2016年02月24日
事実に示せば真実となる
人の真実は、神様が求められる真実にはほど遠いものです。
そのために、いろいろと不自然な状態に陥っています。
神様が求められる真実があれば、「私の真実」というものがあります。
自分が言うこと、することは正しい、私は人のために尽くしているという強い思いです。
自分の真実があれば、他の人にも真実があります。
私の真実と他の人の真実が一致すれば問題はないのですが、一致することは稀ではないでしょうか。
自分は親切でしたと思っていることが、お節介だったということもあります。
時には、自分の真実を無理に押し付けたりもします。
真実だと思っていても、思っていることと言うことが違う。
言うこととすることが違う、というようなこともあります。
私たちは、思うこと、言うこと、行うことを「心言行」と言います。
「心言行 一致の力なかりせば 人を動かすことはあたわじ」という御讃歌があります。
思うこと、言うこと、行うことが一致していなければ、人は私を信じて動いてはくれません。
心言行に齟齬が生じると人間関係もうまくいかなくなります。
心言行の齟齬により、人はさまざまな苦しみを感じるのではないでしょうか。
この齟齬が生じる原因は何でしょうか。
人は、物中心の考えになると“執着”が生まれます。執着は自分が中心という“我”を生みます。
その我が“慢心”を育てていきます。自分は正しい、他の人は間違っているという思いがわいてきます。
そこに心言行に齟齬が生じてきます。
そのことにより、結果は自ずと悪いものになっていき、不真実ということになります。
このような、自己中心の真実でなく、ほんとうの真実、神様のみこころにかなった結果を事実として示していくことが大切です。
そのためには、心を神様に結ぶことです。
そして、他のために為す、救い(感謝と素直)の真実に生きていくことです。