2024年01月23日
救世主様の神護りがあればこそ その3
幽世大神様をお迎えしてからは、『 御聖言 』やそれまでの『 救世 』を真剣に読み、パンフレット配布にもお使いしました。 夫の実家を救い、店のお客様、子どもの学校の父母さんなど、お救いに励みました。 どんなに夜遅くても、必ず朝夕善言讃詞を唱え、お預かりしている神徒さんと共に一日の無事をお祈りし、交換洗霊の実践を欠かさないようにしました。すると店も繁盛し始め、全てが思うようになり、大きな御守護をいただきました。今では、夫の実家に幽世大神様の奉斎がゆるされ、毎月欠かさず先祖祭を続けています。
店を始めて半年が経ったころ、北部地区の大祭参拝を半年間続け、私たちにみこころと神力とう大きな力を賜わることができました。 このころ、東京にあった分教会を紹介され、朝参会を実践するようになりました。日々こうして救世主様にお育ていただき、神仰家庭をゆるされていますことを大変嬉しく思っています。 しかし、ここまで順調に来たわけではありません。 夫は気が短く、私も我が強くぶつかることも度々で、病・貧・争の浄化が絶えませんでした。 ある日、我慢できなくなって、九州に帰って神仰をする決心をして、二人の子どもを連れ、幽世大神様とお位牌を持って家を出ました。東京駅に向かいましたが、電車のトラブルがあり、他の電車で東京駅へ行くようにとアナウンスがありました。 ところが、乗った電車の行き先が千葉で、私はこの電車でどう東京駅へ行くか行き方が分からず、そのまま夫の実家がある千葉の木更津に行くことにしました。