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和して同ぜず。

2022年05月29日

和して同ぜず。

最近嫌なことがありました。 人の悪口、陰口、いじめ。うんざりします。 大の大人が大人をいじめる。 いろいろな社会、学校、職場、地域、信(神)仰をしている人でさえ普通にあることだと思います。 心(想念)が曇っています。

「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・いやみ・ひがみ・やっかみ」以上の七味を持ってはいけません。 睦・・どんな社会でも睦むことが出来るといいと思います。 しかし、上っ面だけで仲し。人間関係の構築は想像以上に大変。

「理解力」「共感力」「伝える力」「寛容力」難しいことです。 嫌な想いをすると自分自身も「怒る」「許せない」などと嫌な人間になる。そんな時は「なんだ、私も一緒じゃん」と反省。

心(想念)と霊性が低くなってしまうことに気づきます。 友人に「なぜ人間関係が悪くなることがあるんだろうか」と聞かれました。悪い人に縁すればストレスが溜まりいざこざがある。 良い人に縁するとストレスが溜まるどころか良い意味でプラスと答えました。良い人に縁出来る自分でありたいと思います。

「和して同ぜず」・・誰とでも協調するが、道理にはずれたことには同調しない。主体性を持って人と付き合う。 そういうことが大事なのかなと考えます。 そしてお互いを尊重、お互いを認め合う。 そういう社会なら生きやすいと思うし、共有できる社会ならば嫌な想いをする人が減るのに、とも思います。 こんな時に私は神(信)仰をしていて良かったと思うのです。 以前はグダグダ悩んでいました。 今は気持ちの転換が早いです。 反省・改心・想念の転換です。 神仰は あらゆる面で私の心のバロメーターです。

救世主様 ありがとうございます。