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生きていることの有り難さ  その1

2024年03月31日

生きていることの有り難さ  その1

私は今、こうして生かされ生きていることの仕合せをひしひしと感じております。 私がこの信仰にご縁をいただき朝参会の実践をするようになったのは、二十年ほど前になります。 母が心臓肥大という浄化で入院していましたときに、母と親しかった教会長さんがお見舞いにきてくださり、御洗霊にお使いしてくださっているのを見ていました。 母が苦しむたび、一日に何回も教会長さんご夫婦が交代で足を運んでくださっていましたので、何も分からない私でしたが、神の洗霊の尊さや有難さを感じていました。 母の帰幽後、五年ほど経って私は教会へ行くようになりました。

私は、子どものころからひ弱な体質でしたし、それに加え極端に内向的な性格で、他人に合うのが嫌、話すのも嫌、まして人の集まるところなど絶対に嫌と思っていました。 他の人から見れば、ずいぶん無表情で冷たい人のように思われていたと思います。 そんな私が、意を決して教会で参拝するようになり、後には営業で働くようになったのですから、自分でも考えられないほどの変わりようです。

朝、七時の朝拝で力をいただき、九時には会社へ行っておりましたが、十二年ほど経ったある日、営業に出かけるためイスから立ち上がったとたん、心臓が急に痛み出して、そのままうずくまってしまいました。