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いろんなお話

2022年07月20日

ハスの花

夏の花と言えば、ピンクや白の大輪を水面に広げるハスがあります。 いろんなところで地方の新聞に掲載されるのでは。 新聞の記事に載っておりました。 東大阪市では、市文化財 旧河澄家 周辺で 「 原始ハス 」 が咲いたと言います。戦前は、用水路自生するのが見つかったと言います。見てみたいものです。

        

鹿児島市では、黎明館前のお堀でハスが咲いております。 毎年、見ている光景ですが、なかなかいいものです。 観光客の方々も足を運んでくれて、写真撮影をしております。

        


2022年07月14日

御賜命に仕えること

梅雨明けして元気になるかと思いきや、夏バテしてます。 このところ調子が悪いです。  脱水症、熱中症と散々です。 点滴をしながら、ぼーっと考えました。 なぜ体が弱いのか、なぜ病気をするのか。 なぜ神(信)仰をしても強い体になれないのか。 そして自分の体の弱さや病気で、周囲に迷惑をかけるのが嫌です。

もちろん健康な体になれることの方が難しいことです。 年齢と共に体力がおちて病気になったり、元々病気がちだったりとそれぞれです。 病気が不幸せだと思わないですが、病気に苦しみ、嘆き、辛いと思う気持ちは不幸せなのかなと思います。 もちろん体を休ませることは大事です。でも私は考えました。 何をすべきか、何が足りないのか。 今こんな状態だと御賜命に仕えることは簡単ではないです。 病院で適切な治療を受けることは大事なこと。 体が弱いと病気が出がち。 じゃあ頻度を減らす努力が必要なんじゃないかなと。 そのために何が出来るかを考えました。

この夏を乗り越えるための食事改善かもしれません。 ついつい暑いと冷たい物ばかり。 旬の食材は体に良いとはいえ、夏野菜のトマト、胡瓜、茄子など体を冷やす物ばかり。 今年の夏は体を温めることに徹するつもりです。 そして少しずつ体力作り、それが御賜命に仕えることの一歩だと気づきました。

御賜命に仕えることこそが、体そのものを強くする原動力になることだと思います。想念を強く持つことが大事です。 また明日も暑いですが頑張りましょう。

 

 


2022年07月13日

心の再生  4

義兄は側から見ても変です。 義母の葬儀では喪主でしたが、斎場の方は葬儀の打ち合わせ等を二男の主人にしていました。  プライドは高いので悔しい思いだったでしょう。  事を辞めてから社会と関わりがないからなのか人とコミュニケーションがとれません。

病気のせいもあるかもしれないです。 義母が亡くなり義兄が病気を再発するのではないかと心配していました。 しかしながら意外と元気で驚きました。 以前と違って笑顔もあります。 「あ〜、この人を駄目にしていたのは義母だったんだな」と気づきました。 息子のために良かれと思ってしたことが悪い方向にいったのだなと。 お互いにとって不幸せでしかないです。 今でいう毒親だったのかもしれません。 亡くなって1年、義兄は自分のリズムで生活をして 生きています。朝4時に温泉へ行く。9時にスーパーへ。

病院へ行ったり、一人カラオケで楽しんだりと、自分なりに人生を楽しんで生きていけるようになっています。 心配は薬の副作用です。手の震えも酷くなっています。 いずれは介護を必要とするでしょう。 おそらく本人は自宅で自由気ままに生活することを望んでいると思います。

私も今の生活が1日でも長く続いて欲しいと願います。 義母がいなくなって私も義兄も心を見つめ直す時です。 心の再生、心(想念)が穏やかになること。 優しくなること。元気になること。 そして前向きに精一杯生きていくこと。 義兄まだ67歳。病気と上手に付き合い、これからの人生を楽しんでほしいと心から願っています。


