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教団時報
2022年02月20日
月並祭 如月
今月も御神意をいただく月並祭がありました。
※時を視る一に始まり・・神から始まる。二に開(明)かされ・・昼夜の転換 日月地下生 。 昼を司られる神が主形を視せられた。

※節分けの御神業 想念の節分け・仕分け。
①神事〜昼夜の転換・夜から昼へ日月地神世の宣言
御守護信仰 ⇨ 御賜命神仰
厄払い(災いを除く) ⇨ 役祓い(賜命の実践)
②神言〜神は内、福は人 五色の花豆に撒いてひらう。
*五色は五輪・世界平和。救って救われる。 吾もよし他者もよし。
*神は内、福は人・・神力が内に宿って人に福(幸せ) を分けていける。
*神は内、不苦は霊止・・神力が内に宿れば苦に不(あらず) 苦は歓びの種と戴き霊性の向上に繋がる。 浄化は魂の向上。

③神行〜神扉開明
*御神霊様をお迎えになったこと。
*御神体様をお顕しになったこと。
*御神力(洗霊)を授けになったこと。
※訓話より 大祭・神祭から
*予言と預言
予言・・となるであろう。 神に結ぶ私達の想念で戴く。 預言・・こうして実践していきなさい。 幸せのなる仕方を教えるのが救世主教。実践は自分。
*篩(ふるい)・・竹は節をもって立て分けることに通じ、 「師」はその導きを意味する。咎め裁きでなく神赦しの神の愛、神救いの神の力、神の洗霊と言魂に導かれ (時と処と人)に選ばれ救われていくこと。 網の目から落ちることではない。 浄化の神の篩に於いて感謝・素直・真実の想念を残して霊主体従の生き方で(祖霊と共に人と共に)神仰の階段をのぼる。我執着慢心を捨てる。
*魂→云(言魂)がなくなったら→鬼。
*whoだれが言ったではなくwhatなにを言われたかを考える。言魂or言葉?
*因縁の霊化〜人の念い願いは残って霊界へ積まれていく。 良い因縁は子孫へ引継がれ、悪い因縁へ累積されお気付けとして私たちに見せられる。
時を視るは十二あります。来月は三を書き加えていきます。 毎月書き加えていくので何度も読み返すことができます。 大事な部分なので、しっかり理解していきましょう。

2022年02月12日
神律を視る 神律を視って、霊性を高めていく
* 救いは神律の実践
大主神は、神羅万象を ”神の律法” に従っていくようにつくられました。神の律法は、 ”神のみこころ” として、時空間をこえ、神幽現三界のすみずみまで霊的に、そして体的にいきわたっています。 神は、すべての生成と化育に、絶えずみこころをそそがれて、賜命をくださいます。これを ”神の審判” といいます。 神の審判は、咎めることではなく、絶対の愛と力による ”神救い” です。神救いは神の律法であり、救いにお使いすることは ”神理の実践” です。 神の審判である神律をいただくことによって、浄化作用がおこるのです。 浄化作用は、良い方向へと導く ”神の愛と力” によっていただくのです。 神は、神律に従って、苦を力にしてのりこえていくものに、改心の機会を与えられ、浄化をくださって、その向上していく姿を見守っておられるのです。

* 救いは救世賜命
救世主様は、 ”救うものは救われる” と仰せられました。救うことは、救われることなのです。救うものの対象に、救われるものがいるのではありません。救うものと救われるものとは、対照に位置しているのではありません。対象でも、対照でもなく、それは一如一体、表裏の関係にあるのです。 救世主様は、これを ”救うものは救われる同類親和の法則である” と仰せられたのでした。 救いは、同類が親和していく救世賜命です。 救世賜命は、すべての事物と生命が存在していく根源となるのです。

2022年02月11日
神律をを視る。
*神幽現の三界には法則があって、三界の順序を正し、霊体の規律を立て分け、主神のみこころに統一する神の律法がある。これを霊主体従の法則というのである。真善美を具現する絶対的根本の法則が霊主体従の神律である。

*およそ万有は無から生まれて成長するが、時いたれば無となる。これが心理であって、霊主体従の法則という。霊主体従の法則に統一される主体は、自然の縮図といわれる人間の生命でなければならない。
*左進右退のリズムによって切りかえられ、正邪を立て分ける絶対力が出現したのである。神が下生されておこなわれる大神業によって、神の洗霊に正邪は審判され、浄化改善をしていく神律である。

*大自然は、太陽を中心に月と地は運行自転しているごとく、自然の縮図である人間は、霊的な生命と、その賜命に運行自転の化育をされていくのである。これが、主神のみこころに統一する霊主体従による神律である。
2022年01月30日
なでしこ会
なでしこ会で、賜命者養成講座の報告がなされました。
1.今年の御聖誕61周年の神事
・「救世力」、「霊体力」の御神筆(神文字)をいただく。
・御神業最大の神事(祝典)へ必至の参拝。
2.1年は365日、救世主教は369日 特別大祭(開教、御聖誕、節分、春季)が加わる。 369,ミロク、日月地の神世創造へと繋がる。

