救世主教の投稿

救世主教 TOP> 行事 >コロナ渦3年目に想う。

コロナ渦3年目に想う。

2022年05月22日

コロナ渦3年目に想う。

世界を襲ったコロナ禍も三年目、当初は得体の知れない恐ろしい病気でしたが、ワクチン接種も進み、だいぶ付き合い方に慣れてきた感じがします。今年のGWはコロナ発生後、初めて色々な規制が緩和され、関東地方では高速道路は大渋滞、観光地はどこも混雑して賑わっていたようです。

さて、コロナ禍で私のサラリーマン生活も大きく変わりました。コロナの影響で仕事を失った方も多くいらっしゃる中、仕事を継続できることにまず感謝をしなければならないのですが、最大の変化は「在宅勤務」の定着でした。私の場合、通勤時間が往復で2時間半かかります。コロナ前は毎日、早朝から満員電車に揺られて通勤していましたが、コロナ禍で「在宅勤務」が本格的に導入され、この長時間の満員電車通勤と慢性的な寝不足状態のストレスから開放されたのです。40年近いサラリーマン生活で初めての経験で、まさか自宅で朝ドラを見られる日が来るとは思っていませんでした。

「在宅勤務」で本当に仕事が出来るのか、当初は疑問の声もありましたが、PCを使ったWeb会議の導入等により、意外と効率的に仕事が出来ることがわかりました。もちろんお客さんと重要な商談をしたり、契約書にハンコを押したり、新入社員を手取り足取り指導したりと、在宅勤務では難しい仕事もありますが、少なくとも事務的な仕事や社内会議の多くは在宅勤務でも対応できることが分かりました。

他方、緊急事態宣言で在宅勤務が長期化した後、久しぶりに会社に行って感じたことは「コミュニケーションの大切さ」でした。コロナ前は顔を合わせることが当たり前で、時には同僚とコミュニケーションを取ることが面倒に感じるような時もありましたが、在宅勤務中心の生活になってしまうと、どうしても会話する機会が減ってしまいます。仕事は一人でできるものもありますが、基本は「協働作業」です。Webでも対応できる部分は多いと思いますが、真に心の通った人間関係を構築する上では、直接コミュニケーションを取ることが大切なのだと改めて感じました。

Webを駆使した在宅勤務は、通勤ストレスの開放、遠隔地同士でも仕事ができる等、便利で効率的な点が多く、導入する価値は高いと思いますが、在宅勤務のみに頼るのでなく、出社して直接コミュニケーションを取ることとバランス良く組み合わせていくことが大切なのではないかと感じています。

コロナ禍で神仰活動も大きな影響を受けました。ソーシャル・ディスタンス等、様々な制約の中で、変わらない(変えてはいけない)絶対的に普遍的なものがある一方、ひょっとすると変えることを考えても良いことがあるかもしれません。また、その変化は結果的に失敗に終わるかもしれませんが、失敗によって大事なことが見えてくるかもしれません。

コロナ禍という前代未聞の時代変化の中、神仰においても大切なものは守りながら、でも変わること、変えていくことを恐れるのでなく、変化に挑戦していく気持ちが大切なのかもしれないと漠然と感じている今日この頃です。