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いろんなお話

2022年10月03日

生きていることが有難い

今月、台風14号が鹿児島に上陸しました。 超大型台風でした。 「これは来るな」と思って、片付けをしたり、買い出ししたり。 最悪を想定して準備しました。 この頃から体調が悪くて、毎日しんどいです。 動きすぎたかなとか、雨で濡れたせいかなとか思ってました。 そのうち暑いのに寒気がしたり、涼しいのに暑かったりと、「私、大丈夫?」と思うほどでした。

高血圧のせいで、顔だけ熱ぽっかったり、体がふらついたり、吐き気したりと散々です。 4年前にも同じ症状がありました。 高血圧だったので、血圧を下げる薬を飲みました。 薬が合わず何度か替えてもらいました。 どれも合わなくて、終いには心臓に負担がきたのか、急性心筋梗塞の検査まで必要になりました。 幸いにも大病でなかったので、安心した記憶があります。 今も高血圧だけの薬は服用してません。 怖くて飲みたくないです。狭心症の薬に血圧を下げる効果があります。 今はそれだけです。

季節の変わり目が影響していたり、ストレスだったり、睡眠不足と気をつけなければと思ってます。特に私に必要なのは良質な睡眠。 とは言え、今朝は3時半くらいから起きてます。 ワンコの体調が悪くて。人も犬も体調不良。 お昼に体を休めようと思っています。

生きているからこそ、辛い、苦しい」があります。「死んでしまっていたら、何にもない」 「生きていることが有難い」と思えば、辛いことにも感謝です。 出来るだけ体を休ませて、ゆっくりしたいと思っています。


2022年10月03日

仕事と家族 4

息子との生活は楽しいものでした。 よく話す子なので退屈はしませんでした。 1学期が終わり翌日は朝1の飛行機で大阪へ。 私と息子の長い夏休みです。 私が行くと、娘は家事から解放。主人は普段会えない息子と会えて喜んでいるよう。 ばらばらな家族が、久しぶりに食卓を囲んで賑やかに。

娘は大学生活に慣れて、友達ができるようになってました。 若いからか関西弁を普通に話すのに驚きでした。 順応が早いんだなと感心しました。 主人は相変わらず鹿児島弁。 でも気をつかって鹿児島弁を、ゆっくり話すようにしてました。 大阪の人からすると鹿児島弁は早口で、何を言っているか理解出来ないようです。 確かに早口かもしれないなと思いました。 逆に鹿児島の人からすると、大阪弁も早口で怒ったような口調に聞こえます。

主人が「耳がおかしくなる、関西弁が慣れない」と言っていました。 お仕事の休みの日は、奈良に行ったり京都へ行ったりと、退屈をすることはありませんでした。 いつも楽しかったです。 鹿児島に帰る時は、毎回寂しいでした。 伊丹空港から鹿児島空港に着くと、余計に寂しく。  また家族ばらばら。 こんな生活が息子が高校3年になるまで続きました。

 

 

 


2022年09月18日

感謝の心 (想念)

最近の私は、心(想念)が晴れやかで絶好調です。 心が軽くなっているような感覚すらします。  でも人間は良いことばかりではないです。 苦しいこと、喜怒哀楽があります。 今は晴れやかな心でも、そのうち苦しい嫌なことがあるんだろうと思っていました。

逆に今の状況が、おかしいと言うか不思議でもあります。 「心が晴れやか」考えました。 私の原点を思い出しました。 「生きる」「生かされている」ことです。 私は30年前に誤診されたことがあります。 医師の診断で出された薬を、「ずっと服用していたら死んでいたでしょう」 別の病院の医師に言われました。私は今までの人生に何度か死にかけています。

医師に「このままだと死にますよ」とか「あなたは死にたいんですか」など言われたことがあります。 「生」と「死」の境目に数回いました。 そんなことを思い出していたら、私の「心が晴れやか」は生きていることへの、有難い恵なんだろうと想います。 今も膵臓と心臓に爆弾を抱えてます。 今までに何度となく「病貧争」、特に「病」で苦しみました。

