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生きていることの有り難さ   最終回

2024年07月13日

生きていることの有り難さ   最終回

喜怒哀楽の感情が分からなかったというと、私に 「 まさか 」といかぶる人もいますが、本当にそうだったのです。 救世主様のあふれんばかりの愛をいただき、浄化をゆるされて、自分自身に大きく目覚めることができました。 救世主教は、因縁解消の御神業である事をひしひしと感じます。 母は59歳で帰幽し今、私は母が生きていた年を少し過ぎ、母が生きたくても生きられなかった日々を元気に過ごしています。 これも救世主様にいただいた生命です。

一日一日を大事にして、賜命を果たしながら、生きられなかった母の分まで生き抜いて仕合わせになりたいと思います。 長男も教会の青年委員長を務めるようになり、青年夕拝に力を入れています。 大祭の献饌準備の手伝いもさせていただき、親として嬉しいかぎりです。 布教は、世の中の人と共に仕合せになるためにあるのです。 ウオタアの救いを目指し、神徒さんと共に、祖霊と共にお使いしていきます。