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いろんなお話
2022年06月06日
6月のみこころ
救世主様は、素直は(人と)『 比べるもの 』ではない。内面に宿して霊智をいただくと仰せられています。 素直とは、いつでも、どんなものでも受け入れる大きな器であり、正直であり、真っ直ぐであるということです。
素直になると、毎日の生活の中でのこだわりがなくなり、おおらかな想念になることができます。 素直がたくさん入っている想念で神の心をうつしていきましょう。
素直な心とは、~ 自らの至らなさを認めて、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。 人の意見をよく聞き大きな耳 自分自身を見つめる 真摯な目 それらの身に備えて絶えず働かせることです。
鹿児島教会 掲示板より
2022年05月29日
和して同ぜず。
最近嫌なことがありました。 人の悪口、陰口、いじめ。うんざりします。 大の大人が大人をいじめる。 いろいろな社会、学校、職場、地域、信(神)仰をしている人でさえ普通にあることだと思います。 心(想念)が曇っています。
「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・いやみ・ひがみ・やっかみ」以上の七味を持ってはいけません。 睦・・どんな社会でも睦むことが出来るといいと思います。 しかし、上っ面だけで仲し。人間関係の構築は想像以上に大変。
「理解力」「共感力」「伝える力」「寛容力」難しいことです。 嫌な想いをすると自分自身も「怒る」「許せない」などと嫌な人間になる。そんな時は「なんだ、私も一緒じゃん」と反省。
心(想念)と霊性が低くなってしまうことに気づきます。 友人に「なぜ人間関係が悪くなることがあるんだろうか」と聞かれました。悪い人に縁すればストレスが溜まりいざこざがある。 良い人に縁するとストレスが溜まるどころか良い意味でプラスと答えました。良い人に縁出来る自分でありたいと思います。
「和して同ぜず」・・誰とでも協調するが、道理にはずれたことには同調しない。主体性を持って人と付き合う。 そういうことが大事なのかなと考えます。 そしてお互いを尊重、お互いを認め合う。 そういう社会なら生きやすいと思うし、共有できる社会ならば嫌な想いをする人が減るのに、とも思います。 こんな時に私は神(信)仰をしていて良かったと思うのです。 以前はグダグダ悩んでいました。 今は気持ちの転換が早いです。 反省・改心・想念の転換です。 神仰は あらゆる面で私の心のバロメーターです。
救世主様 ありがとうございます。
2022年05月22日
コロナ渦3年目に想う。
世界を襲ったコロナ禍も三年目、当初は得体の知れない恐ろしい病気でしたが、ワクチン接種も進み、だいぶ付き合い方に慣れてきた感じがします。今年のGWはコロナ発生後、初めて色々な規制が緩和され、関東地方では高速道路は大渋滞、観光地はどこも混雑して賑わっていたようです。
さて、コロナ禍で私のサラリーマン生活も大きく変わりました。コロナの影響で仕事を失った方も多くいらっしゃる中、仕事を継続できることにまず感謝をしなければならないのですが、最大の変化は「在宅勤務」の定着でした。私の場合、通勤時間が往復で2時間半かかります。コロナ前は毎日、早朝から満員電車に揺られて通勤していましたが、コロナ禍で「在宅勤務」が本格的に導入され、この長時間の満員電車通勤と慢性的な寝不足状態のストレスから開放されたのです。40年近いサラリーマン生活で初めての経験で、まさか自宅で朝ドラを見られる日が来るとは思っていませんでした。
「在宅勤務」で本当に仕事が出来るのか、当初は疑問の声もありましたが、PCを使ったWeb会議の導入等により、意外と効率的に仕事が出来ることがわかりました。もちろんお客さんと重要な商談をしたり、契約書にハンコを押したり、新入社員を手取り足取り指導したりと、在宅勤務では難しい仕事もありますが、少なくとも事務的な仕事や社内会議の多くは在宅勤務でも対応できることが分かりました。
他方、緊急事態宣言で在宅勤務が長期化した後、久しぶりに会社に行って感じたことは「コミュニケーションの大切さ」でした。コロナ前は顔を合わせることが当たり前で、時には同僚とコミュニケーションを取ることが面倒に感じるような時もありましたが、在宅勤務中心の生活になってしまうと、どうしても会話する機会が減ってしまいます。仕事は一人でできるものもありますが、基本は「協働作業」です。Webでも対応できる部分は多いと思いますが、真に心の通った人間関係を構築する上では、直接コミュニケーションを取ることが大切なのだと改めて感じました。
