2015年07月28日
「霊智で本命を視る」から
一生懸命とは…
一生懸命とは、「一の神に結んで生きて、ご賜命に命を懸けること」です。
“一”には霊と体があります。
霊的には、神様に想念を結ぶことです。
体的には、人や時、事などによって変わってきます。
例えば家庭では、父親が、または母親が“一(中心)”になります。
時には祖父母が、子どもが、お孫さんが“一”になることもあります。
会社にあっては社長や上司が“一”になります。仕事の内容によっては自身が“一”になるかもしれません。
また人ではなく、会社の目的やプロジェクトなどのように目指すところが“一”になったりもします。
このように体的な“一”は、様々です。
その“一”を無視すると、おのずと歪が生じてきます。
これが想念の“誤ち”です。
想念の誤ちの原因になるのが、我・執着・慢心による想念のくもりや濁りです。
“口(くち)”が濁ると“愚痴(ぐち)”に。
“徳(とく)”が濁ると“毒(どく)”に。
“才(さい)”が濁ると“罪(ざい)”に。
“快(かい)”が濁ると“害(がい)”に。
“報恩(ほうおん)”が濁ると“忘恩(ぼうおん)”になるのです。
その想念のくもりや濁りに気づかせてくださるのが“浄化”です。
そして、想念のくもりや濁りを綺麗にしていただくのが、言魂と御洗霊です。
その言魂と御洗霊をいただくには、想念を感謝と素直と真実で満たすことです。
一の神に結んで生きて、ご賜命に命を懸けてみましょう。
自ずと、今為すべきことが必ずみえてきます。