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神仰体験記 ~神仰があることに感謝して~

2014年08月04日

神仰体験記 ~神仰があることに感謝して~

私は、神仰二世です。母は、弟の癇癪の発作がきっかけで入信をゆるされたと聞いております。当時、私もまだ中学生だったと思います。母と弟と三人で地区本部、教会へと参拝が赦されていました。そのときはなにも分からず、ただ母と共に御神前で額ずいていました。

 私は高校卒業後、仕事で横浜にいっていましたので、教会参拝は正月やお盆に帰省したときだけでした。その間、弟にはいろいろな浄化を視せられ、母は必死の思いで教会や地区の参拝、大祭、神祭には弟を連れて参拝して、因縁解消へ、御賜命へと努力していたようです。そんなとき、私は父の「そろそろ家へ帰ってこんね」の一言で十二年間勤めた会社を辞めて、実家に帰ってきました。それからすぐに縁あって、夫と結婚しました。少しではありますが、夫も神仰のことを理解してくれ、日々、努力してくれています。
 しばらくして父が脳梗塞の浄化をいただき、その二年後、平成六年に弟に父と同じ脳梗塞の浄化をいただきました。母は二人の世話をしながら、大祭、神祭へ、因縁解消がゆるされますようにと参拝していました。その父も平成十二、胃潰瘍、肺炎の浄化をいただき霊界へと徃っていきました。

 私も結婚してから、少しずつ救世主教の教えが分かりはじめて、祖霊からの因縁がたくさんあり、現界にて解消しなければといただきました。教会参拝がゆるされるようになって、三大目標である、霊性の向上、因縁の解消、日月地の神世創造の意味も分かりかけてきたころ、今後は母が、父や弟と同じ脳梗塞の浄化をいただき、霊界へと徃っていきました。

 母の帰幽により、私は想念の浄化をいただきました。(なぜ救世主様は、こんなに一生懸命の母を救ってくださらなかったのか)と思う日が続いて、なぜ同じ因縁を視せられるのか、「救うものは救われる」の意味すら分からなくなり、自問自答する日々でした。

 そんなとき、上司からの言葉で「本当はもっと短い命だったかもしれない。こうして80歳まで生かされいきてこられたのも、救世主様に御守護いただいて、御賜命を果たし終えて、天命を全うし霊界へと旅立ったのだ」と思うことに、想念の転換がゆるされました。もし入信をゆるされていなかったら、救世主様との出会いがなかったら、これまでの数々の御守護もなかったのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。・・・・