がり下がりを繰り返しました。 来年は良い年でありたい、平穏でありたいと想います。
私は真っ新な気持ちで、1年を始めようと想っています。 そして自分自身変わること。 変わることって、大変難しいように思います。 私は気楽に考えることにしました。 というのも最近、「感謝」というのは人間に対しての気持ちと思っていました。

12月は頂き物が多いです。有難いことです。 ラ・フランスを頂きました。今までの私ならお裾分けしたり、いつのまにかダメにしたりで、人に感謝しても物に感謝は薄かったように思います。 この時なぜだか、余すことなく美味しく頂こうと思ったのです。 物に感謝する心でした。 感謝は幅広いんだと、人だけでなく物や生き物も含まれることに気づきました。 いろんなことに感謝する心を持つこと。 そして、苦しく辛いことにも感謝出来る心を持つこと。 どんな自分でも、神(救世主様)の絶対愛と絶対力に護られていることに感謝すること。 感謝の心は、素直になれます。 素直な心は、嘘偽りのない誠(真実)です。 感謝の心は、自ずと自らを変えることではないかと思います。
今年良かったこと、悪かったこと、全てをリセットします。 霊の時、霊の月、終わりにして始まり。 新しい年を、心機一転でスタート。 ワクワク、愉しみです。

2022年12月29日
変わること。
久しぶりに朝参会に参加しました。 とてもとても愉しい時間でした。 そして、久しぶりに私の好きな先輩に会いました。 側から見ると、元気で笑顔を絶やさない感じですが、本人的には「浄化(苦難)で、どこそこ痛い。感謝が足りない。主人に感謝と言葉つかいを直そう」とかいうことを言っていました。 義姉に対しても不平不満。 「ちゃんとしよう」と自分を鼓舞する。 不平不満と自分を鼓舞、何度も行ったり来たりを繰り返す。 その姿に、私は「ハッと」しました。 ついこの間までの私の姿でした。
私も人間関係で、同じことを繰り返していたのです。 自分自身にも非があるのに、相手のことが悪いみたいに。 ようやく気づいたことは、人じゃない。己が悪いと。 私は憑き物が落ちたかのように心が軽くなり、変わりたいと思いました。 変わるって難しい、変わるって何だろうと必死に考えました。 もちろん意識改革は必要です。

今日の朝参会で、ためになる話を聞きました。 変わるには「九分九厘は本人の努力、残り一厘は救世主様の力」だと。 どう変わりたいのか、考えました。 今までは、神経が研ぎ澄まされて緊張感があったように思います。 信(神)仰に緊張感は不要だと思うのです。 愉しむこと、リラックスすること。 気持ちに余裕を持つこと。素直になること。 いろいろなことに興味、好奇心をもち、前向きになること。 そして自分なりに、信(神)仰の道を開くこと。 変わることも、課題が多いです。
ゆっくりかもしれませんが、一つ一つ努力していけば自ずと結果がついてくると思います。 私も先輩も今、変わる時、時(うつり変わり)だと思います。 共に変わっていけたらいいなと想います。

2022年12月18日
御守護
久しぶりに友人と会いました。 20年以上付き合いのある大事な友人です。 時々会っては、子供のこと、孫のことなど、近況報告のように楽しく話しこみます。 その友人が「ここ数年、体が弱くなってきた」と話をしました。
60代後半ですが、暑さに弱く、寒さに強い人でした。 どちらかというと元気な方でした。 病気とかしたことのない人でしたが、3年前に病気で入院。 人間だんだんと老いていくと、あちらこちらガタがくるのは仕方がないことだと思います。

「私なんて病気ばかりなんだから、落ち込んじゃダメよ」と。「まず、気持ちが元気でないと暗くなるよ」と話しました。 友人は私に「あなたは体が弱いし、病気がちだけど、いつも土壇場で救われてるよね」「先祖が護ってくれていると思う」などと言われて、一瞬意味を考えました。 言われてみると心当たりがあると思いました。 病気がちだと、病院に行くことは多いかもしれない。 だから、ひどくならず大病というか重症化しないのかなと。

いろいろ病気をしてきたけども、入院・手術は1度もない。 何度も命拾いしてきてるなと自分でも思います。 友人の言うように「護られている」ということだろうと思うのです。 考えてみたら、2回ほど死んでいてもおかしくないことがありました。 でも私は生きている。おそらく生かされているのでしょう。 先祖(祖霊)を救ってほしいという先祖の念願、希望が、今生きている私に課せられた宿題かもしれません。 この先も先祖に護っていただけるように、神の御賜命に、しっかり仕えていこうと想います。 そして、いつか友人に救世主様の話をしたいと想います。