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~神の自動操作~  神の自動操作を視る

2024年11月10日

~神の自動操作~  神の自動操作を視る

* 時の事と言とにみせられる神の自動操作

救世主様は、” 主神は時の御経綸を進めるに、神々と神々の代行者として人をも使われるのである。 神の代行者として使われることは惟神の御神命であって、これを神の自動操作 ” とおおせられました。神は、みこころを顕現されるのに、” 時と事 ” をもってお視せになります。 神は、御想念を人の想念と言魂をとおし ” 言 ” をもってお示しになります。 神の時の御経綸に、人が代行を赦される所以はここにありました。 惟神は神の自動操作をいいますから、救世の御神命である救世賜命は、この惟神に基づいてお使いしているのです。 救世賜命にお使いすることは、みこころのままに、時と事と言とにみせられる神の自動操作をいただくことでありました。

* 神赦しと神救いは神の自動操作

神の自動操作を受けることは、神のみこころにかなって、使っていただくことですから、これは ” 神赦し ” です。 神赦しをいただけば、神は体主の因縁を祖霊と共に審判され、” 神救い ” をくださるのです。 想念と言魂、そして洗霊による救いの御神命を実践していくことは、霊性の向上となり、祖霊と共に救われていく神赦しと神救いです。 神赦しと神救いは、神の自動操作でありました。 救世主様は、” 御賜命は、惟神の宿命である ”と仰せられました。 神が定められた御賜命にお使いすることは、この世に生まれてきた目的です。 救世主様は、人生の目的である御賜命にお使いすることは、霊性向上の実践であり、霊魂が救われていく道である、と御開明くださいました。

* 御賜命にいただく神の自動操作

御神命である御賜命に、惟神に従っていくことは、生まれながらの宿命にいきることであって、人としての生き方です。 神が定められた宿命である御賜命のもと、日々の努力と想念のあり方次第で、運命はかえられていきます。 みこころのままに、神の自動操作を受けて、最善の運を人生のうえに開けていきたいものです。 救いの想念によって高められる霊智と真実になれば、神の自動操作をいただいくことができます。 霊智は、神の自動操作を受ける受信器となります。 真実は、神の自動操作を発する発神器となります。 人としての賜命と本命に目覚めれば、神の自動操作がはじまります。

* 日月地の神世へと誘(いざな)う神の自動操作

救世主様は、” 現界におこりくるすべての事象は、霊界の真相と実相が移されてきたことである。 姿形に写されることは、神の自動操作によるものである ” と仰せられました。 神幽界の仕組みを視り、現界の役目を識って、霊性を高めて、神のみこころのままに自動操作をいただきたいものです。 神の自動操作は、時の御経綸にそそがれる惟神の神業です。 神の自動操作は霊魂が救われていく導きなのです。 それは、因縁の神赦しと神救いをいただくことになるのです。 神の自動操作は、日月地の神世へと誘うみこころでありました。 霊智をいただき真実なって、新しき生命をいただけば、神は自動操作されて日月地の神世へと導いてくださいます。