3.篩(ふるい)は、竹と師の形成文字
竹は立て分ける、師は導いてくださる。立て分けとは、御神業の立て(中枢)をなす言魂と洗霊が分け与えられ師に導かれる。神の篩は、神の言魂と洗霊に導かれて救われていくこと。網の目から落ちることではない。
4.自問、自聞(じもん) 自由自在(自らに由って自らが在る)
5.自分の賜命を誾(ぎん)の心で見る。 おだやかに、静かに見つめなおす。
6.自決自動
自分で決めて、自分で動く。 自分で決めなければ自分で動けない。
7.神仰は螺旋階段であるが、落ちることもある。その時は、五点着地(の浄化)をする。
① 言魂と洗霊をいただくこと。 ② 教会に神結び。 ③救いの風(霊性の向上、因縁解消、神世創造)にのる。 ④救われる御守護に感謝する。 ⑤ 生かされていることを感ずる。
8.今年は、御賜命神仰への切り換えのため為に風を吹かせる。
御神業の風・継承の風・賜命の風・救いの風・向上の風
1+1は2を1+1は10となす。 霊智でみこころをいただいていきましょう。

2022年01月23日
新しき生命をいただこう
*浄化は生きる力が働いている姿
神の言魂と洗霊によって想念は転換され、運命は開けられていきます。神の言魂と洗霊をいただくと、霊主の善い因縁がはぐくまれていくのです。洗霊は、神の力そのものです。言魂は、神のみこころが移るのです。想念は洗霊と言魂をいただく器です。

新しき生命をいただくのは、洗霊と言魂と、そして想念によって育てられる救世主様の神業です。 生命体には”生きる力”が、神から授けられています。授けられている”生きる力”を知らないとき、無視するとき、あるいは、その働きをこばむとき、浄化がおきてきます。浄化は、生きる力が働いている姿であり、その証なのです。
* 新しき生命をいただくのが神仰
生きる力を発揮するには、多くの生命と共に、生かされて生かしあっていく御賜命の歓びを持つことです。 生命にいただいている生きる力を、肯定と歓びをもって信じることです。 このことは、神のみこころにそった感謝と素直による、真実の生き方となるのです。

救世主様は、”想念が人生をきめる”仰せられました。 想念が、人生の幸・不幸をきめるのであれば、生きる力をいただいている自分を信じ、他をも信じていきましょう。そして、おたがいを信じあう想念をもっていきましょう。 生きる力の大元を視って、”新しき生命”をいただくことは、光明と希望と歓びとなる神仰ではありませんか。
2022年01月20日
月並祭
月の御神意をいただくための月並祭。今年最初の月並祭。
令和四年の幕開け〜時満ち(救いの)迪はひらかれる。四(仕)組まれる年回り。神にしっかり結ぶ。仕組まれる年にしましょう。

神仰の原点は「救い」です。救いは、人の救いと神の救い(愛と力の神の審判)があります。咎め、裁きではなく、改心を願い正道にお導いてくださる神の愛と力の救いの審判を賜りましょう。
救いは、神幽現三界に働き、私達を幸せの迪へと誘なってくださいます。自分が救いに動けば、祖霊も共に動く。同類親和(霊線の繋がり)の神律が働く。共に審判を賜り、共に救われていくのです。
1月の御聖言。霊体力の神柱は三つあります。元柱ー御聖言。1番大事で救世主様の教えの元。主柱ー言魂・法話。支柱ー主柱を支える柱。救世主教の誕生によって顕現される神の洗霊こそ絶対の力である。

言魂をいただいて想念を変えていく。人間生命の本質とは生命体というものが霊胎力に七五三に化育されて知(知識・霊智)、情(感情・五情)、意(意見・力)、となって成長する。
今年の御神意は感謝。感謝があれば何でも乗り越えられる。感謝は全ての入り口。感謝がなければ相手を突く、人のせいにする。感謝の想念を。今日も色々学びました。みんなと楽しく和やかに、有意義な時間でした。寒い日でしたが、気持ちは温かくなりました。また来月も頑張りましょう。

2022年01月14日
一日(ついたち)会
一日(ついたち)会が行われました。まづ、一(神)に結ぶことから始めようという一日(ついたち)会です。
この一ヶ月、救世主様に結び、月のみこころを戴き、御賜命の誓いをさせて戴きます。みんなで御讃歌を詠います。

5・7・5・7・7の俳句の歌に御神意が凝縮されて
想念(心)に染みます。
自分の想念に響く句を一人ずつ詠います。声を出すことが大事なんです。
研鑽会では、人成は慶びでの冊子”九十九(功徳)救いの神仰人成”の拝読から入りました。
くち(口)も濁れば ぐち(愚痴)
さい(才)も濁れば ざい(罪)
かい(快)も濁れば がい(害)
とく(徳)も濁れば どく(毒)
いし(意思)も濁れば いじ(意地)
の濁り邪な想念、他人の悪口や汚い言葉使い、他人の裏の裏をかく。全ては「想念のくもり」「想念のにごり」。にごりを取りましょう。浄想念。九十九(功徳)の想念に変えましょう。

