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時と力を視る  時は言魂で、力は洗霊で視る

2022年03月28日

時と力を視る  時は言魂で、力は洗霊で視る

* 言魂に時を、洗霊に力を視る想念。

人は小宇宙、その生命は自然の縮図、といわれています。 自然の縮図である人の生命は、生きとし生けるすべてと共に、神のみこことのまえに生成され、そして化育されていきます。 わたしたちが、みこころのままに成ることで、救世主様の御想念である日月地の神世が実現するのです。救世主様は御昇天に際して、日月地の神世誕生を御宣言なさいました。そして、日月地の神世に導く力を授けられていることを、お明かしになられました。それが、想念であり言魂であり、そして洗霊です。ここに救世主教の神仰は、言魂と洗霊の御神業であり、想念と言魂の御神業である、といわれる理由があります。

* 時の力により御経綸は進められる。

救世主様は、”本霊の誕生が赦されて本命を賜れば、神に結ばれて自動操作がはじまる”と仰せられました。 神に結ばれての自動操作こそ、わたしたちがいただく「 救世賜命 」です。時の力により進められる御経綸・救世賜命にお使いできることは、即座に霊界の祖霊に通じます。 救世の御用が赦される感激と歓びは、祖霊と子孫一如の想念となるのです。想念の歓びは、わたしたちの生きる力となるのです。 時の御経綸にお使いして、神の愛と力を姿に、形に、そして結果にあらわしていくところに、わたしたちの御賜命があります。時によってみせられ、視らされることは、神の審判です。それは、神のみこころであって、神の救いです。

* 神は共に在りまた楽し

救世主教では、” 神仰する ” ことを強調します。これは、救世主様の ” いっさいは神と共に在り。神と共にの真実でなかったら、これは神仰にならない ”というお言魂によるものです。 そして、、” 吾、神と共に在り又楽し、神を仰ぎてみこころのままに仕えん ”の想念でいただく生命力を、” 新しき生命 ”と仰せられたのです。救世主様は、

” 今日一日の賜命をいただくこと ”

” 今日一日の生命をいただくこと ”

” 今日一日の大事を忘れないこと ”  と仰せられました。

* 今日一日の結構

救世主様は、” 今日一日をおろそかにして、明日の力は生まれる由もない ”

” 新しき生命をいただくには、まず、一日の命を求めること ”

” 今日一日の結構に、感謝の想念でおくらせていただくこと ” と仰せられました。 今日一日の結構とは、一日の時にお赦しいただいた生命、新しき生命力に喜びと希望と光明をもって御賜命にお使いする姿をいいます。 今日一日の御賜命、今日一日の生命が、今日一日の結構であり、それが明日への力になりことを、わたしたちは視ることができました。

” 今日一日の生命力を求めること、ますそれが第一である。 ”  これは、救世主様の御聖言です。