2015年07月02日
救いによって救われる
すべては“霊と体”で創られています。
このことを知ることが大事であるといただいています。
このことを知ることによって、私たちが生まれてきた目的や果たさなければならないこと(賜命といいます)がみえてきます。そのことにより、より充実した人生をおくることができるようになります。
私たちは、上下、左右、縦横といった相対の世界に生きています。
相対の世界において上は良く、下は悪い。左が上で右が下というように比較でものごとをみてしまいます。人においても男尊女卑という言葉もあります。
また、物事を正邪善悪で判断してしまいます。良し悪しで決めたがるのです。
このような優劣や善悪でみるところに歪が生じてきます。
すべては“霊と体”で創られていると同じように、上があるから下が見えるのです。左があるから右が分かるのです。悪がみえるから善が分かるのです。
このようにすべては“一如”です。
正邪善悪の中に、より良くなるための、それぞれの働きが、そしてみこころがあるのです。
タイトルの救い、救われることも相対のようで、“一如”です。
救いはすべての人が持っている“本性”です。
救われることもまた、すべての人がもつ“念願”です。
救いと救われることが“一如”としてみせられていくのです。
救われる結果(神の奇蹟)は、私たちの想念の眼にみせられます。
神の奇蹟を知るには、想念を感謝・素直・真実で満たして“利己”から“利他”へ変わることです。
“利己”から“利他”への想念に変わる実践が、救いです。
救いの想念でともに救われていくことを歓ぶのが、“救いによって救われる”共の姿です。
神の奇蹟は、救いにいただくのです。