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救世主教に想う  

2022年11月12日

救世主教に想う  

4.祖霊の念願・因縁解消

  • 人は神より尊い生命を賜わり、たえず「良くなれかし」と神の愛と力をいただいています。たとえ肉体は滅んでも霊として存在し、神の御神意(みこころ)に浴しています。すなわち、神・幽・現三界は別々に遠く離れて存在するものではなく一体であり、神の愛と力はそのすべての世界(三界)に及んでいるのです。
  • また人の生命は、突然に生じるものではなく、遠く祖先より受け継がれてきたものです。数代さかのぼるだけでも祖先の数は膨大なものになり、その祖先のどの一人を欠いても自己は存在しません。そして、やがては自分も祖先となるのです。
  • すべての祖先は、今は霊となって霊界から子孫を見守っており、その祖先の霊(魂)を私たちは「祖霊」と呼んでいます。祖霊を知る(救世主教では「視る」と言います)ことは、悠久の生命の流れとその因を視ることであり、また生命の大元である神を視ることにもなります。人は祖霊を視り、祖霊と共に生き、さらに子孫に生命を伝え、やがて自らも祖霊となるのです。
  • 人は肉体の死により「祖霊」となりますが、祖霊は私たち子孫を見守るだけでなく、子孫に伝えるべき念願(「祖霊の念願」)を持って生きています。「祖霊の念願」とは、まずは「祖霊のことを忘れないで欲しい」ということ、そして「自分だけが勝手に生きていると思わずに、祖霊と共に生きていると思ってもらいたい」ということです。また「祖先から引き継いだ大事な生命を粗末にせず、家族同士、子孫同士仲良く平和に暮らして欲しい」ということ、そして「神から賜わった大切な命を自分一人のためでなく、健・富・和、真・善・美の理想社会である「日月地の神世」創造のため、「救世賜命」のために生かして欲しい」ということです。
  • また祖霊といえども決して完全無欠なものではありません。この世(現界)に残していった未練や反省、怨みや憎しみ等の想念を霊界で持ち続けているかもしれません。これらを浄化するには、現界に生きる私たち子孫の助力が必要であり、「祖霊の因縁」を解消するため私たち子孫が神に祈ることが大切であると考えています。すなわち「因縁解消」は、「祖霊の念願」の中でも最も大事な念願の一つです。
  • 「因縁」は「因」と「縁」から成ります。「因」とは元(因素)であり、この因素に何らかの条件(「縁」)が整った時、結果が生まれます。たとえば花が咲くにはまず種(因素)が必要ですが、種だけでは花は咲かず、「日(太陽)・水・土」という条件(「縁」)が整って初めて花を咲かせます。因と縁がそろって一つの結果が生まれるのです。またその結果はそこで終わりではなく、その結果が次の因となり、縁となります。我々の生命はこの因と縁により誕生する、つまり「生成化育」されるのです。
  • 善い因と縁がそろった時、最も善い結果が生まれますが、いくら善い因があっても縁が悪ければ結果は異なります。その逆に、因は善くなくても縁が善ければ結果は善くなることもあります。「善因善果」はもちろん「悪因善果」を目指すのが救世主教の信仰(「神仰」)です。悪い因素があっても善い縁を築いていくことが大切であり、そのために「神仰」が必要なのです。そして善い因素は「神仰」によってさらに「善い因縁」にしていくのです。
  • また「因縁」は過去を問うものではなく、将来を築くためのものです。より幸せな未来に向けて「善い因縁」を築くことこそ大切であり、子孫に「善い因縁」を残すことが肝要です。子孫は私たちを祖先として未来に生きる者です。また私たちも祖霊として未来に生き続けるのです。その現世が救われていくために、祖霊は今の私たちが「善い因縁」を築くよう要請しているのです。これこそが「祖霊の念願」の本質と言えます。
  • 「祖霊の念願」は、子孫の想念と深い部分で結ばれています。よって、祖霊を祀り拝むことだけが祖霊の供養ではなく、「祖霊の念願に応えること」が子孫の義務であり、真に祖霊の供養となるのです。
  • 「祖霊の念願」に応えるには、私たち子孫の想念がつねに祖霊に結ばれていることが大切ですが、そのためには霊性を向上し、日々霊壇に額づき想念を祖霊に結んで「善言讃詞」を奉唱して祖霊と対面すること、そして「祖霊と共に」の想念で「救世賜命」に仕えることが大事であり、これにより子孫と共に永遠の生命を視ることになるのです。