Webを駆使した在宅勤務は、通勤ストレスの開放、遠隔地同士でも仕事ができる等、便利で効率的な点が多く、導入する価値は高いと思いますが、在宅勤務のみに頼るのでなく、出社して直接コミュニケーションを取ることとバランス良く組み合わせていくことが大切なのではないかと感じています。
コロナ禍で神仰活動も大きな影響を受けました。ソーシャル・ディスタンス等、様々な制約の中で、変わらない(変えてはいけない)絶対的に普遍的なものがある一方、ひょっとすると変えることを考えても良いことがあるかもしれません。また、その変化は結果的に失敗に終わるかもしれませんが、失敗によって大事なことが見えてくるかもしれません。
コロナ禍という前代未聞の時代変化の中、神仰においても大切なものは守りながら、でも変わること、変えていくことを恐れるのでなく、変化に挑戦していく気持ちが大切なのかもしれないと漠然と感じている今日この頃です。
2022年05月19日
私を救ってくれた先輩
私の大好きな先輩が先月末から体調を崩しています。 今も療養中ですが、あまり良い状態ではないようです。 体調が悪いと心も元気じゃなくなります。 つい3週間前までは元気に見えましたが空元気だったのかもしれないです。 私は先輩に何度も救われてきました。 私は膵臓がん=死という恐怖を抱えていました。 自分一人で抱えていたので普通に普通にしていました。 私がそんな恐怖を抱えているなんて誰も思わないです。 だからこそ彼女の笑顔、笑い声は恐怖を和らげてくれました。笑い声を「うるさい」と言う人もいるようですが私は愉しかったのです。
私を救ってくれたのに、私は何も出来ません。 本当に申し訳ないけれど無力なのです。ごめんなさいとしか言えません。 病気の痛みはわかりません。 でも不安、苦しみ、悲しみ、恐怖は誰よりもわかります。 神(救世主)様は乗り越えられる苦しか与えないと思います。 そう信じたいです。 体が治ることもですが、心(想念)が元気になってほしいと切に願うばかりです。
毎日お祈りします。
2022年04月16日
ちいさな愉しみ
随分暖かくなってきました。先月下旬に玉ねぎを収穫。そして春じゃがいもの植え付け。
昨年は春も秋も失敗に終わりました。 今回、種芋を50個植え付け40個芽が出てきました。今回は気合いを入れて毎日観察しています。 毎日の愉しみであり、喜びです。 ちっちゃなことですが心が豊かになります。 毎日を心豊かに笑顔で過ごしたいと思っています。もちろん人間ですから嫌なこと、辛いこともあります。 気しないように、心をとらわれないように、しています。
こだわらない。とらわれない。「全ては心(想念)次第、行き着くところは心(想念)」と学んでいます。 心の持ち方次第で、いかようにも変われるのです。 新緑を眺め美しいと感じること。じゃがいもの成長を毎日喜んでいること。虫の声が聞こえてきて、いよいよ夏が近づいていることを実感すること。そんな小さなことが「愉しい」とを感じます。
6月にじゃがいもの収穫です。2度あることは3度あるで、失敗なのか。 3度目の正直で収穫できるのか。 6月が愉しみで待ち遠しいです。
2022年04月05日
さくら
先日の大雨にも関わらず桜が満開です。散ってしまった木もありますが、今が見頃です。白、薄桃の花びらがキレイです。
以前、京都の仁和寺に行ったことがあります。犬(チワワ)を飼っているので、ペット御守りを見るために行きました。時季的に桜が満開で、とってもキレイで言葉がみつかりませんでした。たまたまの仁和寺で美しい桜を眺めることができて良かったことを覚えてます。
「御室桜」と呼ばれる桜の林があります。とってもとっても美しく圧倒的に感動しました。美しいものを見ると目に焼きついています。そして記憶にも残ります。今でも桜を見ると思い出します。
日本人は桜が好きです。お花見も好きです。お花見に欠かせない三色団子、串団子。この三色というのは季節を表しています。白は「冬の淡い雪」、ピンクは「春のほのかな桜」、緑は「初夏が清々しい新緑」。尚更、美味しくいただけますね。今だけの桜、堪能しましょう。
さて、お祭りでは、玉串奉奠をさせて戴きます。玉串のタマは魂のことで、神のみたまと自分の魂とをつなぐ串という意味です。衣・食・住の恵みに対し、感謝して神様にたてまつる目的があるのです。
2022年03月24日
仰げば尊し
3月は卒業シーズン。高校・中学校・小学校・大学と卒業式があります。息子が大学を卒業して8年。先日久しぶりに「仰げば尊し」を耳にしました。懐かしささえ感じました。