私の場合、生きていることが当たり前で普通ではないです。 「生かされて生きている」と喜怒哀楽の感情すら有難くなります。 そして小さなことに「くよくよしてはいけない」と、気づかせてもらったのです。 きっと「心が晴れやか」なのは、今の私だと、生きて生かされていることに感謝、喜怒哀楽にも感謝。 生きることは「感謝」の連続なんだなと改めて想いました。


2022年09月13日

幸せ

信(神)仰をすることが愉しいです。 人と接することが愉しいです。 毎日のように幸せを実感しています。 もちろん今までも小さな幸せはありました。

今回のようにコロナになって「周りの人達に感謝、只々感謝」ということはなかったと思います。そして今日も嬉しい日でした。 先月は心臓の病院に行くことになっていましたが、コロナだったので今日になりました。 コロナ前後に心臓に違和感、バクバクするような、軽い痛みのようなのが気になっていました。 ちょうど薬もなく行かなければいけなかったのです。 心臓は特に異常がなく心配することはありませんでした。 ほっとしました。

嬉しいこと、愉しいことに「有難う、有難い」という感謝があれば連鎖するんだと思いました。 嫌なことも不思議とポジティブに考えられる。 「有難う、有難い」の気持ちは私を幸せにしてくれるのです。 そのうえ「頑張ろう」と強い気持ちになれます。 今の私は怖いもの知らずで無敵かなと思います。

 


救世主教について想う  その1

【『信徒の手引き』より(原文)】

吾等は、この大宇宙の創造主たる大主神が、全人類の希求する真1.教義(救世主教の根本理念)

  • の理想社会をこの地上に樹立すべく、太初より大経綸を行わせ給いつつあることを信ずる。
  • この大経綸には、大主神は神々を使い給い、神々の代行者として人間をも使い給わるものと信ずるものである。
  • 一切万有は人類の平和と発展のために造られたものであり、現今に至る人類史はこれによって人類が理想社会を造る為に、大主神の為し給える準備過程として経験して来たものに外ならないと信ずる。従って大主神は、その時代時代において必要な人間と必要な宗教を顕し給い、それぞれの使命を遂行させ給うたのである。
  • 現今のこの地上社会の様相は混沌として止まる処を知らず、この時に際し、大主神はその絶対力を我が教祖に降し給い、全人類救済の大業を成さしめ給う事を信じ、人類の災厄・病・貧・争を根絶し、健・富・和のもと、完き恒久平和の理想社会、日月地の神世の創造に寄与することを目標として精進、邁進するものである。

 

【この教義をなるだけ平易な表現にしてみました】

  • 私たち救世主教は、この大宇宙の創造主である大主神が、全人類の願い求める真の理想社会(「日月地の神世」)をこの地上に創造すべく、天地誕生の時より大経綸を行われてきたことを信じます。
  • この大経綸において、大主神は神々を使わされ、神々の代行者として人間をも使わされてきたものと信じます。
  • 私たち救世主教は、この世に存在するすべてのものは人類の平和と発展のために造られたものであり、現在に至る人類史は、人類が理想社会を造るために大主神の為される準備過程として経験してきたものにほかならないと信じます。したがって大主神は、その時代時代において、必要な人間と必要な宗教をあらわされて、それぞれの使命を遂行させられたものと信じます。
  • 私たち救世主教は、混沌として止どまるところを知らない現代の地上社会の難局に際し、大主神がその絶対力を我が開祖・牧喜之助師に降され、全人類救済の大業を成されることを託されたものと信じます。そして人類の災厄や病・貧・争をなくし、健・富・和のもと、恒久平和の理想社会である「日月地の神世」を創造することを目標として精進、邁進するものです。

