2022年05月23日
神一重と九の力を視る
* 天国と地獄は神一重
破壊と創造は、神が成された表裏一体のお仕組みです。 神の御前にには、創造も破壊も、正邪も善悪も一如です。 天国も地獄も、根元は想念(こころ)にあって、これも一如です。 救世主様は、”この世において天国と地獄は神一重であって、主の神を一重に神仰する想念が、神のみこころままにといえる”と仰せられました。 主の神をひとえに仰ぎ、神のみここをひたすら求めて、神と一如たらんと、ただ一途に神仰する想念の姿は偏でなく単でもなく、やはり神に結ばれていくことの想念状態は、「神一重」でなければならないのです。 救世主様の見真実で、一重も偏も、そして単も、みな抱き包んで「神一重」としたところに、みこころがいただけるではありませんか。
* 救いは赦されていく実践
救いにお使いすると、新しき生命を賜る ” 結果 ” が生まれます。 救いの想念を持つこと自体が、すでに神赦しの道を歩いているのです。わたしたちは、本霊を授けられ守護霊に守られ、(他のために為す)生命の賜命をいただいて、現世に生まれてくるのです。 (生命の)賜命の実践によって、想念の転換が赦されて真の希望(と歓びと創造)を一日の生活に味わっていくことができるのです。 (救いの)賜命にもとづく希望と歓びと光明を想念にもてば、苦しみにも感謝ができるのです。 救いは、浄化をとおしてあらわれてきます。浄化は、お赦しであり、救われていく姿です。 浄化におこりくる苦は、苦を力にしてのりこえる神赦しの陣痛です。
* 神の実力、ほんとうの感謝
大自然にみなぎる神の力は満ちあふれています。 これを救世主様は、” 神の実力 ” と仰せられました。その神の実力を離れては、十全の力は発揮できないのです。 神の実力は、神の愛と力に結ばれて、想念を器に化育されていきます。 救世主様は、” 神は、苦の力で想念を化育され、人の本霊を育てられる。苦しみをのりこえての感謝でなければ、ほんとうの力にはならない。 真の感謝は、苦に対する感謝ができて、力が誕生してこそ味合える。 苦を逃れようとする想念は、苦に対してまったく無力となり、無力であれば、自分の生命力をも無力にしてしまう ” とおおせられたのでした。
* 九の力が移されて
救世主様は、” みこころのままにの、一重の想念に「 九の力 」 が移される。 九の力をいただけば、祖霊と共に、日月地の神世に生きる御賜命をいただくことになる。 ”と、仰せられました。 九は、多い、究極、無限の意味をもっています。 九の一画を内にハネ込めば、力となるのです。 神は、大愛のみこころといただけば、力となるのです。 神は、大愛のみこころによって、苦の形をとおして、苦の力をくださいます。 九の力は、霊体そして縦横を結んで生まれてくる ” 創造の力 ” となるのです。 この神理を、実践に移していくのが、神仰です。 神にムスヒ(結び)て生まれる神秘な” 苦(九)の力 ” の仕組みを視って、救世主様のみこころ ”神一重 ” を神仰生活に味わっていきましょう。