自分も卒業式の度に歌ってきましたが、若すぎて意味がわからなかったように思います。久しぶりに耳にして、ようやく理解できたかなと。平成になってからは「仰げば尊し」は敬遠されているそうです。歌詞が古文調で小学生や中学生が理解しにくいからのようです。
元々は1871年アメリカで出版された曲集の中の「Song for the Close of School」という曲だそうです。原曲は友達との別れが主題。日本語は当時の社会を反映してか教師と生徒の別れに作り替えられています。「仰げば尊し」歳を重ねた今、いい歌だなと思えます。
今時の卒業ソングは森山直太朗「さくら」レミオロメン「3月9日」などだそうです。出会いと別れを繰り返して大人になっていきます。身体も大きくなり、心も優しく、そして強くなっていくのでしょう。 4月は出会い、良い出会いが楽しみですね。
そして、4月は活動年度の始まり、1年間を反省して、次年度計画を立て共に救世の迪へ進んでいきましょう。
2022年03月17日
春のお花
昨日車中から外を眺めていると、お花がたくさん咲いていて驚きました。つい2週間前くらいまでは寒かったのですが、今は春らしくなってきました。日中は暖かいというより暑いような感じです。お花が一斉に咲きほこるはずです。
スイセン・ラナンキュラス・木蓮・そしてポピーまで咲いていました。とてもきれいでした。先月末には百合の花をいただきました。花の蕾が4つ、2週間ほどかけて全部咲きました。甘く強い香りを部屋中に放っていました。お花は心を癒してくれます。心を豊かにします。家の中に花や植物を飾ると、自然が持つ良いエネルギーを取り込めるという考え方があります。
また「邪気」を吸い取る効果があるとされます。日常生活にお花を飾ると運気が上がるとも。いずれにせよ、お花はいいですね。きれいなお花を飾るようにします。
3月の救世主教の花は、桃の花。桃の御供物をいただきました。ありがとうございます。
2022年03月17日
春のお彼岸
もうすぐ春のお彼岸です。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるとおり、お彼岸は年に2回あります。春分の日、秋分の日のそれぞれを中日とし、その前後3日間を合わせた7日間がお彼岸です。春のお彼岸は18日です。中日が21日、彼岸明けが24日になります。
お彼岸は「ご先祖様への感謝を込めて供養をします。そして仏教の教えに従い精進すべき時期」とされています。本来は悟りの世界へ達するために「六波羅蜜」という
修行を、お仏壇のお世話を通じて実践できます。
①布施(ふせ)・・施しをすること。水をお供えする。
②持戒(じかい)・規律を守る。お線香を焚くこと。
③忍辱(にんにく)・正しい心を持つ。花を供える。
④精進(しょうじん)・たゆまず努力する。塗香を身に着けること。
⑤禅定(ぜんじょう)・平静な心を持つ。ご飯を供える。
⑥智慧(ちえ)・・智慧を磨き働かせること。ロウソクに火を灯す。
日頃の生活の中で出来ることですが、毎日しっかり実践することは難しいかなと思います。
だからこそお彼岸の時は「六波羅蜜」の実践をしたいものです。仏教とか宗教に関係なく良いことは真似したいものです。お彼岸は、いつも以上に丁寧に感謝を込めてご先祖供養をしようと思います。
2022年03月12日
桃始笑 (ももはじめてさく)
5日から19日頃までは啓蟄(けいちつ)。大地も暖まり、春の陽気に誘われて冬ごもりしていた虫たちが動き始めます。虫だけでなく蕨やぜんまいなど土から顔を出します。
「啓」は、ひらく。「蟄」は、土の中で冬ごもりをしている虫という意味です。桃始笑は10日から14日頃をいいます。蕾がほころび桃の花が咲き始める頃。
昔は花が咲くことを「笑う」と表現しました。桃は弥生時代には日本に伝わっていました。古来中国では邪気を祓う神聖な木でした。伊邪那岐命が、黄泉の国の伊邪那美命を訪ねて、黄泉醜女(ヨモツシコメ)に襲われた時桃の実を投げて追い払ったとあります。
桃は神聖なもので、歴史が古い果物です。食べる時期はまだ先ですが、頭の片隅に置いておこうと思います。今からは春の山菜や野菜ですね。独特の苦味があったりします。
「春の皿には苦味を盛れ」という言葉があります。この苦味が冬の間に体に溜まった老廃物を流し出します。積極的?とは言いませんが、少しは苦味を食して体の中を綺麗にしましょう。旬の食材は体にいいですから。
桃の節句について、日本民族の伝統を表現する神代の原始時代に於ける信仰の行事が百々の節句で生命誕生の神事を雛人形に型取って芸術化したもの。 その神秘性は、神ムスヒの喜びと誕生の恩恵に感謝する人間性が信仰的雛祭の行事。
感謝と素直に依って、神の愛と力は戴ける。