2022年09月05日

御 守 護

お盆が終わって、新型コロナにかかりました。 息子からうつったようです。  息子は「ごめんね」と私に謝りました。 社会に出て働いているわけだから仕方ないことです。

私はコロナワクチンを1回しか受けていません。 1回目の接種後、狭心症の発作がひどいうえ、発作の回数が多くて怖い思いをしました。 その私がコロナにかかり家族は心配したようです。 2日間は発熱の症状と脈拍が早いと言われ、コロナより心臓の心配をしました。 それでも普段通りに家事全般をしていました。 外出こそ出来ないだけで、いつもと変わらない日常。 コロナになったことに、何かしら意味があるんだろうと考えました。 コロナは少しだけ大変でした。でも、それ以上に周りの人に感謝。 もう感謝しかなくて、感謝してもしきれないというか。

病院、保健所、保険屋さん、日曜日だというのに快く対応して下さいました。とても有難いことです。 私のことを心配してくれる友人や、信(神)仰の同志。 私にとってコロナは「感謝」でした。

「自分に関わる全ての人に感謝しなさい」ということだったと思うのです。 その気持ちをもつと不思議です。 今までだったら空を眺めて思うことといえば、「今日も暑い1日になりそうだな。蝉がうるさいな」そんな感じでした。 ところが今は「空の青色が澄んできれいだな。木々が緑緑して生きているんだな」と。自分が一番不思議です。

心からの感謝の気持ちをもつということは、物や人に対して優しくなれるのだな。見方、捉え方が違うのだなと。プラス思考になれるし何より素直になれると思いました。 「有難う」は魔法の言葉だと聞いたことがあります。 「有難う」と言う方も、言われた方も幸せになる言葉だと。 「有難う」「有難い」と感謝の気持ちでいると、私の中の歯車が噛み合い善の方向に回り始めていることを実感しました。 躍動感に溢れて、愉しい嬉しいの毎日。本当に有難いと感謝です。  大げさかも知れないですが「病貧争」が柔らいだ気さえしています。

神(救世主)様から今回「感謝・素直・真実」最大級の御守護を戴いたと思っています。 この気持ちを忘れないように、今まで以上に御賜命に仕えたいと思います。

 


2022年08月23日

仕事と家族   3

主人が転勤して最初のお正月は、大阪で家族4人楽しく過ごしました。奈良の春日大社に初詣。 今までと違うお正月でした。 この正月を機に、息子の冬休み・春休み・夏休みは毎回大阪で過ごすことにしました。 中2から高3まで続けました。 終業式の翌日から始業式の前々日まで大阪にいました。 高3は少し早く帰ったような。 主人も子供達にとっても良いと考えました。

今まで家族4人というのが当たり前で、1人欠けてしまうことは考えたことがありませんでした。 だからこそ家族の時間にこだわり、団欒にこだわりました。 仕事に追われている主人も、毎回この長い休みだけは特別だったと思います。 いつも感じていたことがあります。 大阪へ行く時は嬉しくて心が弾み、自宅に帰る時は寂しい感情が毎回ありました。飛行機が大阪を離れるにつれて寂しさが募っていました。

家族に会える喜び、離れる寂しさだったのでしょう。 そして4月、息子は中3。 娘は大学生。関西の大学に行くことにしました。 誰よりも喜んでいたのは主人でした。 主人と娘の生活がスタートして、話相手がいることが嬉しかったのでしょう。家事からも解放されました。 娘が家事全般をしてくれて喜んでいました。 娘と買い物に行ったり、主人は寂しさから解放されたことが一番の喜びだったと思います。 仕事も少しずつ慣れてきていました。 主人は娘のおかげで心に余裕ができたと思います。 息子は私と生活です。 息子は受験生、二人して規則正しい生活をしていました。 そして二人して夏休みが待ち遠しかったです。

 


仕事と家族  2

主人が転勤してから、息子は沈みがちになり、「大阪の学校に転校したい。家はつまらない。」 などと言うようになりました。 友達がいないんじゃないかと心配しました。 転校と一緒で中学から新しい学校だったので心配だったのです。