2022年07月06日

愉しい一日

今日は「ついたち会」でした。 腰に痛みがあるし、雨だったら行けないかもと迷っていました。 朝になって雨が上がりそうだったのと、腰は痛いけど珍しく気分は良かったのです。参加しました。 研鑽会は愉しかったです。 神(信)仰をさせていただく私たちは仲間という言葉を使います。  同じ目的に向かって頑張る人達。 一緒の空間にいると笑顔になれます。

93歳の女性の方は綺麗に化粧をして若いです。 耳が遠いですが現役です。素晴らしいです。  80歳の女性の方は元気です。 最近まで社会に関わっていました。 背筋がピンとしていて若々しいです。 ハツラツとして見えます。 60歳後半の女性の方は、最近膝の手術と入院をしていました。 久しぶりに顔を合わせました。 まだ痛みがあって時々辛そうです。 でも優しい眼差しをしていました。 自分が辛いのに他人に優しい目をする。 感心しました。

みんな人生の先輩方です。良い意味で刺激を受けます。 とても愉しい時間を過ごすことができました。 今日は腰の痛み止めを服用してません 「病は気から」というわけではないのですが、痛みが和らいだような気さえしてます。不思議です。

痛みよりも愉しい気持ちの方が上回った1日でした。 1日を有意義に過ごせたことに満足しています。


2022年07月05日

体調不良

梅雨入りしてから本格的に体調不良です。 交通事故に2度あって、2度目は軽トラに轢かれました。幸いにして体や骨に異常はなかったものの、この時季になると「むち打ち」の症状が出て大変です。

肩、背中、首の凝りと痺れ。吐き気。頭痛。 そして元々もっている血行不良。両方が重なると特にキツく大変です。 こんな時こそ自分の心(想念)を良い方向にもっていかなければならないのに、体調が悪いと想念も沈んでしまっています。 やらなければならないこと、考えないといけないこと、後回しになってしまい焦ります。

健康であることが一番だと改めて思います。 健康には遠いけれど、体調の良い日があるように食生活には気をつけるようにしています。 酢・野菜・ヤクルトは欠かせません。 後もう少しで梅雨明けでしょう。 もうちょっとの我慢です。 少しずつ体と心を整えなければと思っています。

規則正しい生活、自律神経を整える。沈んだ心(想念)を奮い立て、御賜命に仕えられるよう上昇していこうと思います。

 


2022年07月10日

日本の神話 2  国造り

日本の神話 2

遠い昔、日本の国ができる前のことです。 澄み渡った高い空の上に、高天原という神々のお住まいになっているところがありました。 ある時、神々は下界に新しい国を造ることをご相談になられました。 そこで伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神様に国作りを命じられ、天の沼予という矛を授けられました。

さっそく、二柱の神さまは、神々より授けられた矛を海水の中にさし降ろすと、海水を力いっぱい掻き回し始めました。 しばらくして矛を引き上げてみると、どうでしょう、矛の先より滴り落ちる潮が、みるまにも積もり重なって於能凝呂島という島ができあがりました。 そして二柱の神さまはその島に降りたつと、天の御柱という大変大きな柱をたて、柱の回りを伊邪那岐命は左から、伊邪那美命は右から、それぞれ柱を廻りあいました。 そして出会ったところで 「 ああなんと、りっぱな男性だこと 」、「 ああなんと、美しい女性だろう 」 と呼び合い、二人で多くの島々を生みました。

この国土をしっかりと作り固めるよう天の神さまから仰せを受けたのが伊邪那岐命・伊邪那美命です。

日月地祝詞に称える神漏岐・神漏美、伊邪諾・伊邪美の神々には、「 き 」と 「 み 」 が付いて 「 きみ。あなた 」の神です。 きみ(あなた)のよ(代)が続きますようにと、日本の繁栄の祈りがあるようです。


2022年06月24日

心の再生  3

義兄は精神病と30年ほど付き合っています。 長男という責任、親の期待。重圧だっただろうと思います。 公務員だった義兄は「鬱病」がひどくなり1年ほど入院、そして職場復帰することなく退職しました。