みんなで集い、学び、楽しい時間を過ごしました。これからも共に学び、共に頑張りましょう。

2021年12月20日
新しき生命をいただこう。
*生の目的と賜命と、その力
救世主様は、”新しき生命”をご開明になりました。人は、神から生を与えられ、命をいただいてます。生と命は、神の愛と力によって生成されていきます。それを体に移して産み育てるのが、わたしたちです。
人の生命は、霊界に生まれて限界で育てられ、いただいた御賜命を果たし、そしてまた、霊界へと徃っていきます。
神は私たちに新しき生命をお赦しになるのです。
新しき生命をいただくには、”生の目的と、その力をもつこと”です。
救世主様は、救世の御新神業でいただく生命力を”新しき生命”と仰せられたのです。

*言魂と洗霊でいただく生命力
救世主様は、”生の目的と賜命とその力を実現するには、まず神を視ること”と仰せられました。さらに”神の言魂と洗霊によって、生命力が与えられる。言魂と洗霊によって、日に新たな生活力をいただくのであるから、その実践を怠ってはならない”と仰せられました。
神の言魂と洗霊によって、人の霊と体のくもりは、浄化していきます。体主の因縁は解消をされて、新しき生命とその力が赦されていきます。
わたしたちは、救世主様のお言魂をいただいて、”不幸な運命は免れない因縁”だ、と思い込み苦しむのは、誤りであることを視りました。

次回へ
2021年12月02日
「自己を生かす」眠っている天分を伸ばし完全燃焼を
前回よりの続きです。
「促しの部分」を見てみましょう。
1.自己を生かすためにはまず、他人を生かすことがたいせつである。
今人類は互いに足の引っ張り合いをしているように思えます。人を恨んだり、人を不幸におとし入れたりするなかに、悪い因縁を互いがつんでいくようでしかたがありません。そのような人々にちからをかしてくれるはずがないのです。神様がそのような人々に力を貸してくれるはずがないのです。みこころに適わないことなのですから当然です。救うものは救われるの実践によれば、神のみこころに適い自然に素晴らしい社会が誕生するに違いないのです。それが、「相乗効果」となるのです。

2.立場を生かして自己を生かすことと、愛情や親しみや慈しみをもって生かすことが大切である。
神仰の上においても、家庭にあっても、会社やその他の組織においても、それぞれが立場をもって、自己を生かそうとします。親は親として、子は子として自己を十分に生かすことが大切で、それが賜命というものでしょう。しかし、その立場を離れても、決して自己を生かせないというのではありません。たとえば、立場がなくても地位がなくても、自己を生かすことはできます。先に述べた相手を生かそうという想念さえあれば、愛情や慈しみの想念が生まれるのです。

3.努力の過程では、よく自己を省みることが大切である。
自己を生かしているかどうかはなかなか分からないものです。自分では、生かしているようでも十分でないときもたくさんあります。自己を生かすのに障害になるのが「慢心」ではないかと思います。また、大切なことは、自分なりの努力ではだめということです。もっと大きな世界に目覚めていく事が大切です。この神仰による自己を生かすことは正に、神様が相手ですから偉大なみこころと力をいただくだけではなく、これでよいということはありませんから、一生を通じて自己の向上が神様から望まれるのです。神仰は自己を生かすためには最高の道場です。

2021年11月13日
「自己を生かす」 眠っている天分を伸ばし、完全燃焼を
前回、少し書きましたが、続きとして
今は、一部の人にしかない能力であっても、もっと多くの人に獲得できる可能性は十分にあります。このような「天分」があるにも関わらず、どうしてそれらが発揮できないのでしょうか。その一つは、想念の在り方に問題があるのです。できないと思っていたり、その努力を怠ったり、「苦」と考えることが多く、想念の転換ができないのです。この天分については、生まれつきの才能といえば、個人差があると考えるのが一般的ですが、神仰上から言えば、その差は本当にはないのであって、どう発揮されるかその努力によると考えます。

但し、今の世に生きている人間においては全ての点において「天分」を発揮するには相当の努力が必要です。それだけの「器」にまで成長していないのです。その器を目指すことが、人間性の完成なのです。神性人間は「天分」を生かしきることのできる人間なのです。しかし、人間性の完成はなかなかできるわけではありません。では、人間としての本当の成長ががなければ「天分」を生かせないのかというとそうではありません。本当にその一部分であっても、生かそうと努力すれば、その生かした天分をもとに、人間完成に近付くことができるのです。その努力の過程に生まれるのが「個性」なのです。人間としての性格にしても、スポーツの分野においても、勉強の分野でも本当に天分を伸ばせばその成果は偉大です。
以上が初めての「神仰上の断定」の部分の概要です。次回は、促しの部分について見てみましょう。