挙げ句の果て、「この家には女しかいない。面白くない。」など息子に言われました。学校に行きたくない原因が家庭にあると考え、担任と相談して、1週間学校を休ませて大阪に行かせました。 中学2年の大事な時に、学校を1週間も休ませることに抵抗がなかったわけではないです。  でも自分の目で大阪を見る、聞く、触れる。感じる。 やっていけるのか、この先の将来をどう考えるのか、自分で考え、判断することが必要だと思いました。

主人は主人で自分のことで精一杯だったでしょうけど、息子と2人生活をしました。  主人は朝から会社、息子は好きなことをしてたようです。 自転車であちらこちらに行ったり。もちろん補導されたら困るので、外出は時間を決めて町探検していました。

大阪の中学生と田舎の中学生は違います。 都会の子は外見から垢抜けてます。 田舎の子とは全然違います。 そのうえ、言葉が全く違う。 大阪から帰って来ました。 息子も想うことがあったのでしょう。 二度と「転校したい」などと言うことはなかったです。

本人の中で、何かが吹っ切れたのだと思います。 親として何をすればいいのか、何が出来るのか、本人のためになるのか、いつだって葛藤です。 普段の息子に戻り安心しました。 そしてお正月を家族4人、大阪で迎えました。

 

 


2022年08月05日

七転び八起き

本当は愉しい1日のはずでした。  人間関係の嫌なことを思い出し、考える1日になってしまいました。 苦の1日だったように思います。 本来の「苦」とは、自分の思い通りにならないという意味です。

生きていれば、大なり小なりの苦はあります。 思い通りにならないことなんて、よくあります。私も思い通りになっていません。 「しんどいな」と考えてしまいます。 しんどいと思いながら、考えながらいると 「しんどい」から抜け出せなくなってしまいそうです。 自分の落ち込んだ心を、どう上げていくか、どう乗り越えていくか。 「苦」の後が大事な気がします。

「現実を直視」「ありのままを受け入れる」「挫折から学ぶ」そして「新たな一歩を踏み出す」。楽観的に物事を捉えることも大事なのではと思います。 人生は七転び八起き。 思い通りにならなくても、そこから立ち上がって前に進めばいいのです。 何度でも立ち上がればいいのです。

今、自分に言い聞かせています。 昔、尊敬する大先輩に言われたこと、「失敗や反省、気づいた時からやり直せばいいのよ」と。 そして「世界では戦争、貧困、大変な人がいる。 あなたの悩みは小さなこと。大丈夫、大丈夫」と笑顔で励ましてくれました。 確かに世界というスケールで話されると圧倒されて、自分が小さく感じたことがありました。

優しくて有難い言葉、今も覚えています。

 

 


2022年08月02日

仕事と家族  

主人は6月で65歳。今も仕方なく働いていますが年内で退職します。 この3月に辞める予定でしたが後任が決まらず延期になっていました。 社員300名弱、パート50名位、営業所15、本社は大阪。 この中小企業で40年以上働いています。 そのうち15年は単身赴任です。 今も単身赴任です。

最初の転勤は本社でした。17年前くらいです。 本社から地方への転勤は普通で当たり前でした。しかし地方から本社への転勤は主人が初めてでした。 色んな重圧があったことと思います。  そして右も左もわからない。 電車の乗り方もわからない。 言葉もわからない。わからないだらけでした。 毎月帰省費が出ますが、伊丹空港までの電車とバスの乗り継ぎもわかりませんでした。 色んなところで大変でした。

通天閣

更に、料理をしたことがない。 洗濯機の使い方がわからない。 今思い出すと、よくやってこれたなと思います。 主人が大阪転勤の時は、娘が高3、息子が中2。 家庭でも少しずつ息子に変化がありました。 主人が居なくなって2か月くらい経った頃、息子が 「学校に行きたくない」と言うようになりました。 主人も慣れない生活で大変だったので相談が出来ず、

私は頭を抱える日が続きました。   次回へつづく