40過ぎくらいでした。本人は社会復帰を考えていましたが義母が大反対。40になっても50になっても色んなことに口を出していました。 義兄と会うと、義兄が悪い意味で変わっていくのがわかりました。

薬の副作用です。口が渇くので口をモゴモゴ。 目が死んでいるようで怖かったです。 笑顔もなくなる、怒りっぽい。 考える力も段々と乏しくなっていっているような気さえしてました。

「薬の量や薬自体を止めることは出来ないのですか」と尋ねたことがあるくらいです。医師の言葉は絶対なので今も服用しています。 6年くらい前に義母が入院しました。 お見舞いに行った時に義兄に会いました。 手が震えていて自分の意思で止めることが出来ません。 その姿を見て思うことがあったのでしょう。 義母が「兄ちゃんは、これで良かったのだろうか」と私に聞きました。「良いわけないだろう」「今頃気づくことか」と内心思いました。

「私には、わかりません」と答えました。 親として息子の人生をどう考えていたのかわかりません。 ただ一つだけわかります。最期の最期まで息子のことが心配だっただろうと。義母の死から義兄は良い方向に変わりました。

つづく

 


2022年06月20日

稲羽の白兎

鳥取には、一度行ったことがあります。息子の陸上競技大会に出場のため行きました。 なにせ、熊本地震があった日で、鹿児島から鳥取市まで14時間かかり、観光などできなかったです。帰りは、息子の陸上の試合が終わったらすぐに帰りました。地震の影響で通行止めや渋滞を思ったからで、全くの日帰り状態。   鳥取と言えば、日本神話の稲羽の白兎を思い出されます。

大国主命が兄弟の神々と稲羽の国に出かけたときのことです。 気多の岬までくると、そこに赤裸になった兎が泣いていました。 そこで兄弟の神々は、海水を浴び、風にあたればすぐに直ると教えました。 兎は言われた通りにすると、もうたまりません。 潮水が乾くにつれ傷がヒリヒリと痛んできました。 そこに遅れて、大国主命が大きな荷物を背負ってやってきました。 命は兎を見ると理由を尋ねました。 兎は淤岐島に住み、長い間この国に渡りたいと思っていました。 ある日、サメが泳いでいる姿を見て、サメの背中を跳んで陸に渡ろうと考えました。 そこで仲間の数比べをしようとサメをだまし、仲間を集めさせました。 そして島から陸まで一列に並べさすと、兎は背中を跳びながらその数を数え始めました。

もう一息のところで、だまされたことを知ったサメは大きな口を開いて兎にかみつきました。 そのため兎は皮をはがれて、赤裸になってしまいました。 理由を聞いた命は、やさしく兎に教えました。 いわれた通りに兎は川の水で身体を洗い、ガマの穂を集めてその上をころげ回りました。すると不思議なことに、もとの白い毛が生えてきました。

稲羽の白兎は、古事記の中でも代表的な話で、因幡国風土記にも収録されています。 単なる物語としてではなく、傷病に対する療法について記されているとも言われています。 大国主神は、須佐之男命の娘の須勢理毘売と結ばれ、その後、少名毘古那神と共に国造りをします。

白兎神社がや白兎海岸があります。神社には、鳥居をくぐってしばらく歩くと、白兎が体を洗ったと伝えられる周囲80メートルの池もあるそうです。 神話の本を片手に。 訪問したいものですね。


単身赴任してます。

単身赴任をはじめて3年が過ぎました。初めのころは家事に追われる毎日でしたが、今では掃除・洗濯・食事など、結構できるようになりました(結婚して25年、これまで妻に任せてばっかりだった自分を反省してます)。

特に食事はほぼ毎食手作りです。毎朝弁当も作ってます。肉・魚・野菜など気を付けてバランスよく摂っているつもりでしたが、昨年の健康診断で“高血圧&糖尿病”と言われてしまいました。30年以上毎年健康診断を受けていて初めてのことで、病院へ行ったら、「糖尿病なんて、食生活が悪ければ3か月でなっちゃいますよ。薬を飲めば大丈夫!」と言われてしまいました。薬は一度はじめるとずっと続くことになるしどんどん増えていくから嫌でしたので、「今までどうもなかったのだから投薬治療は1年待ってください」とお願いしました。食事は結構バランスよく摂っていたし週末は必ず運動もしていたのになぜ?と考えたとき、食事は毎食腹いっぱい食べてたし(1人前作るのは結構難しくて、多めに作ってしまい残さずに食べていたし)、ほぼ毎日お菓子と果物を食べていたことに気づきました。単身赴任だとだれも止める人はいないし、結構自由なので好き勝手に食べていたような。。。 

            

妻に相談したところ、「最近、娘がダイエット目的で携帯のアプリを使って食事のカロリーコントロールをしているみたい」とのこと。早速娘にアプリを教えてもらい、食事のカロリーコントロールを実行。一番びっくりしたのは毎日食べていたご飯(米)の量。“ごはん100gってこんだけ!?”って感じでした。お菓子類も一切食べないようにしました(ポテトチップスやケーキ 大好きだったのに!)。最初のころは結構きつかったのですが、“絶対に糖尿病を克服してやる”との強い信念で頑張りました。1か月もしないうちに体重がどんどん下がっていき、毎日体重測定をしては一喜一憂(60歳手前のおじさんが。。。)。効果が目に見えると頑張る気力も湧いてきて結構楽しくなりました。買い物に行っては食材のカロリー表示を見ては戻したり、低カロリー品であれば何個も買ったり、周りから見たら変なおじさんだったかも。約10か月頑張りました! 体重も9kg減達成!

そして今年の5月の健康診断結果、血圧も血糖値(&HA1c)も正常値となりました!!結果をもらった日は、ケーキや大好きだったお菓子を買ってお祝いしましたが、食べながらカロリーを気にしている自分に思わず笑ってしまいました。その後も体重を維持すべくカロリーコントロールは継続していますが、結構楽しく生活できています。お菓子も適度に食べてますし。ただ、困ったことが1つ。瘦せてしまってズボンがぶかぶかになってしまい、今年の夏服(特にズボン)は買い替えになってしまいました。。。

長寿社会、ただ長生きするのではなく健康寿命を延ばすことが大切です。ストレスをためないよう、好きなものも食べながら運動もして、元気な体と心で長生きしたいものですね。 カロリーを簡単に計算できるなど、便利な世の中になった。


2022年06月16日

心の再生  2

義母と関わることを減らしていきました。ストレスを溜める生活は病気の元だと。  しかし、正月は会わないわけにはいかないので元旦に家族4人で行きました。 義母は歳をとるにつれ足腰が弱くなっていました。

「痛い、痛い」と大声で言います。 おそらく優しくしてほしかったのでしょう。 孫に「おばあちゃん大丈夫?」などと声をかけてもらいたかったと思います。 でも皆んな黙ったまま。優しい言葉の一つもかけられません。 かけることが出来ないのです。 そのうち「この痛みは自分しかわからないんだ」と大声で怒りながら言っていました。

人間というのは優しくされたら、自分も同じように優しく出来ると思うのです。  嫌味、皮肉、当てつけを言うような人には優しく出来ないのです。 神仰的に考えれば、義母は心が病んでいたのかもしれません。 義母の姿は私自身だったのかもと。

弱者に寄り添うことは大事だと思っています。 病気のことや痛み苦しみは解らずとも、励ましたり元気づけることは出来ると思うのです。 この義母の生き方をみて私は気づきました。

この1年話題にすら出なかった義母。 とてつもなく嫌なことしか浮かびません。でも嫌な思い出は捨てたいと考えてます。 自分の心が醜くなってしまいます。 義母も成仏できないでしょう。これから私は清々しい心と、気持ちで生きていきたいです。この義母が亡くなった影響で、精神を患う義兄が大きく変わりました。

つづく